EXHIBITIONS
トルコ共和国建国100周年記念
山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ
ワタリウム美術館で「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」が開催されている。
寅次郎は1866年、上州沼田藩用人・中村家の次男として誕生。15歳のとき、茶道宗徧流七世家元・山田宗寿の養子になり、山田姓となる。東京薬学校(現・東京薬科大学)を卒業後、幸田露伴、尾崎紅葉、福地櫻痴など文化人と交流し、日本初の電話帳といえる「東京百事便」を発行。1905年日本帰国後には、製紙会社を設立し事業家として活躍、57歳には茶道宗徧流八世家元を襲名した。翌年には日土貿易協会を設立し、理事長として晩年まで日土友好に尽くす。
日本に到着したオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号が、帰路の際に台風で乗組員のほとんどが命を落とした事故に山田は心を痛め、義捐金活動を開始した。集めた義捐金を持参しオスマン帝国へと向かった際、オスマン文化の荘厳さと人々の暖かさを目の当たりにした。
本展は、山田寅次郎という明治の人物を介し、日本とトルコという異なる歴史を持つ2つの国が交流する様子を伝えながら、相手の文化を深く尊敬することの大切さを感じる展覧会となっている。
寅次郎は1866年、上州沼田藩用人・中村家の次男として誕生。15歳のとき、茶道宗徧流七世家元・山田宗寿の養子になり、山田姓となる。東京薬学校(現・東京薬科大学)を卒業後、幸田露伴、尾崎紅葉、福地櫻痴など文化人と交流し、日本初の電話帳といえる「東京百事便」を発行。1905年日本帰国後には、製紙会社を設立し事業家として活躍、57歳には茶道宗徧流八世家元を襲名した。翌年には日土貿易協会を設立し、理事長として晩年まで日土友好に尽くす。
日本に到着したオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号が、帰路の際に台風で乗組員のほとんどが命を落とした事故に山田は心を痛め、義捐金活動を開始した。集めた義捐金を持参しオスマン帝国へと向かった際、オスマン文化の荘厳さと人々の暖かさを目の当たりにした。
本展は、山田寅次郎という明治の人物を介し、日本とトルコという異なる歴史を持つ2つの国が交流する様子を伝えながら、相手の文化を深く尊敬することの大切さを感じる展覧会となっている。