デイヴィッド・ホックニーが現代美術の最高峰と言われる理由とは。東京都現代美術館で「見る」ことを探求する
現代を代表する画家のひとりイギリスの美術家、デイヴィッド・ホックニーの大規模個展「デイヴィッド・ホックニー展」が東京都現代美術館で開幕。会期は11月5日まで。会場の様子をレポートする。
現代を代表する画家のひとり、デイヴィッド・ホックニー(1937〜)。その、日本における27年ぶりとなる大規模な個展「デイヴィッド・ホックニー展」が東京都現代美術館で開幕した。会期は11月5日まで。企画は東京都現代美術館学芸員の楠本愛。
ホックニーはイングランド北部・ブラッドフォード出身。同地の美術学校とロンドンの王立美術学校で学んだのち、64年にロサンゼルスに移住し、アメリカ西海岸の陽光あふれる情景を描いた絵画で一躍脚光を浴びた。60年以上にわたり、絵画、ドローイング、版画、写真、舞台芸術といった分野で多彩な作品を発表し続けており、現存画家のオークション記録を保有していることでも知られている。
現在はフランスのノルマンディーを拠点に精力的に新作を発表し、80歳を超えたいまもその美術への探求は衰えるところを知らない。本展は国内で27年ぶりの大規模個展とあって、これまで紹介される機会が少なかった00年代以降の作品も多く来日している。
展覧会は8章構成。ホックニーが美術に対して様々な視座から向き合ってきたことを、各章で余すことなく伝えている。
第1章「春が来ることを忘れないで」は、本展の冒頭のプレゼンテーションとして、ふたつの絵画が展示されている。エッチングによる《花瓶と花》(1969)と、iPadで制作された《No.118、2020年3月16日「春の到来 ノルマンディー2020年」より》(2020)だ。50年もの時間の隔たりがある、何気ない花をモチーフとした2作品を展示したことについて、担当学芸員の楠本は次のように語る。「ホックニーの制作の根底に流れ続けている、身近なものを題材として、それをいかに絵画に移し替えるかという探求が、ふたつの絵から伝わってくるのではないか」。
なお《花瓶と花》は東京都現代美術館の収蔵作品だ。同館はホックニーの作品を数多くコレクションしており、世界的に見ても有数のコレクションだ。国内にホックニーの豊かなコレクションがあることも、本展では垣間見ることができる。
第2章「自由を求めて」は、ホックニーの初期作品を紹介している。労働者階級の若者たちの反権威的な文化が広がりつつあった、戦後の荒廃からの復興を果たしたロンドン。59年、王立美術学校に入学したホックニーは、こうした文化に影響を受けながら、同性愛を含む自己の内面の告白を作品を通じて行った。当時は違法とされた男性同士の恋愛がほのめかされた《三番目のラブ・ペインティング》(1960)などは、その典型例となる。
また《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》(1961)のような変形キャンバスを組み合わせた作品からは、キャンバスの上で複数の形式を組み合わせて自由な表現を模索した、当時のホックニーの試みを知ることができる。
第3章「移りゆく光」では、1964年にアメリカ・カリフォルニアに移住した時期の 《ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男》(1964)や《スプリンクラー》(1967)といった作品群や、78年から手がけた「リトグラフの水」シリーズなどを紹介する。
これらの作品は、眼の前の水における光の透過、反射、流体としての動きといった様々な要素を絵画として表現することを試みたものだと言える。こうした光への探求は、2010年以降、iPadによって窓に入ってくる光を描くようになってからも続いた。背面のバックライトによって画面の明るさが保たれるiPadは、ホックニーに早朝の光への新たな気づきをもらたしたという。
第4章「肖像画」では、60年代末より制作を始めた、ふたりの人物で画面を構成した「ダブル・ポートレート」シリーズを紹介。同シリーズでは《クラーク夫妻とパーシー》(1970-71)、《ジョージ・ローソンとウェイン・スリープ》(1972-75)、《両親》(1977)と、ロンドンのテートが所蔵するシリーズ作品が3点も来日して一堂に会する、またとない機会となっている。
3作品はともにホックニーの身近な人々を描いたものながら、室内のやわらかな光が自然と人物にまといつく表現や、パースペクティブを複雑にずらしながら鑑賞者の視点を錯綜させるテクニカルな構図など、絵画への飽くなき探求が現れている。また、本シリーズの最新作《2022年6月25日、(額に入った)花を見る》(2022)は、大胆な構図と空間表現により、こうしたホックニーの探求の現在地を示していると言えるだろう。
ほかにも、本章では多くの人物の肖像画が展示されている。なかでも《自画像、2021年12月10日》(2021)は、ホックニーの卓越した描写力の現在地を示している。
第5章「視野の広がり」は、パブロ・ピカソの最晩年の版画を手がけた摺師との出会い、舞台芸術の仕事、中国の画巻を始めとした非欧米圏の美術への関心といった経験から、ホックニーが空間認識についての意欲的な実験を繰り返した時期の作品を展示。
なかでも横幅7メートルを超えるフォト・ドローイング《スタジオにて、2017年12月》(2017)は圧巻だ。本作は対象を少しずつ角度を変えながら撮影し、コンピューターでその写真を解析、統合して3DCGを生成する、フォトグラメトリという技術が使われているという。レンズによる光学効果とは異なる複雑な奥行きが本作においては表現されており、ホックニーが空間をいかに多様な方法でとらえようとしているのかが伝わってくる。
第6章「戸外制作」では、《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007)が、見る者に圧巻の視覚体験を与えるだろう。枝ぶりが印象的な木々を、50ものキャンバスを戸外に持ち出して描き、組み合わせることで制作された本作は、ホックニーの50の視点が木というモチーフを通して同時に併存するようにも感じられる。
第7章「春の到来、イースト・ヨークシャー」では、32枚組のキャンバスによる大型の油彩画1点と大判サイズのiPad作品12点を展示。遠近の感覚が複雑に絡み合った木立の中に一本の道が伸びる油彩画と、ホックニーが戸外で描いたというiPadの作品は、いずれも季節の移ろいとともに訪れる細やかな変化を、同一の画面で表現しようとしているように感じられる。
第8章「ノルマンディーの12か月」は、本展の終わりを飾るにふさわしい、全長90メートルを超える大作《ノルマンディーの12か月》(2020-21)が見どころだ。絵巻物のように周回するかたちで展示された本作は、コロナ禍においてホックニーが自らの周囲の風景を見つめながら描いたもの。鑑賞者は作品に沿って歩きながら、その景色のなかに自ら入り込むような体験ができる。作品を見る者の視点はどこにあるのか、何を見ているのか。その問いがほかにはないかたちで結実した作品と言えるだろう。
我々の周囲に確かに存在し、何気なく認知している世界を、いかに平面へと写し取り、鑑賞者に見せることができるのか。古くから脈々と問われ続けてきたその命題を、愚直なまでに追求してきたのがデイヴィッド・ホックニーという作家ではないだろうか。本展に並んだ「ものを見る」ということについて実験を試みた作品群が、その軌跡を雄弁に物語る。なぜ、ホックニーは現代最高の作家と言われるのか。その問いへの答えが、本展できっと見つかるはずだ。