2021.4.27

ゴームリーから島袋道浩まで、国東半島でアートを巡る

海に丸くせり出した大分県北東部の国東半島は、日本でも屈指の現代美術のスポットであることをご存知だろうか。アントニー・ゴームリーから今年3月に新設された島袋道浩まで、この地で見られるアートのハイライトをご紹介する。

アントニー・ゴームリー《ANOTHER TIME XX》(2014)
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 大分県北東部にある国東半島はお椀を伏せたような丸い形状をしている。この半島の中心部には両子山があり、その山頂から海に向けて伸びる6つの谷筋に6つの集落(六郷)が形成され、古くから山岳仏教と八幡信仰が融合した「六郷満山(ろくごうまんざん)文化」が根付く。

 神仏習合文化発祥の地ともされるこの地で、「国東半島芸術祭」が開催されたのは2014年のこと。国内外から25組以上の現代美術作家が参加し、豊後高田市と国東市の各所でサイトスペシフィックな展示を行った。このときに設置された作品の一部はいまでも残されており、国東半島の名所となっている。そのなかでもとくに見ておきたいハイライトと、新作をご紹介したい。

熊野磨崖仏

崖の上に立つ「人」

 国東半島でもっともシンボリックな作品は、アントニー・ゴームリーの《ANOTHER TIME XX》(2013)だろう。ゴームリーは、1970年代にインド仏教を学んで以来、自身の体をかたどった鉄製の人体像をつくり続けており、日本でも東京国立近代美術館や東京オペラシティなどでもその立体作品を見ることができる。

山頂に立つアントニー・ゴームリー《ANOTHER TIME XX》(2013)

 《ANOTHER TIME XX》が設置されているのは、修験者たちの修験の場であった切り立った岩場の上。はるか遠く、海まで見渡すことができる絶景スポットだ。629kgもの重量の同作は、時間とともに錆が全身を覆い、徐々に風化していくことが想定されている。

 この作品の設置に関わった千燈寺の住職は、「人間は魂の器。人間の肉体は滅ぶが、実態は存在し続けるということを考えてほしい」と語る。決して易しいとはいえない山道を登りきった先で作品と出会う体験は、ほかでは味わえないだろう。

山頂に立つアントニー・ゴームリー《ANOTHER TIME XX》(2013)

現代の磨崖仏を目指して

 火山によって生まれた国東半島では、いたるところで岩場と出会う。その石質は柔らかく、古来より岩壁などに「磨崖仏(まがいぶつ)」が彫られてきた。一説には、日本の石仏磨崖仏の7割以上が大分県に集中しているとも言われている。

 この磨崖仏から着想を受け、「現代の磨崖仏」を目指したのが、宮島達男の《Hundred Life Houses》(2014)だ。この作品がある成仏地区では縄文時代の出土品が発掘された遺跡に面した成仏地区の岸壁に、宮島は100個のデジタルカウンターを設置した。

 宮島達男 Hundred Life Houses 2014 撮影=久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会

 デジタルカウンターのカウントスピードはワークショップに参加した100名がそれぞれ決めたもので、すべて異なる。命の灯火をイメージした赤黄青の3色のLED。訪問者がいないときでも瞬き続ける作品に、悠久の時の流れを感じたい。

宮島達男 Hundred Life Houses 2014 撮影=久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会

ペトロ・カスイ岐部の運命に着想

 神仏習合文化が色濃い国東半島だが、この地に生まれ、キリシタンとして殉教した人物がいる。それがペトロ・カスイ岐部(1587〜1639)だ。国東半島の岐部地区からローマへと向かったペトロ・カスイ岐部は32歳で司祭に叙階されたが、その16年後に日本国内で禁教が悪化していることに胸を痛めて帰国。しかしながら幕府によるキリスト教弾圧によって命を落としてしまう。

 このペトロ・カスイ岐部の運命に感銘を受け、作品を制作したのが川俣正だ。公共空間に材木を張り巡らせるなど、大規模なインスタレーションで知られる川俣は、ペトロ・カスイ岐部記念公園にある小高い丘に「野外にある教会のような神聖さ」を感じ、そこに《説教壇》を設置した。

川俣正 説教壇 2014 撮影=久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会

 いくつかのベンチと、それを取り囲む回廊で構成されたこの作品は、ペトロ・カスイ岐部に思いを馳せる場所でもあり、人々の語らいの場所。回廊を歩くことで、ペトロ・カスイ岐部の数奇な運命を追体験してほしいという作家の思いも込められている。

環境に溶け込む、島袋道浩の新作群

 海へと丸く迫り出した国東半島を「パラボラアンテナ」としてとらえ、「瀬戸内や海の向こうの南の国、朝鮮半島や大陸の文化が、海を伝って集まる中心地のようだ」と語るアーティスト・島袋道浩。その作品が、今年新たにこの半島に加わった。

 90年代初頭から世界中を旅してその場所に滞在し、そこに生きる人々の生活や文化を取り入れながら、新しいコミュニケーションのあり方を提示するようなインスタレーションなどを発表してきた島袋。

島袋道浩。作品を制作した祇園山入口の鳥居で

 「作品を通じて人々を美しい場所に連れて行きたい」。そう話す島袋が選んだ3つの展示場所はどこも風光明媚で魅力的な場所だ。

 干潮になると島へと渡る道が出現する竹田津地区の馬ノ瀬。その地名をとった《マノセ》は、「石をつむ」「流木をたてる」「穴のあいた石をさがす」という3つのシンプルな文章が堤防に設置されている。

島袋道浩 マノセ 2021

 島袋は「この場所に何か大きなものを置けいてしまうと風景を壊す。どうやって風景を壊さずに作品化できるかを考えた。これらの言葉はより深くこの場所と関係するためのガイド」と語る。

「石を積んだり流木を立てることは人間の意思の始まり、誰かが生きていた証。それは芸術の始まりかもしれない」。

 同じく海が見える来浦(くのうら)地区の来浦海水浴場にある作品も、風景に溶け込んでいる。《息吹》はもともと海へと突き出た突堤にポツンと立っていた使われなくなった外灯を作品にしたもの。日没になると外灯は明りを灯し、人の呼吸のリズムで明滅する。波のリズムと外灯のリズムが混然一体となる。

島袋道浩 息吹 2021 撮影=島袋道浩

 階段がない急斜面を登った頂上に社がある旭日地区の祇園山。島袋は地元の人々と対話し、この山に2つの作品を生み出した。《光る道ー階段の無い参道》は、斜面に沿って設置された手すりによって階段のない参道を際立たせる作品。手すりは夜間にはまばゆい光を放ち、着陸する飛行機からも認識できる。

島袋道浩 光る道ー階段の無い参道 2021 撮影=島袋道浩

 光の参道とも言えるこの手すりを伝い、山を登った先には、日本全国の様々な地域から運んできた石でつくられた環状列石の広場《首飾りー石を持って山に登る》がある。この石の環は、今後ここに訪れる者が持参した石を置いていくことで変化していくという。100年単位で存在し続ける作品だ。

島袋道浩 首飾りー石を持って山に登る 2021 撮影=島袋道浩

 国東半島にはこのほか、新作として淀川テクニックが1ヶ月強滞在し、周辺の海岸から漂流物を素材に制作した《国東半島のラクダ》や、「地球と遊ぶ」をテーマに自然現象を利用した作品を手がける木村崇人の《太陽と坐る》などが新作として誕生した。

 豊かな自然と神仏習合文化を色濃く感じられる国東半島。その歴史を踏まえて設置されたアートの数々をめぐり、その魅力に触れてほしい。

淀川テクニック 国東半島のラクダ 2021
木村崇人 太陽と坐る 2021