2024.11.1

近代工芸の巨匠・香取秀真。松本市美術館で見るその哲学

近代日本の工芸界において大きな足跡を残した香取秀真(かとり・ほつま)。その生誕150年、没後70年という節目の年に、大規模な展覧会が松本市美術館で開催されている。会期は12月1日まで。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「生誕150年/没後70年 金工の巨匠 香取秀真展」の展示風景より
前へ
次へ

金工の巨匠、香取秀真の珠玉の作品が一堂に集結

 近代工芸史に大きな足跡を残した鋳金家・香取秀真(かとり・ほつま、1874~1954)。その生誕150年、没後70年を記念した大規模な展覧会が松本市美術館で行われている。会期は12月1日まで。

 香取秀真(本名・秀治郎)は1874年、千葉県に生まれ、92年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学。鋳金を専門とし、伝統的な技法を身につけつつも、時代の要請に応じた実用性を重視した作品を数多く手がけた。卒業後は多数の展覧会で受賞を重ね、鋳金家としての名声を確立する。

 本展は、秀真の代表作や松本市との縁を示す作品が一堂に集結し、その多彩な活動と芸術の幅広さを紹介するもの。担当学芸員は稲村純子(松本市美術館学芸員)。

展示風景より
展示風景より

 展覧会は、「はじめに」「多彩な活動」「秀真と松本」「秀真の真骨頂」と大きく4つの部分に分けられている。「はじめに」では、秀真が日本や東洋の古典的な文様やかたち、古代の金工品の研究を通じて、伝統を活かしながらも時代の感覚を取り入れてつくり上げた作品を紹介している。

 例えば、古代の鏡の文様を模倣した作品や中国の古代器である鼎(てい)のかたちをもとにした香炉、そして8つの縁を持つデザインや二羽の鳥、瑞花や瑞鳥などの吉祥文様が施されている《鳥花文八稜鏡》(1929、千葉県立美術館蔵[北詰コレクション])などは、「はじめに」の部分で見ることができる。また、茶釜や鉄瓶といった日用品、東京国立博物館や千葉県立美術館にも所蔵されている花瓶などの作品には、繊細で美しい文様が施され、日常のなかに芸術を取り入れるという秀真の哲学が表れている。

展示風景より、鼎(てい)のかたちをもとにした香炉の作品
展示風景より、《鳥花文八稜鏡》(1929、千葉県立美術館蔵[北詰コレクション])
展示風景より

 秀真は作家としてだけでなく、東京美術学校で教鞭を執り、多くの後進を育てた教育者でもあった。また、日本の工芸界全体の発展にも尽力し、金工の研究に関する40冊以上の著作を発表するなど、日本金工史の研究において先駆的な存在だった。その功績が認められ、1953年には工芸家として初の文化勲章を受章している。

 セクション「秀真と松本」では、秀真と松本との深い関わりに注目している。秀真の4人目の妻・たけ江が現在の長野県塩尻市出身であったため、昭和初期から松本方面を度々訪れるようになった。また、池上喜作や胡桃沢勘内など松本の文化人たちとは親交が深く、1944年、太平洋戦争の激化に伴い、秀真一家は松本市郊外にも疎開していた。

 疎開中、金工品の制作が困難だったため、秀真は主に書画を制作した。それらの作品の一部は現在、松本市美術館の池上百竹亭コレクションに所蔵されており、本展で展示されている短歌や書画は、松茸狩りの思い出など、工芸作品とはまた異なる秀真の芸術の一面を垣間見ることができる。

「秀真と松本」セクションの展示風景より
「秀真と松本」セクションの展示風景より

 最後のセクション「秀真の真骨頂」では、秀真の代表作が集結している。秀真は伝統的なかたちや文様を踏襲しつつも、装飾をそぎ落とし、シンプルで力強い造形を追求した。とくに動物をモチーフにした作品が多く、そこには秀真ならではの洗練された美学が感じられる。

 同セクションで展示されている《鳩香炉》(1949)は、東洋の伝統的な文様を取り入れつつも、アールデコの影響を受けた西洋のエッセンスが融合された作品。また、ほかの動物をモチーフにした作品群も非常に豊かで繊細な表情が特徴的であり、東洋と西洋の美を巧みに組み合わせた秀真の金工技術を存分に感じとることができる。

「秀真の真骨頂」セクションの展示風景より、《鳩香炉》(1949、千葉県立美術館蔵)
「秀真の真骨頂」セクションの展示風景より

草間彌生の代表作や初期作品が楽しめる特集展示

 香取秀真とともにぜひ見ておきたいのが草間彌生だ。松本市は、世界中で絶大な人気を誇る草間彌生の生誕地としても知られており、松本市美術館では世界的にも屈指の草間の常設作品展示を鑑賞することができる。

 同館は、2002年の開館時から草間の多くの作品を所蔵し、展示を行ってきた。21年に行われた大規模改修工事を経て、現在も「草間彌生 魂のおきどころ」というタイトルのもと、草間の代表作を通年展示している。この展示は年に4回の展示替えが行われており、最近の展示替えでは、草間の彫刻や初期の平面作品が更新され、訪問者に新たな視点を提供している。

 例えば、《月の夜》(1985)と題された作品は、草間がニューヨーク時代に取り組んだソフト・スカルプチャーと、日本で再び重要なモチーフとなった植物が組み合わさったもの。草間にとって植物は幼少期の記憶や日本の自然に根ざした大切なテーマであり、詰め物をした突起物状のソフト・スカルプチャーが集合し、ペイントされたこの作品は、草間が生まれ育った環境とニューヨークでの経験が融合したものであり、その創作の軌跡を感じさせる。

展示風景より、《月の夜》(1985) All images © YAYOI KUSAMA ※画像転載不可

 また、草間の初期作品も今回の展示替えで新たに公開されている。19歳頃に描いた《花の精》(1948頃)や紙に描かれた《(無題)》(1952)などは、草間の若い頃の技法や表現が垣間見られる貴重な作品であり、縁取るような描き方は現在の作品にも共通する手法として続けられている。

 草間がニューヨークから日本に帰国し、心身ともに疲弊していた時期に制作したコラージュ作品《闇に埋れる我青春》(1975)は、その心象風景や苦しみがリアルに表現されている。2010年の作品《燃え上がる恋の記録》には、草間の20代前半の松本時代から共通するテーマである「渦巻くイメージ」が描かれており、このテーマは、草間の制作姿勢が現在まで脈々と続いていることを象徴し、幼少期の記憶や純粋な表現が現在の作品に影響を与えている様子が見てとれる。

展示風景より、右は《燃え上がる恋の記録》(2010)。左は初期作品群

 これら新しい展示作品に加え、同館では草間の代表的な作品群も引き続き展示されている。展示室を囲む鏡張りの壁に無数のシャンデリアが映り込む《傷みのシャンデリア》(2011)や、草間の代表的な「インフィニティ・ミラールーム」シリーズの《魂の灯》(2008)、同タイプの黄色いかぼちゃの彫刻のなかでは最大のサイズを誇る《大いなる巨大な南瓜》(2017)などでは、草間の芸術的な独創性と生命力が強く感じられる。

展示風景より、《傷みのシャンデリア》(2011)
展示風景より、《魂の灯》(2008)
展示風景より、《大いなる巨大な南瓜》(2017)

 そして、美術館の入り口に立つ高さ10メートルを超える巨大なパブリック彫刻《幻の華》(2002)は、世界中から訪れる鑑賞者を迎える作品。同作は草間の野外彫刻としては世界最大規模を誇り、同館の開館を記念して制作された。同館建物のガラスファサードは、高さ14メートル、長さ46メートルにおよぶ作品《松本から未来へ》(2016)が飾られており、草間の特徴的な水玉で覆われた作品は、力強く成長する生命のエネルギーが表現されている。

美術館正面にある《幻の華》(2002) 画像提供=松本市美術館
ガラスファサードの作品は《松本から未来へ》(2016) 画像提供=松本市美術館

 松本との深いつながりを持ちながら、日本工芸史に名を刻んだ香取秀真の軌跡をたどる「香取秀真展」と、草間彌生の創作活動を初期から現在まで幅広く紹介する特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」。松本市美術館を訪れる機会があれば、このふたりの巨匠の作品とその背景にある物語に触れてみてはいかがだろうか。