港湾都市の土地に刻まれる物語。釜山ビエンナーレ2022を通してたどる歴史の巨大なうねり
9月3日より韓国・釜山の各所を舞台に開催されている「釜山ビエンナーレ2022」。今年は「We, on the Rising Wave(私たちは、立ち上がる波の上で)」というテーマのもと、26ヶ国から64組のアーティストやアート・コレクティブが参加している。植民地支配や戦争の歴史、戦後復興による都市の変容などがあらためて問い直されているいま、釜山の歴史に刻まれた物語や近代以降の都市構造の変遷について考察する今年のビエンナーレの様子を現地からレポートする。
ソウルから釜山まで、高速鉄道に乗って2時間半でたどり着いた。できれば下関と釜山を結ぶ「関釜フェリー」で海から釜山入りしたかったが、コロナ対策で運航が停止されていたため、ソウルから陸路で向かうことになった。
釜山は韓国第2の都市であり、交通の要衝として歴史的に日本と深い関係を持ってきた。15世紀に日本人居留地の「倭館」が設置され、日本統治時代には日本人街が築かれたこともある。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、首都ソウルの陥落に伴い、釜山が臨時首都に指定された。釜山周辺を除く朝鮮半島の大部分を北朝鮮軍が掌握したことで大量の難民が押し寄せ、釜山の人口は劇的に増加することになった。そして戦後、釜山はアジア最大級のハブ港湾として経済発展を遂げている。
9月3日に開幕した釜山ビエンナーレ2022では、近代以降の釜山の歩みと現在の都市空間を結びつける無数のナラティブが創出されていた。
芸術監督のキム・ヘジュが掲げるテーマは「We, on the Rising Wave(私たちは、立ち上がる波の上で)」。イントロダクションを読むと「立ち上がる波(≒挑戦)」という言葉にはいくつかの意味が込められていることがわかる(植民地支配や戦争の歴史、難民や移民の増加、戦後復興による都市の変容、なだらかな起伏を持つ釜山の大地など)。
会場は全4ヶ所ある。メイン会場の釜山現代美術館に加えて、交易の象徴としての釜山港第1埠頭、造船業を支えた影島(ヨンド)、そして倭館が置かれていた草梁(チョリャン)などがその舞台となる。
海から始まるナラティブの創出:釜山現代美術館(1)
釜山現代美術館の展示室に入って最初に目に飛び込んでくるのは、フィリダ・バーロウ(Phyllida Barlow)による巨大なインスタレーションだ。
1944年イギリス生まれのバーロウは、半世紀以上にわたってコンクリート、鉄筋、木材、合板などの安価な工業素材による作品を制作してきた。このたび新たに発表された《Untitled: Bluecatcher; 2022》では、釜山の漁船が使っているのと同じ網が集められ、液状のコンクリートに浸されたうえで鉄柱に立て掛けられている。
シーソーのようにコンクリートブロックが連なるリズミカルな形状からは、肉体労働や船のマスト、そして近代化される港町の姿が連想される。港湾都市としての釜山の歩みを象徴した作品であるだろう。
2018年に結成されたアート・コレクティブ、ライス・ブリューリング・シスターズ・クラブ(Rice Brewing Sisters Club、以下RBSC)は、釜山の海女や海藻についての調査をもとにしたサークル状のインスタレーションを展開している。
海藻が多く自生する釜山の沿岸地域に着目したRBSCは、その地形をイメージした舞台を制作。その上に近代化の過程で取りこぼされてきた「手仕事」を示すイラストや海藻のドローイングを配置し、いままさに消滅しつつある漁村コミュニティのエコシステムを表現している。
海をキーワードに呼応する作品はほかにも見られた。インドネシア系移民の子としてオランダで生まれたジェニファー・ティー(Jennifer Tee)は、「タンパン・チューリップ」というシリーズ作品を展示していた。「タンパン」とは、インドネシアのスマトラ島南部で生産されている伝統的なテキスタイルのこと。誕生、成人、結婚、死など、人生における重要な催事に際して用いられているという。
本作では、人の身体と船のマストが融合し、植物のように宙に伸びている様子が象られている。1950年代に船でインドネシアからオランダへ渡ったティーの父親や、チューリップ球根の輸出業者としてアメリカ大陸に渡航していた祖父の個人史などが暗示されている。家族の歴史が国家規模の歴史にオーバーラップして語られる自伝的な作品だ。
1970年にパキスタンで生まれたアディーラ・スレーマン(Adeela Suleman)は、母国におけるジェンダー不平等や階級格差などの問題を象徴する食器を発表した。
一見すると伝統的な食器のようだが、その図柄をよく見てみると、目を覆いたくなるほど暴力的な光景が描かれている。これはスレーマンがムガル帝国の細密画を参照しながら職人たちと制作した図柄で、彼女自身がパキスタンで日常的に体験している暴力の起源を問い直すものだという。
歴史の交錯が生んだ奇妙なかたち:釜山現代美術館(2)
このように、釜山ビエンナーレ2022では個人の歴史と国家の歴史がオーバーラップする地点から生まれたユニークな「かたち」をとらえようとする試みが際立っていた。なかでも印象的だったのは、1979年韓国生まれの作家、オ・ソックン(Oh Suk Kuhn)による連作写真だ。
ソックンは、韓国の近現代史と個人史がクロスして立ち上がった特有の「建築様式」をリサーチしている。彼が生まれ育った仁川をはじめ、大渚、加徳島、釜山などの韓国各地では、植民地時代に数多くの日本家屋が建てられた。日本の支配からの解放後、米軍による接収を経て韓国政府に移管されたこれらの建築物は、戦後に個人が政府から直接購入できるようになったという。
これらの建築が数奇な運命をたどることになるのはそれからだ。部分的には日本様式が残されながらも、度重なる改装によって様々な様式が混ざり合う不思議な建築物が生み出されることになった。ソックンが提示するのは、こうした歴史的経緯とともに生活の息吹が感じられる個人的な情景である。彼が生まれ育った仁川でも撮影されたというその光景は、作家自身にとっては否定しようもなく「リアル」な情景であるのだろう。
その向かいには、鎌田友介の作品が配置されていた。鎌田も日韓の歴史と建築をテーマにしている点でソックンと共通している。
本作で鎌田が取り組んだのは、釜山と九州を結ぶ架空の「石庭」づくりだ。16世紀の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、釜山には日本の要塞が建てられた。このときに秀吉が出兵を正当化するために引き合いに出したと言われるのが、神功皇后が新羅(古代の朝鮮半島の一部)に軍隊を派遣したことがあるとする『日本書紀』の記述だった。
鎌田は、朝鮮半島で撮影した石と、神功皇后の伝説が残る九州、対馬、壱岐などで撮影した石のイメージ、そして日本家屋の写真などを組み合わせることで架空の「石庭」を出現させた。中央に配置された家屋の写真がパネルごと切断されている様子は、東アジアの歴史に刻まれた何本もの「断層」を暗示しているかのようだった。
潮風とともに作品を見る:釜山港第1埠頭
続いて訪れたのは、釜山港に設けられた会場「第1埠頭」だ。バスを降り立つと見えてくる広大な港湾風景は、東アジア最大級のハブ港として知られる釜山港の経済力を物語っている。
潮風の漂う空間は、つい先ほどまで目にしていた「海」にまつわるイメージに身体ごと投げ込まれてしまったような錯覚を覚えさせる。
実際にこの第1埠頭には、より深く「海」について意識させられる作品が集められていた。広大な空間に入ると、すぐ目の前にはミーガン・コープ(Megan Cope)のインスタレーションが広がる。
1982年にオーストラリアで生まれたコープは、カンダムーカと呼ばれるオーストラリア先住民をルーツに持つアーティストだ。
カンダムーカの人々は、伝統的に持続可能な量の牡蠣を養殖して常食していた。本作で再現されるのは、そんな彼らが伝統的に行っていた牡蠣の養殖風景。それは工業化によって破壊された先住民族の文化とコミュニティを象徴するものであるという。
1990年に韓国で生まれたヒョン・ナム(Hyun Nahm)は、地球全体をつなぐ海底ケーブルと『三国志』で魏の将軍が用いたことで知られる「連環の計」を結びつけるインスタレーションを展開していた。
チェーンのうえには彫刻が括り付けられており、互いの自重でバランスを取り合っている。その様子は、いずれかひとつでも欠けてしまうと構造全体が崩れ落ちてしまう均衡を物語っている。また背後に見える巨大な錨は、会場である第1埠頭に放置されていた船で実際に用いられていたものだとのことだ。
抵抗の精神:影島(ヨンド)
続く展示会場の影島(ヨンド)は、日本統治時代の1912年に朝鮮半島初の近代式造船所がつくられた地区である。1970~80年代には20万人以上の人口を擁したが、現在は造船業の陰りによって人口は半減している。
そんな歴史ある影島の造船所跡が会場となる。広大な空間に入ってまず目前に広がるのは、ミレ・リー(Mire Lee)の《Landscape with Many Holes: Skins of Young-do Sea》だ。
そして空間の奥には、イーディス・アミチュアナイ(Edith Amituanai)による巨大なライトボックスの連作が展開されている。
サモア移民の子として1980年にニュージーランドで生まれたアミチュアナイは、ニュージーランドにおけるサモア・コミュニティで流行している「サイレン」カルチャーを提示する。
同カルチャーの始まりは、トンガ高校に通う10代のグループが火災警報器のサイレン音をBluetoothスピーカーから再生できるように再プログラミングしたことにあった。その後この文化はオークランドに伝播し、カスタマイズされたスピーカーを車に取り付けて音楽を鳴らすコミュニティへと発展している。
造船所の目の前に広がる空き地には、Chim↑Pom from Smappa!Groupによるコンテナが設置されている。
コンテナの内部では「DOBUROKGEOLLI(ドブロッコリ)」と書かれた電飾が煌々と光っている。本作では、韓国のマッコリと日本の獨酒(どぶろく)の共通点をもとに、両者を融合させた独自の「ドブロッコリ」が提示されている。
マッコリも獨酒も、ともに「自宅で容易に醸造できるアルコール度数の高いにごり酒」という共通点がある。実際に江戸時代までは各家庭で自由に醸造されていたが、明治期の酒造税施行により、自由な醸造が禁止されるようになったものだ。
同じくマッコリも日本の植民地時代に醸造が禁止されることとなるが、釜山では取り締まりの目を逃れるために、住民が鐘を鳴らして当局の取り締まり情報を共有する「システム」が定着。それにより釜山の金井山城マッコリは1979年に国民酒に指定されるまで生き延びることとなった。
本作では、そんなマッコリと獨酒を融合させた、韓国酒とも日本酒とも呼べない第3のアルコールがつくられている。当局からの監視に抵抗して醸造を続けた釜山市民の「DIY精神」に焦点を当てた作品であると言えるだろう。
人々の生きた証:草梁(チョリャン)
最後に訪れたのは、1678年より「倭館」が設置されていた草梁(チョリャン)だ。約10万坪の敷地の倭館には数百人の対馬藩関係者が常駐し、敷地内には住居や神社なども整備されていた。しかし現在はその面影は残っておらず、傾斜のある土地に所狭しと並んだ民家は、戦後の釜山でいかに急激な人口増加が起きたかを物語っている。
草梁にある空き家を会場に選んだのは、1985年韓国生まれの作家、ソン・ミンジョン(Song Min Jung)だ。
ミンジョンの作品には、1945年神戸生まれの「春子」という架空の日本人女性が登場する。23歳のときにエンジニアの夫の赴任に伴い釜山に越してきた春子が、工場で働く同い年のチュンジャ(韓国語で「春の子」を意味する)と出会うという物語だ。
この2人の物語はスマートフォンに映し出され、実在の風景に接続するように、民家の名残りを色濃く残す空間のなかで呼応している。展示会場には、かつてここで人が暮らしていたときの面影を感じさせる照明や壁紙などがそのまま残されている。
それとともに、急勾配の斜面を縫うように建てられたかつて民家だった建造物の中を実際に歩くことによって、目まぐるしい歴史に翻弄されながらも、人々がこの土地で力強く暮らしていたことに思いを馳せることになった。
大きな歴史と小さな歴史の交錯。その巨大なうねりの上に立ち、懸命に生きてきた人々の生きた証をたどるかのような会場構成となっている。会期は2022年11月6日まで。ぜひこの機会にその「うねり」を体感してほしい。