櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:今宵もステージの幕は上がる

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第79回は、手づくりのスナック「ジルバ」を運営し続ける城田貞夫さんに迫る。

文=櫛野展正

城田貞夫さん
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 「どうやって取材先を見つけているんですか?」

 これまで400人以上の市井の表現者を発掘紹介してきた僕が、もっとも聞かれる質問のひとつだ。­いまでこそ、人づてに情報を貰ったり、街で偶然に出会うというスピリチュアルな体験をしたりすることも多いけれど、かつては新聞やテレビなどのメディアを頼りにしていた時期もあった。

 いまから11年前の2013年、僕の地元である広島県福山市のタウン情報誌に「スナックのマスターが『欽ちゃん&香取慎吾の第89回全日本仮装大賞』にて大会最年長の72歳で優勝」という小さな記事が掲載されていた。からくり人形を制作しているという点に興味が湧き、僕はすぐにその店へと向かった。

 JR福山駅から車で国道486号を北上すること30分。のどかな田園風景を走っていると、目の前に倉庫を改修したスナック「ジルバ」が現れる。駐車スペースにもなっている1階に車を停め、入口に近づくと、聖徳太子やホステスなどを模した等身大のカラクリ人形がセンサーに反応し、一斉に音を立てて回り出した。「夜中だったら、確実に逃げ出していた」としばらく呆然としていると、「びっくりしたじゃろ」と金髪の男性が扉を開けて出迎えてくれた。赤いシャツを着たロカビリー歌手のような風貌のこの男性、彼こそがスナック「ジルバ」のマスター・城田貞夫(じょうでん・さだお)さんだ。

スナック「ジルバ」

 扉を開けると、ライブハウスのようなステージ付きの巨大空間が広がっていた。廃品で貰ってきて自分で修理したという巨大なゾウやキリンのオブジェに、誰でも自由に叩けるというドラムセット。そして店内のあちこちには、城田さん自作のカラクリ人形だけでなく、1本の木から彫り出した河童や達磨像などをモチーフにした卑猥なオブジェが至る所に並べられていた。

 「はじめは普通の大黒さんとか恵比須さんとかを彫りよったんですけど、こういう夜の仕事は、そういうまともなんを彫っても、『どっかで買ってきたんだな』という感じでしか見てくれんから。水商売じゃけぇ、下ネタなほうが喜ぶもんで、こういうエッチな人形をつくったり絵を描いたりしよる」。

舞台に立つ城田さん

 城田さんは、広島県世羅郡甲山町(現在の世羅町)で農家の三男として生まれた。小さい頃から工作が得意で、高校を中退して上京し、塗装工場やタクシー運転手の仕事を経て、はとバスの運転手として働いた。そこでバスガイドをしていた奥さんと出会い、やがて田舎が恋しくなり、23歳のときに帰郷。

 地元でもバスの運転手などをしたあと、独学で板金塗装業の仕事を始めた。その頃、近所の人たちとの遊び場にしていた倉庫を使って、趣味で社交ダンスを習い始めた城田さんは、「社交ダンスが終わって、打ち上げで飲んどるうちに、ここで水商売ができるんじゃにゃあか」と一念発起。42歳のとき、倉庫を改修して、スナックジルバを開店したというわけだ。店名の由来は、社交ダンスの名前にあやかってつけたものだが、ハイビスカスの花のような店の看板に見とれていると、「ありゃあ、踊り子のスカートを真下から見たところよ」と教えてくれた。

これらのオブジェもすべて手づくり

 人形制作はすべて独学で、絵を習ったこともない。最初につくったカラクリ人形は、オヨネーズの名曲『麦畑』が流行したときに、嫁(およね)が鎌で夫(まっつあん)の陰茎を切る仕掛けにした。「いけんのはわかっとったけど交差点に飾ったら、小学生にゃあ、ようウケたわ。そのうち教育委員会やお巡りやら来て、半年くらいで撤去されてしもうたけど。あれで、ちょっとは有名にはなったんです」と笑って語る。道路沿いで始めたスナックだったが、「騒音がうるさい」と近所の人たちから苦情が出るようになり、毎日のように警察からも連絡があったそうだ。そこで現在の場所に移転したが、倉庫だったため、城田さん自らが1年かけて改修を手がけた。

 このスナック「ジルバ」を始めて、もう40年になる。夜、スナックが開店し、気分が乗ってくるとステージ上での城田さんのカラクリ芝居は幕を開ける。披露してくれたのは、十八番の「番場の忠太郎」で、奥さんの軽快な前説で舞台の幕は上がる。自ら脚本を書き、照明・衣装・小道具などすべて手づくりという一人芝居は30分にも及んだ。時々、人形と人間の声色を間違えたり、上演するごとにセリフが違っていたりするのは、ご愛嬌だ。ほかにも「姥捨山」「九段の母」「三馬鹿踊り」など、そのレパートリーは幅広く、なかには人情劇もあり危うく涙しそうになるものもあった。

舞台に立つ城田さん

 城田さんは、自転車のハンドルに段ボールや廃材など、なるべくお金を掛けず身近な材料を工夫して、これまで50体以上のカラクリ人形をつくってきた。しかも、スナックという性質上、作品のほとんどがエッチなテーマだったり、性器をモチーフとしていたりする。「こういうことをするのは、余裕がないとできん。昔は食うていくのにようようじゃったけぇな。いま、夜の仕事じゃけぇ、昼間は時間が空くじゃろ」と壊したり、またつくったりしながら、時間があるときに1ヶ月ほどかけて、コツコツつくっているのだとか。

 近年では、かかし祭りでの人形制作や熊を爆竹で撃退する「投げ玉」など、ちょとした街の発明家としても知られている。コロナ禍の際は、石油ストーブの蒸気を利用して、城田さん曰く、「コロナウイルスをやっつけることができる」という装置「コロイチ100%」を発明した。「投げ玉」は実際に熊に試したことはないし、「コロイチ100%」はもちろん効果なんて期待できないだろう。その効果も含めて信ぴょう性が大いに疑われても、皆から許容して貰えるところが、城田さんの愛すべきキャラクターの所以なのだろう。

 アクセス面でも決して便利とは言えない場末のスナックだが、城田さんはいまもお客さんを楽しませるため、人形の制作や新作の芝居の練習を続けている。「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」にも変わらず挑み続け、昨年は大会最高齢となる83歳で出場し、「熱戦!大相撲」という演目で20点満点を叩き出した。僕はそんな城田さんの挑戦し続ける姿勢に心打たれ、あるときは「探偵!ナイトスクープ」で依頼者として宣伝したり、2021年に京都市京セラ美術館で開催された平成年間の美術を振り返る企画展「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989–2019」の中で紹介したりと、様々なメディアを使って後押しを続けてきた。何度かバスツアーも開催し、たくさんの人にスナック「ジルバ」へ足を運んでもらえるよう企画したこともある。ある日のツアーでは、迎えのバスがジルバのトタン屋根を壊してしまい、大きな音を聞いて、ツアー参加者や芝居を終えたばかりの城田さんたちは慌てて外へ飛び出した。詰め寄る城田さんと必死で謝罪するバスの運転手の姿に静まり返るなか、センサーでカラクリ人形が動き出したのは良い思い出だ。僕が転居したあとは、地元のスパイスカレー店がコラボを持ちかけるなど、現在も応援の輪は広がっている。

 これまでの話に象徴されるように、城田さんは、きっと多くの理解されない人たちから非難を浴び続けてきたことだろう。でも、どんなに馬鹿にされても、城田さんは決してやめなかった。そこには、いかなる批判をも打ち返すことができる、表現することの喜びがあるからだ。もう彼の耳には、どんな罵声も届かない。むしろ、あらゆる誹謗中傷が追い風になっているのかも知れない。たまたま情熱を傾けたものが、性的な表現だったに過ぎないのだから。いま、僕らに必要なのは、それらが卑猥な表現だからといって、決して目を背けないことだ。いかなることがあっても自分の信じた道を突き進む、これほど粋な高齢者を僕は知らない。今宵も自作の人形とともに、ステージの幕は上がる。

城田さんの最新作はミックスジュースとかき氷がつくれる自転車