2024.12.7

CAFAA賞を受賞し、ブルックリンでの滞在研究を経て得たこと。髙橋銑(アーティスト)×斯波雅子(BEAF主催)対談

CAFAA賞2023グランプリに選ばれ、アメリカNYのブルックリンで滞在研究を行った髙橋銑。現地でホストを務めた非営利団体「ブルックリン実験アート財団」(BEAF)主催者で、CAFAA賞2023の審査員を務めた斯波雅子とアーティストの髙橋に話を聞いた。

文・ポートレイト撮影=中島良平

斯波雅子(左)と髙橋銑
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 公益財団法人 現代芸術振興財団(CAF)は、展覧会事業や表彰事業を通して現代アートの普及に寄与している。次なる世代の柱となる才能あるアーティストを選出し、国際的に活躍するきっかけを提供することをミッションに、CAFAA賞(CAF・アーティスト・アワード)が2015年に創設された。応募対象となるのは、美術大学などの教育機関を卒業して5年から10年程度のアーティスト。CAFAA賞の受賞特典は、賞金300万円に加え、3ヶ月にわたりニューヨーク・ブルックリンで滞在研究/制作ができることだ。

 CAFAA賞2023グランプリに選ばれたのは、近現代彫刻の保存修復に携わり、その視点を反映させながらアーティストとして自身の作品制作を続ける髙橋銑(せん)。同賞の審査員を東京オペラシティ アートギャラリーシニア・キュレーターの野村しのぶ、インディペンデント・キュレーターの吉竹美香とともに務め、髙橋のブルックリン滞在でホストとなった非営利団体「ブルックリン実験アート財団」(BEAF)の主催者でもある斯波雅子とアーティストのふたりに話を聞いた。

CAFAA賞の選考

──まずCAFAA賞の概要を理解するために、斯波さんはどのように作家を選ばれたのか、選考基準を聞かせていただけますか。 

斯波雅子(以下、斯波) 今回の公募は、教育機関を卒業して5から10年以内で、いまサポートをすることで今後どう活動を展開していくのか、分岐点に立っているような作家が対象です。私が今年、アーティストのケビン・ハイスナーと共同で立ち上げたBEAFのミッションは、文化交流を通したアートの発展と、日本の新進アーティストの活動の展開の一助となることなので、CAFさんにはとても共感を覚えています。そうしたミッションを念頭に置くと、ありとあらゆる体験に対してオープンに受け入れられ、探究心があって、そこでしか出会えないものに対して関心を向け、自分が変化することを楽しめることが作家として大事なのではないかと考えました。

斯波雅子(右)

 また、レジデンシーのホストとして受け入れる側としても、ブルックリンのコミュニティに影響を与えられるようなユニークさを持っているような作家を想定しました。野村しのぶさんと吉竹美香さんと一緒に審査を行い、どういった方が一番サポートを受けて飛躍的な展開をするかと考えたときに、物事に対してとても真摯に対峙し、コンセプチュアルでユニークな活動をしている髙橋さんがいいのではないかと意見がまとまりました。

──髙橋さんは応募にあたり、ご自身のどのような点をアピールしたのでしょうか。 

髙橋銑(以下、髙橋) 初めはとにかく、美術作品の保存修復をバックグラウンドに作品を制作しているアーティストは、世界的に見てもユニークな存在なんだということを伝えようと思って面接に臨みました。若干肩に力が入っていたのかもしれません。しかし、実際に会場に来たら審査員の3名がすごくリラックスした空気で迎えてくださったので、来る前に考えていたことはもちろん話しましたが、肩の力も抜けて、これまでにつくった作品や自分が考えていることなどについて自由に話すことができました。

髙橋銑

斯波 もしかしたら、そこが決め手だったのかもしれません。自分はこうしなければいけない、というふうに決めてきている人だと、行った先で新しいものや考えと出会ったとしても、自分を変化させることができませんよね。多分面接の場で話をしながら、そういうことが伝わったのではないかと思います。

ニューヨークでの滞在研究

──柔軟に対応できて、フットワークよく動いていける作家のほうが、現時点の自分の考えに縛られることなく表現を発展させられそうだと期待できますよね。髙橋さんはニューヨークで滞在研究を行うにあたり、斯波さんにどのようなリクエストをされましたか。

髙橋 まず、自分が修復についてメインで学んだ分野がブロンズ彫刻だったので、パブリック・アートのブロンズ彫刻の修復について知りたいと思いました。個別の作品がどのように修復されているかということよりも、アメリカの修復家の方々がどのように仕事をしていて、ベースにどのような考え方があるかに興味があったので、日常の現場を見てみたいというリクエストを出しました。

 そうして修復をしている現場を訪れることに加えて、作品を管理している財団であったり、修復した作品が集まるオークションの現場であったり、さらにはニューヨークでブロンズが実際につくられている現場であったり、色々枝分かれしながらリサーチ対象を斯波さんにご提案いただいて、様々な場所を訪れることができました。40ヶ所近くのアポイントメントを取っていただいたんですよ。

ニューヨークで訪れた鋳造所 撮影=斯波雅子

斯波 おかげさまで私もだいぶ修復のことに詳しくなれました(笑)。実際にご一緒して、私としても色々と興味深かったです。ニューヨークでしか出会えないような修復や制作の現場はもちろんですが、世界最大のアジア東洋美術の集まるイベントで古美術の保存や修復を見ていただいたり、タイム・ベース・アートを中心とした河原温さんの作品を保護してアーカイヴする「ワン・ミリオン・イヤーズ・ファウンデーション」という財団を訪れたりもしました。河原さんの作品をアーカイヴするとはどういうことだろう、というのは非常にコンセプチュアルな問いだと思いますし、ブロンズなどから派生して、保存修復の概念について考える機会となるのはとても貴重な機会だと私も感じました。

髙橋 保存修復の現場に行くと、修復を通して作品の裏側までが見えてしまう楽しさがあるんですね。作家がどのようにその作品と向き合っていたのか、驚きを得られることもあるのですが、河原温さんの財団を訪れたときもそういった意味も含めてとても印象深かったです。河原温さんの「デイト・ペインティング(*)」のシリーズがありますよね。僕は、かなり作業的に制作した作品だと思っていたんですけど、下地の層の塗り方やキャンバスのつくりなどを見ると、絵画として描いていたとしか考えられないんです。絵画として描かない限り、こんな面倒なことをする必要はないだろうという工程が、ちゃんと痕跡として残っているのです。そういうのを見ると、作品に対する見方がすごく変わります。

ワン・ミリオン・イヤーズ・ファウンデーションを訪れた髙橋 撮影=斯波雅子

斯波 こちらの財団はご遺族の方も入られて運営されているのですが、彼らが極力私観を介入させない、とてもストイックな姿勢で作品の研究やアーカイブをされていることがわかります。

髙橋 河原温さんに限らず財団のスタッフの方にお会いすると、作家の人間性ではなく作品がもつ気配のようなものが、そのままスタッフの方々の空気感になっているように感じることがありました。作品から受ける印象と同じものを財団の空気からも感じるといいますか。作品を保存することと真摯に向き合われているから、自ずとそうなってくるんだろうなと感じられたのはとても貴重な体験でした。やはり、実際に行かないとわからないことだったと思います。

*──「Today」シリーズの別称。ダークグレーの背景に白抜きで年月日の文字を描いた連作絵画。 

──実際に行かないとわからないことには、数多く出会ったのではないでしょうか。

髙橋 ブロンズや野外彫刻については、人よりは知っている状態だと思っていましたが、まだまだ知らないことばかりだと、身の引き締まる思いができたことはまず大きいです(笑)。あとは、やっぱり実際に作品を見ることが重要だと本当に感じました。MoMAやメトロポリタンなどで有名作品をきちんと見ることは大切だと思いましたし、ディア・ビーコンに行った印象も凄まじかったです。

 コンセプチュアルで大規模な作品を多く収蔵している美術館なのですが、そういった類の作品は、そのまま保存されたり、誰かの手に渡ったりすることが難しいと考えられています。その考えが前提にあると、アーティストとしても制作にブレーキをかけてしまいがちになってしまう。しかし、実際に作品がそのまま所蔵され、展示されている様子を見たことで、自分の制作の可能性をもっと広げていけるのではないか、心にあったブレーキも発想を変えればはずすことができるはずだ、と考えることができました。ディア・ビーコンでそれを肌感覚で知ることができたのはとても大きかったです。

ディア・ビーコン、ルイーズ・ブルジョワ《Crouching Spider》(2003) 撮影=斯波雅子

──アーティストとして制作を続けるうえで髙橋さんの視野がどう広がるか、そのキーワードが保存修復だというのがとても興味深く感じます。 

髙橋 保存修復と関連して、ブロンズ鋳造所に連れて行っていただいたんですが、そこの職人のお父さんからも色々と感じるものがありました。というのが、僕の父が保存修復家だったんですよ。父の手ほどきを受けて美術に関わり始めたので、やはり鋳造所で、影で文化を支えてきた人たちの生き方や態度を見ると、言葉にできない痺れるものがあります。ニューヨークの大都会にもそういう方がひっそりと仕事をされていて、戻ってから父との接し方も少し変わったというか、父のやってきた仕事のことをもっと理解できたらいいなと思えるようになりました。

斯波 髙橋さんの人間力というと簡単になってしまいますが、とても真摯に向き合っていらっしゃることが相手にも伝わるから、裏側まで見せてくださるし、一般的に知られていないような作家の裏話などを聞くこともできたのだと思います。オープンな態度で、スポンジのようにいろいろな情報を吸収していただくことが大事だと思っていたので、滞在研究の機会として有効に活用していただけた実感があります。

──滞在期間に得たものは、どのように記録したのでしょうか。

髙橋 空いた時間に週報というかたちでテキストに書いて残したのですが、日々受け止めたこと、感じたことを斯波さんと話す時間はとても大切でした。日々本当にサポートしてくださって、僕が話したことから次のリサーチ対象を提案していただけて、内容の濃い滞在になりました。

斯波 訪問先で話が盛り上がって滞在時間が2倍かそれ以上になることもよくありましたし、あまりにもスケジュールが密に入っていたので、定期的に休める時間を大事にしました。咀嚼という言葉をよく使ったのですが、この滞在研究が髙橋さんの今後の活動にどのようなかたちでか反映されるはずだと思うのですが、そのためには咀嚼する時間が必要です。 

滞在を終えたあとの活動

──ニューヨークでの滞在を終えてからの話を伺えますか。 

髙橋 ニューヨークに行ってから、イギリスに行く機会がありました。とりあえず色々と作品を見ようと思いました。大英博物館やテートなどをベタな場所だと敬遠せず、そうしたところに行くこともすごく大事だというのがニューヨークでよくわかったので。それと、ニューヨークで過ごすうちに気づいたことがあって、最初は日本とどんなところが違うかという尺度で過ごしていたんですが、初めのうちは違いから刺激を受けていても、段々とそこに心が動かなくなってくるんですよ。でも逆に、日本と一緒のことに目を向けていると、自分の日常と共通した輪郭をつかめたうえで、何が違うのかがより明確に見えてくるような感覚がありました。そんな意識をもってイギリスで過ごす時間は面白かったです。 

イギリスの風景 撮影=髙橋銑

──具体的に気づいたことなどはありましたか。

髙橋 イギリスでは土木のことをよく考えていました。現在のイギリスには多分、本当の原生林のような自然はほぼ残っていないと思うんですね。風景を眺めながらそれを感じたのですが、おそらく産業が発展した時代に山を切り崩して、資源として使ったのではないかと。日本もやはり、縄文時代からの流れで、たたら製鉄で山を切り崩しているので、やはり自然と思われている風景の多くが土木の帰結だと思うんです。見たものに対して色々な感度の働かせ方をする、ということを知らない土地で実践する意識は、ニューヨークでの滞在を通して得た根本的なものだと思っています。

──アートに対しての見方にも変化はありましたか。 

髙橋 イギリスのあとに直接日本に帰らず、アムステルダムに立ち寄ったのですが、マリーナ・アブラモヴィッチの個展が開催されていたんですね。ニューヨークで保存修復についてリサーチを続けながら、パフォーマンス作品はどう保存されるのかということにずっと疑問を抱いていたんですね。アブラモヴィッチは自分のアカデミーを持っていて、そこでお弟子さんたちが彼女の手ほどきを受けてひたすらパフォーマンスのトレーニングを続け、お弟子さんたちはアブラモヴィッチのDNAを受け継いで再現しているんです。完全に一緒ではないかもしれないけど、実際にアムステルダムでお弟子さんたちのパフォーマンスを見たときには、やはりアブラモヴィッチの作品を見た感動がありました。

アムステルダム国立美術館、修復を終えたレンブラント《夜警》 撮影=髙橋銑

 パフォーマンスを保存する方法として、自分のDNAがガッツリ入った弟子を残し、アカデミー設立によってその系譜をつくっていくというアブラモヴィッチの方法は、面白いし強固だと感じました。実際にその成果としてのパフォーマンスを目の当たりにして、自分の中の疑問と向き合えたのは、ニューヨークで様々なメディアでの保存修復の現場に触れた経験がすごく影響したと思っています。

──今後の制作活動の展開も楽しみにしています。

髙橋 作品制作において、保存修復に携わってきて得た技術を使うことはよくあります。例えば、本物のニンジンを腐らないように保存する「Cast and Rot」というシリーズの作品があるのですが、作品としてそのニンジンを立てた状態で見せようとすると、何かに据える必要があります。安定して立ってくれないといけないし、その据えるための什器のようなものが目立ってもいけない。それをオブジェとして機能させ、ニンジンと合わせて作品とするのですが、そういうものの制作には保存修復の技術を活用しています。

 保存修復は美術においてとても大切なものですが、鑑賞者にはあまり知られていない分野ですよね。もし自分が作品を通して、美術を鑑賞する文化に保存修復への視点をもたらすことができたら、すごく大きな成果になると思っています。そういうかたちで美術鑑賞史に貢献したいですし、ニューヨークでの滞在経験は反映されると思っています。