「TOKYO 2021」の美術展がスタート。黒瀬陽平が提示するこの国の災害と祝祭
建て替え前の戸田建設本社ビル(東京・京橋)で開催されている、アーティストの藤元明の企画によるアートイベント「TOKYO 2021」。建築展に続き、9月14日からキュレーターに黒瀬陽平、会場設計に西澤徹夫を迎えた美術展が始まった。日本の未来の展望を試みる美術展、そのハイライトをお届けする。
戸田建設本社ビル(東京・京橋)を舞台にしたアートイベント「TOKYO 2021」。このイベントは、東京オリンピック・パラリンピック以降の日本を考える機会として、アーティストの藤元明により企画されたもので、建築展と美術展から構成されている。
8月3日〜24日にかけて開催された建築展に続き、9月14日より始まった美術展「un/real engine――慰霊のエンジニアリング」では、「SiteA 災害の国」と「SiteB 祝祭の国」の2つのエリアで、50点近い作品が展示されている。
キュレーターの黒瀬陽平は本展のコンセプトをこう語る。「2020年の東京オリンピック、そして2025年の日本国際博覧会(大阪・関西万博)という祝祭を前にした現在の日本。しかし、日本の歴史を振り返れば祝祭の前には必ず災害による喪失があった。その傷を癒やすように祝祭を繰り返すこの国の姿を、美術の視点から提示したかった」。
「SiteA 災害の国」
「SiteA 災害の国」は災害と慰霊をテーマにしたエリアだ。入口付近には、梅沢和木による《Summer clouds》と名づけられたデジタル・コラージュ作品を展示。「Cloud(雲)」と「Crowd(群衆)」というふたつの音の似た言葉から、「雲」であれば「青空と爆煙」、「群衆」であれば「祝祭と事件」といったポジティブ、ネガティブ双方のイメージを想起し、画像として収れんさせた。
カオス*ラウンジは、7月に発生した京都アニメーション放火事件を悼む作品を、カオス*ラウンジにゆかりのあるアーティストたちと制作。大乗仏教の経典『入法界品』には、53の善知識(善き友)と会うために旅をする善財童子の物語が記されている。その善財童子を主役に、東海道五十三次の旅を描いた作品だ。これは、会場となっている戸田建設ビルの前の道が旧東海道であり、京都に続いていることにもちなんでいる。
「SiteB 祝祭の国」
「SiteB 祝祭の国」のエリア入口では、檜皮一彦《hiwadrome : type THE END spec5 CODE : invisible circus》(2019)が観客を迎える。複数の車イスを組み合わせて発光させた本作の正面に取りつけられているのは、誰もが知る岡本太郎《太陽の塔》(1970)の顔。これは、かつて岡本太郎がモックとして繊維強化プラスチックで制作したものだという。この顔を取りつけることで、1970年の日本万国博覧会のテーマ「人類の進歩と調和」を現代に蘇らせた。
実物の《太陽の塔》の裏側には、正面の顔と対をなすように黒い顔があるが、檜皮一彦の作品の後ろには、弓指寛治の盆踊りをテーマにした作品が並ぶ。生者のためではなく、死者のための祝祭とも言える盆踊りを、檜皮一彦の作品から伸びた影のように展示した。
解体前のビルという会場を活かした作品にも注目したい。「TOKYO 2021」の総合ディレクターである藤元明は、ビルの解体工事で出た瓦礫を使用して「2026」という数字をつくりあげた。2025年に大阪で開かれる日本国際博覧会という祝祭。だが、瓦礫でできたその翌年を表す数字が、祝祭の先にある漠然とした不安を感じさせる。
Houxo Que(ホウコォ キュウ)はビルの地下のスペースを、墨汁を混ぜた水で満たし、足下に水が迫ってくるような作品を展示。作品のさらに下の地下空間には電気設備があり、安全上、絶対に水漏れをさせてはいけないという条件のもと、最大限の注意を払いながら底面の強化を徹底したという。ゼネコンである戸田建設のビルで、アーティスト自身がゼネコンの仕事を内面化するような制作が行われた。
時代のアーカイブとしての作品
アーカイブ性を感じさせる作品展示も多い。八谷和彦の《見ることは信じること》(1996)は赤外線LEDによる電光掲示板を使用した作品で、専用の箱型ビュワーを覗かなければ、掲示板の文字を見ることができない。掲示板には、八谷が1995年にウェブ上で集めた、阪神・淡路大震災の直後を生きる人々の、いまとなっては貴重な記録となる言葉が映し出される。
霧のアーティストとして世界的に知られる中谷芙二子が、1972年に制作した《水俣病を告発する会ーテント村ビデオ日記》は、水俣病を引き起こしたチッソ株式会社の本社前で抗議活動をする群衆の様子を、中谷が撮影した作品だ。ポータブル型のブラウン管テレビの映像は、当時の人々の表情や仕草だけでなく、アーティスト自らが映像をつくり、持ち歩いて上映できるようになった当時のことをいまに伝える。
1970年の日本万国博覧会で実現されなかったプロジェクトの資料展示もある。テレビプロデューサーの今野勉が中心となり考案した、マイクロ波通信を使用して、東京・丸の内、京都・西陣、鹿児島・種子島の日常を大型モニターで流し続けるという壮大な計画だ。現在のインターネット配信にも通じる、先駆的な発想と言えるだろう。
ここで紹介したのは展示の一部。本展には他にも、会田誠、飴屋法水、磯村暖、宇川直宏、大山顕、キュンチョメ、今野勉、SIDE CORE、高山明、竹内公太、寺山修司、中島晴矢、三上晴子、MES、山内祥太、渡邉英徳といった、多くのアーティストが参加している。
ぜひ会場に足を運び、この国が過去に経験してきた災害と祝祭、そして2021年以後の未来に、思いを巡らせてみてはいかがだろう。