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2019.2.3

不可能な建築が伝えるものとは? 「インポッシブル・アーキテクチャー」展が埼玉県立近代美術館で開幕

20世紀以降の国内外のアンビルト(=未完)の建築を「インポッシブル・アーキテクチャー」と定義した展覧会が、埼玉県立近代美術館で開幕した。不可能な建築は現代において何を伝えるのか?

会場風景より、手前は野口直人建築設計事務所によるウラジミール・タトリン《第3インターナショナル記念塔》の模型
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 建築の世界において、「アンビルト」の言葉で語られてきた未完のアイディア。埼玉県立近代美術館で始まった「インポッシブル・アーキテクチャー」展は、こうした未完の建築群を展覧会タイトルにある通り「インポッシブル・アーキテクチャー」として紹介するものだ。

 2016年から準備が進められてきたという本展の発案者は、同館館長・建畠晢。監修者は東北大学教授・五十嵐太郎が務める。

会場風景

 本展において、「アンビルト」ではなく「インポッシブル」という言葉を使った理由について、「建築の不可能性を追求する先に見えてくる可能性を掬い取る」という狙いがあると建畠は語る。「インポッシブルはポッシブルの対概念であり、インポッシブルがあるからポッシブルが誕生するのです。大きな射程を持った言葉としてインポッシブルがあります」。

 通常、建築展を会場に落とし込む際は、本物の建築(オリジナル)に対する二次資料(模型や図面、映像)などを展示するしかない。しかし「インポッシブル・アーキテクチャー」はそもそも実物がないため、オリジナルのアイデアのみが会場に展示されることになる。こうした建築家のアイデアそのものを持ち込むことができる「インポッシブル・アーキテクチャー」こそ、「美術館がもっとも取り組むべき建築」だと建畠は話す。

 いっぽう五十嵐は本展の意義についてこう語る。「建築には大胆な構想力と、コミュニティ・デザインにあるような日常に根付いたものの両輪がある。東日本大震災以降、後者には注目が集まっているが、前者は力が失われているのではないでしょうか。本展を、大胆な構想を社会に向けることについて考えるきっかけとしたい」。

会場風景

 今回の展覧会で紹介されるのは、日本と欧米の約40組による20世紀以降から2010年代までの「インポッシブル・アーキテクチャー」。会場に章立てはなく、プロジェクトはほぼ時系列に紹介されている。そのなかでも大きなポイントとなるのが、最初と最後の作品だ。

 展示の最初を飾るのは、建畠が本展構想のきっかけになったと話す、ウラジミール・タトリン《第3インターナショナル記念塔》(1919-1920)だ。本作は、当時世界でもっとも高い建築物であったエッフェル塔の300メートルをしのぐ400メートルの螺旋構造建築物。3層に積み重なった立方体と三角錐と円柱が、それぞれ異なる周期で回転するというこの塔は、当時の技術では到底実現不可能だった。本展ではその図面のほか、本展のために制作された500分の1の模型などが並ぶ。

会場風景より、野口直人建築設計事務所によるウラジミール・タトリン《第3インターナショナル記念塔》の模型

 そして本展を締めくくるのは、本展の構想を決定づけたというザハ・ハディドによる新国立競技場のプロジェクト。「アンビルトの女王」と呼ばれたザハのプランは、一度は採用されながらも日本側からの一方的なキャンセルによって、そしてザハの死によって「インポッシブル・アーキテクチャー」となった。ザハ案の新国立競技場は、すでに実施設計が完了しており、実現可能だった。そのことを示すため、300分の1スケールの模型のほか、膨大な量の設計資料が展示されている。多くの日本人が目撃したであろうこの顛末を、建畠は図録の中で「実現しえなくなったことが、彼女のプランを、想像力のうちに成立するすぐれて同時代的なモニュメントたらしめているはずだ」(原文ママ)としている。

 なお本展では建築家だけでなく、アーティストたちによる作品にも注目したい。

 全長13メートルにおよぶ荒川修作+マドリン・ギンズの《問われているプロセス/天命反転の橋》(1973-1989)の模型は、フランスのエピナール市のモーゼル河にかける橋として構想されたもの。21もの異なる装置が連なるこの構想物は、そこを通り抜けると人間の感覚が刷新されるというものであり、実現はされなかったものの、後の《養老天命反転地》(1995)などに引き継がれていった。

荒川修作+マドリン・ギンズの《問われているプロセス/天命反転の橋》(1973-1989)の模型

 山口晃会田誠の2人も重要な役割を果たしている。山口は2012年に《新東都名所 東海道中 日本橋 改》として、日本橋の上を走る高速道路のさらに上に太鼓橋を掛けるという東京の風景を提示した。また会田は同様の構造物を「ニセ口晃 こと会田誠筆」による《シン日本橋》(2018-2019)として2018年の「GROUND NO PLAN」展(青山クリスタルビル)で発表している。五十嵐はこの2人の大胆な都市論を、「暴論だが、いまの建築界に失われているもの」であり「社会への批評性もある」と評する。

会場風景より、左から山口晃《新東都名所 東海道中 日本橋 改》(2012)、会田誠《シン日本橋》(2018-2019)

 この2人の作品は、もちろん実物の完成を目指したものではない。しかしそのことが本展では重要であり、本展が示す「インポッシブル・アーキテクチャー」には、「目指したが様々な制約によって実現しなかったもの」「未来に向けて夢想されたもの」、そして「既存の制度に対して批評精神を打ち出す点に主眼を置いたもの」が含まれている。

 建築の不可能性に焦点を当てることで、逆説的に建築の可能性の極限を探ろうとする今回の試み。美術館ならではの建築展にぜひ足を運んでみてほしい。

会場風景より、手前から菊竹清訓《国立京都国際会館設計競技案》の100分の1模型(制作=早稲田大学古谷誠章研究室)、黒川紀章《東京計画1961-Helix計画》の模型