パープルーム予備校が目指すもの
【梅津庸一インタビュー・後編】
私塾「パープルーム予備校」を拠点とするアーティスト・コミュニティ、パープルーム。前編では、パープルームを主宰する梅津庸一を迎え、パープルームの活動に至るまでの経緯や、受験教育と美術作品の切り離せない関係について話を聞いた。後編では、パープルーム予備校の日常や今後について、梅津に加え、パープルーム予備校生のアラン、安藤裕美にインタビューする。
パープルーム予備校の、濃厚な学校生活
──前編では、梅津さんが大学在学中から感じていた美術教育への疑問が、パープルームの立ち上げにつながっていく過程や、受験制度が作家に与える影響について話してもらいました。これからは、実際のパープルームの活動や、予備校の様子についてお聞きしたいと思います。現在パープルームに集まっている人には、美大出身でない人も多いのでしょうか?
梅津 そうですね。いま、全部で20人ほどが出入りしていますが、意図的に約半数は美大出身でないようにしています。予備校生は5人で、その内訳は本当の予備校から連れてきた生徒が2人(安藤裕美さん、高島周造さん)、大学院を休学中のアラン君、島根から家出してきたあま君、講習生が1人です。
──普段のパープルーム予備校はどういった様子なんですか?
梅津 僕が部屋で裸で寝てるとアラン君が起こしに来たりと、家族を超えています。
アラン 僕は鳥取からパープルーム予備校の隣のアパートに引っ越してきました。パープルーム予備校の授業で、深夜の3時とか4時まで梅津さんと話し合ったりして、もう一緒に暮らしているような感覚です。僕は作家を目指していて、今はどういう方向でやっていくかを探りながら作品をつくっています。
梅津 カリキュラムはありますが、通常の予備校ほどきちんとしたものではありません。予備校自体が僕の家なので、ワンフロアの中に予備校と家がごちゃごちゃに混ざっていて、雑多な感じです。この前は、カオス*ラウンジとの合同企画で、合同講評会をやりました。30人以上の人が相模原のパープルーム予備校に来ました。 安藤:その場にいると、これは本当に美術運動なんだな、という実感がわくくらいの熱気でした。
普段も、他の人の描いているところが気になって、いきなり講評が始まったり、みんな淡々と描いているだけじゃなくて、ひとつの渦みたいなものが生まれています。パープルーム予備校の様子を表現した絵や群像画もたくさん描かれています。 例えば、予備校生と、二艘木洋行さん、qpさん、平山昌尚さん、鋤柄ふくみさんといった出自の異なる作家が同じ空間で作品をつくる。するとそこでそれぞれが持っているエッセンスが花粉のように空間に充満し、交配され、新しい様式が生まれます。予備校生はそれによって影響を受けますし、その逆もあります。その交感のスピードや密度は、なかなか他で見られるものではありません。そのなかで、印象派や外光派といった絵画様式にあたるような絵画言語が生み出されつつあります。パープルームは、日本に久しぶりに登場した、様式を伴う絵画運動といえるかもしれません。
また、KOURYOUさんに依頼するかたちではじまったパープルームのHP(http://www.parplume.jp)も、パープルームを語る上で欠かせません。これはKOURYOUさんの作品としてつくられた、リアルとは別次元のパープルームの世界。理念は違えど、素材やアイデアがパープルームとシェアされている感じが面白いと思います。
かたちを変えて続いていく、「パープルーム」の意思
──今後は、どのような活動を?
梅津 例えばいま、洋画は現代美術と断絶してしまっていて、埋もれてしまいがちですが、パープルームをきっかけに再浮上させていきたいです。「洋画再興」だとか、ノスタルジックな意味ではありません。埃っぽい洋画ではなく、埃を払ったり、埃自体を抽出したり、というイメージです。そのためのテキストを、自分たちで書いたり、書いてもらったりもしたい。 岸井大輔さんの《アジアで上演する》(*1)ともリンクするところがあるかもしれないですね。 パープルームは、美大みたいに大きな機関にはもうできない、スタンダードなものを目指したいと考えています。洋画を扱うこともそうですが、乙うたろう君と藤城嘘君の違いと、佐藤克久君と髙木大地君の違いと、ヴァルダ・カイヴァーノとヴィクトリア・モートンの違いが、等価に全部わかるというような感覚です。 小さくて小回りのきく組織として、マーケットのパワーに頼るのではなく応援してくれる人たちと協力して、すでに権威を獲得した人たちにはできないことを、知的に、マニアックにやっていきたいです。 また、パープルームを、変形することなく運動体ごと国外に持ってきたいと計画しています。この運動を秩序ごと体験してもらうことで、海外の人たちにもプレゼンしたい。そのために協力者を見つけつつある段階です。
──パープルームの目指すものを実現するには、ある程度の時間が必要だとも思います。一方で、こういった活動は、あまり長く続かない場合や、長く続くことが良いわけではない場合もあると思います。その点はどうですか?
梅津 いまのまま維持しようとは思っていません。昔の美術運動もそうですけど、変化したり、分かれていったりしても、存在したことで良い影響を残せればいいと思っています。もしかしたら、あと1、2年で終わってしまうかもしれませんが、だからといって今考えていること自体が終わったりはしない。かたちを変えるだけです。
安藤 わたしはナビ派が好きなんです。ナビ派は10年くらい続いて、みんなで展覧会をやってそれきりで解散したグループです。そういうあり方はパープルームとも重なるところがあって、面白いなと思います。それにドニ(*2)は絵も描くし文章も書くので、梅津さんはドニかな。
梅津 安藤さんは、作品的にも思考的にもパープルームの栄養分を一番吸っていると思います。僕がパープルームらしくないことを言うと突っ込みを入れてきたりもするし、最近は、パープルームはもう自分がいなくても回るなあと思ったりもします。
美術運動であると同時に、不定形の共同体
──美術予備校や美大での教育と、アーティストをつくる教育は違うと言われます。改めて、アートシーンにおけるパープルームの立場とはどのようなものなのでしょうか?
梅津 パープルームは、作家を育てる教育と通常の美術教育のあいのこです。学校というかたちの美術運動であり、不定形の共同体でもあります。美術教育は、良い教育をしたから良い作家ができる、という工場みたいなものであっては困ると思うし、教育と美術の関係に切り込みたくてやっている部分もあります。 マーケットを想定した教育では、作品が簡単になってしまって、作家としての寿命が短くなってしまいます。パープルームは、速攻でマーケットで通用するかはわからないけども、絶対に本物の作家が出てくると思っています。というのは、僕一人がパープルームを担っているからではなくて、いろんな作家が互いに敬意を持って協働できているからです。 そもそも僕は、教育というものには懐疑的なんです。大事なのはむしろ、美術予備校や近代というものをどう解釈しどう実践するか、そして、それを見立てとしてどう使うかということです。美術運動も、日常も、作家性や作品も、メディウムのひとつに過ぎません。作家はキャラクター、作品はキャラクターグッズ。すべては物語を生成するための素材であり、設定であるととらえています。
脚注
*1—— 岸井大輔《アジアで上演する》(2014-2015)は劇作家の岸井による、表現において西洋に対するアジアに向き合うアーティストたちの発言を記録、交流し、上演を行うというプロジェクト。
*2—— モーリス・ドニ(1870-1943)はナビ派を代表する画家。理論家でもあり、近代絵画に関する考察を行った。