櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:まとまりきらないほど 人生はいい。

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第78回は、HAHAHANO.LABO(ハハハノラボ)のKANくんと、母・二宮奈緒子さんに迫る。

文=櫛野展正

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「クビかウチクビか」

 この奇妙な名前のアートプロジェクトが静岡市で開催されている。主催しているのは、HAHAHANO.LABO(ハハハノラボ)という「ハハハなコトをハハハなヒトと」を合言葉に、「オレは障害者じゃなくて問題のある子」という息子KANくんと、たまたまデザインを生業としていた母である二宮奈緒子(にのみや・なおこ)さんが、「何か面白いことはないかしら?」と周りを巻き込んで始めた活動の総称だ。

KANくん 撮影=近藤ゆきえ

 特別支援学校を卒業後、クロネコヤマトに就職し、カタログやチラシなどのメール便を自転車で配達する業務に携わっていたKANくんだが、日本郵便に同業務が移管されることに伴い、突然慣れ親しんだ職場を解雇されてしまった。「この子、仕事をクビになっちゃってね〜」と話のネタに周囲へ吹聴していた二宮さんだったが、あるときKANくんから「母さん、クビと打首とどっちが良いかな」と尋ねられた。ここで二宮さんは、ふと我に返る。「確かに、昔だったら打首だと死んじゃってたし、それなら仕事をクビになるなんて大したことないかもね」と。

 こんな風に、KANくんは時々目が覚めるような言葉を投げかけてくる。あるときは、テーブルなどに設置して荷物を掛けることができるバックハンガーを、KANくんがECサイトで購入したところ、手書きのお礼状付きで商品が届いた。すると、翌日また同じ商品が。次の日も同じものが届き、計4個になってしまったようだ。ひとつが高額なため、当然のことながら、大喧嘩になったが、KANくんが、そのとき呟いたのは「あぁやべえ、痛恨のミス。でもな母さん、大丈夫まだ金はある。これだけあれば、母さんも吊るせるし」という言葉だ。それらを面白がって、二宮さんはデザインへと落とし込んでいく。いまでは、仕事の8割ほどが、KANくんが描いた言葉やイラストが使われているという。

KANくんの言葉やイラストを使ったポスター

 二宮さんは、1968年に静岡県島田市でひとりっ子として生まれた。学生時代はパラパラマンガや人の似顔絵を描くなどしていたが、早くから「自分の画風にオリジナリティはない」と悟っていたという。高校卒業後は昭和女子大学へ進学し栄養学を学んでいたが、アート関係への想いを捨て切ることができず、大学へ行きながら、桑沢デザイン研究所の夜間部にも通い、デザインを学んだ。

二宮奈緒子さん 撮影=近藤ゆきえ

 「自分の個展とかやってみたかったんですけど、やりたいことが空っぽだから、自分からは何も出てこないでしょ。依頼されたものを形にしていくデザインの分野だったらいいかなと思ったんですよね」。

 大学を卒業したあとは、静岡市内の広告総合商社へ3年間勤務。その後、デザイン事務所に7年半勤めたあと、29歳で結婚し、31歳のときからデザイナーとして独立した。翌年には、一人息子となるKANくんを出産した。

 「少し変わった子になるっていうKANって名前を喜んでつけた自分を後悔したのは、この子が『知的障害を伴う自閉症』と診断されたときでした。そのときに貰った『自閉症の手引き』をそっと閉じて、絶対こんな風にならないように育てようと誓ったんです」。

 ABA(応用行動分析)の分野で著名な先生を静岡まで招聘し、何度も相談した。東京の大学病院にも通い、脳波を測定。KANくんが望ましい行動をしたときに、回るものに興味があったKANくんのために、ミラーボールが回る仕掛けまで準備したが、暗室に入るだけで泣き喚いてしまったため、挫折した。ほかにもモンテッソーリ教育や七田式教育、心理学から脳科学まで、我が子の障害を治すために、ありとあらゆる療育を試してきた。

 当時のKANくんは、小学校へ登校するとすぐに、「給食はいつですか」と尋ねることが続いていたため、絵カードを自分でめくって給食の時間が視覚的に理解できるような環境を先生と一緒に整えた。

 「この頃は、家でも療育セットを揃えていて、学校と同じ取り組みを家でも練習していたんです。いま考えれば、家はゆっくり過ごす場所だろうと思うんですけどね。とにかく、親子共々疲弊しきっていましたね」。

 そんな二宮さんにとって、転機となったのは、静岡大学で発達心理学を専門にしていた加藤弘通准教授との出会いだ。加藤准教授から、見方を変えることの大切さや、できないことをできるようにするのではなく、できていることを見守ることが重要である点を学んだ。

 「『この子は何をやっているときが楽しそうなんだろう』って考えたら、回るものを見ているときでした。自転車もタイヤを回したいから、あっという間に乗れるようになりましたね。漕いでいるときも、タイヤを覗いていたから危なくはありましたけどね。サイクルスポーツセンターに行くと、朝から閉園まで水も飲まずに自転車を漕いでいたほどです。ひょっとすると自転車で食べていけるんじゃないかと思って、BMXやマウンテンバイクにも乗せてみたんです。BMXは大会にも出ていましたが、人と争うことは好きじゃなくって、『みんなと一緒に楽しく自転車に乗っている方がいい』って言われちゃいましたけど」。

 理容店のサインポールや茶畑にある防霜ファンなど、二宮さんも一緒になって「回るもの」を探すようになり、運転手に道路形状を認識させるための視線誘導標であるデリネーターは好き過ぎて本物を取り寄せたというから、一緒になって楽しんでいる様子が伝わってくる。

 そんな二宮さんの子育て奮闘記は、次第に周囲へ知られるようになり、新聞社発行の情報紙で月に一度、6年半もの間、連載を持つようになった。KANくんが街灯や映画のエンドロールなどを、体を使ったモノマネで表現した話など、日々の暮らしで巻き起こる面白エピソードが次々とマンガ化されていった。「ネタに困っていたから、彼が何かしでかしてくれると助かるんです」と当時を振り返る。

 中学校にあがると、人前に出ることが好きだったKANくんに、担任の先生が勧めてくれたのは、SPACシアタースクールだった。SPAC(静岡県舞台芸術センター)の俳優やスタッフによる指導のもと、演劇を学ぶことができるプログラムで、応募してみたところ、大いにハマったという。夏休みは毎日5時間練習へ通うようになり、本番でも彼の特性に応じた役が与えられた。自分の居場所ができたことで、それからの5年間、夏は欠かさず、通うようになったようだ。

 「みんなと一緒に何かするのは楽しいってことを経験できたんです。完璧と言って踊るダンスは微妙にずれているし、失敗したって何食わぬ顔で成功と言ってましたけど。私も本当は演劇や裏方をやりたかったんです。だから、KANを介して、私がやりたかったことを擬似体験していたんですよね。私の楽しみに付き合ってもらっている気がすごいするんです」。

 KANくんが小学6年生ぐらいのときから、二宮さんは、子どもたちの作品をデザイン化して商品開発や企画展を開催するようになったが、転機となったのは、企業の新商品である海老のエキスでつくったタバスコである「エビスコ」のパッケージデザインをKANくんに描いてもらったことだ。

「エビスコ」のパッケージ 撮影=近藤ゆきえ

 「5つくらい提案したデザインのなかから、KANが描いた文字が採用されたんです。もちろん障害の有無なんて事前に伝えてはいないんですけど、これはデザインとして使えるんじゃないかと考えるようになりました。いまでは、私が描くよりよっぽど味わい深い文字やイラストを描いてくれるんです」。

制作中のKANくん

 そんなHAHAHANO.LABOのアートプロジェクト「クビかウチクビか」は、開始早々、壁にぶち当たった。KANくんの新しい仕事を探すために始めた企画だったにも関わらず、すぐに再就職先が決まってしまったのだ。「あなた、どうするの?」と問う母親に対して、「じゃあ解散します」と告げるKANくん。こんな感じで親子喧嘩が日常的に勃発してしまう二宮家だけれど、言い争っている最中でも、ふいに飛び出す名言を二宮さんはなんとか書き留めようとしている姿はどこか滑稽だし、想像するだけで笑えてくる。

 結局、「クビかウチクビか」はKANくんに限らず、障害のある人たちの新しい働き方を考えるプロジェクトとして愉快に走り出している。いまでは毎月のように、特別支援学校を卒業して社会人となった10名ほどのメンバーが集まって、近況や自分たちの仕事のことを話し合っているけれど、「きっと、仕事に不満を持っているはずだ」という周囲の大人たちの思惑をよそに、全員が「いまの仕事に満足している」という意見を述べ、二宮さんはあたふたして頭を抱えている。でも、そんな姿がどこか微笑ましくもある。

クビかウチクビか会議の様子 撮影=近藤ゆきえ

 「私がやりたかったことは彼らが叶えてくれました。私にはオリジナリティはないのに、彼らに貰ったものから次々と仕事が来るんですよね。でも、障害のある彼らは評価されたいとは思っていなくって。なんだったら、せっかくの依頼を断っちゃう場合だってありますから。彼らから提供された素材をいじっている時間が、私にとっては至福の時間なんですよね。それに彼らは決断力があるので、デザインに迷ったら相談するんです。それが意外と良かったりもする。そのあたりの生き方や決断力などは信頼していますよ」。

KANくんの文字とイラストを使ったデザイン
KANくんの文字とイラストを使ったデザイン

 二宮さんは、これまでKANくんを育てていくなかで「あなたは障害があって色々できないんだから不幸なことなんだよ」と思わず伝えてしまったことがあるという。そのとき、KANくんは「母さん、俺は幸せですけど、何か?」と答えたんだとか。なんだろう、この肩透かし感は。世の中ではウェルビーイングやダイバーシティなど、様々な横文字が喧伝されているけれど、こんな風に等身大で面白く日々に向き合っている親子っているのだろうか。二宮さんのドタバタでもスーパーポジティブな子育て論は、今後もっと多くの人を巻き込んでいくに違いない。未だ羅針盤の定まらない「クビかウチクビか」のアートプロジェクトだけれど、­静岡鉄道株式会社の共感を得て、障害のある人たちが従業員の悩みに応えるという前代未聞の公開座談会を開催することになった。少しずつ追い風は吹いてきているようだ。いいぞ、もっとやれ。みんなも、ぜひ声援を送ってほしい。