陰陽師から見えてくる日本の知られざる歴史。国立歴史民俗博物館で見る「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で、小説、映画、マンガなど様々な分野の作品の題材にもなっており、認知も高い陰陽師の歴史とそこから生み出されてきた文化を検証する企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開幕。会期は12月10日まで。
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で、陰陽道の歴史とそこから生み出されてきた文化を様々な角度から検証する企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開幕した。会期は12月10日まで。
本展は同館の内外から集まった総勢20名の研究者による3年間におよぶ共同研究の成果展だ。小説、映画、マンガなど様々な分野の作品の題材にもなっており、認知も高い陰陽師。しかし、古代において成立し、中世から近世へと数百年にわたりその役割を広げながら時代とともに多様に展開してきた陰陽道の実態はあまり知られていない。本展は、最新の研究によってその実態に迫り、広く人々に伝えるものとなっている。
展覧会は「陰陽師のあしあと」「安倍晴明のものがたり」「暦とその文化~時間の可視化とその意味」の3部構成だ。
もっとも多くのスペースが割かれる第1部「陰陽師のあしあと~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿」は、古代日本において方位や時間に関する吉凶を占い、その知識を生活の様々な場面で活用する陰陽道がどのように成立したのかを追う。
陰陽道は古代の中国から伝わった陰陽五行説をはじめとする様々な知識や技術をもとにして、古代に日本で生まれた。中国にならって日本に律令国家が生まれると、日本にも陰陽寮という役所ができ、陰陽師はこの陰陽寮のいち官職となる。
陰陽寮の成立当初、陰陽師はその一官職に過ぎず、道教の術法によって病気治しや予防を行う呪禁師(じゅごんし)は別に置かれていた。しかし、8世紀になるとこの呪禁師は陰陽師と統合され、陰陽師が呪術や祭祀を担うようになり暦を司る職務と合流していった。中国や朝鮮と異なり、日本における陰陽道を担う役職が天文台としての性格よりも占いや呪術、祭祀を主要な任務とするようになった背景にはこのような流れがあったという。
こうした陰陽師の占いや祭祀を執り行う力は、治世のために朝廷によって活用されるようになる。暦や方角の吉凶の知識をもつ陰陽師は、平安貴族たちの生活になくてはならない存在となっていった。とくに、平安京は多数の人口を抱えるがゆえに疫病がたびたび流行したが、その疫病を起こす疫鬼を追放するのもまた陰陽師の役割だったのだ。
平安後期に入ると、陰陽道は賀茂氏と安倍氏という二大派閥が掌握するようになる。賀茂朝臣保憲と安倍晴明はこれら賀茂氏と安倍氏の事実上の始祖であり、摂関家に重用され地位を向上させていった。とくに安倍氏は11世紀以降、晴明を神格化し様々な伝説をつくり出していく。フィクションにおいて多才な能力者として描かれる安倍晴明のイメージはこのころに生まれたものだ。
鎌倉時代に入ると、賀茂氏、安倍氏からさらに系統が分かれ、室町時代にかけて陰陽師は全国に勢力を伸ばしていく。この時代に貴族に変わって政治の実権を握るようになったのが武士たちだ。鎌倉幕府の成立によって幕府や鎌倉殿に仕える「鎌倉陰陽師」が勢力を拡大し、京都にも匹敵する規模となる。同時に武家社会にも陰陽道が広く浸透していくこととなる。
鎌倉のみならず、陰陽道は地方に分派し、各地域の様々な思想や宗教と融合していった。例えば、本展で紹介されている大分・八幡宇佐宮の事例などは興味深い。官人の陰陽師でも民間の陰陽師でもなく、地域社会に根ざして活動し、さらに僧形の姿をしている。驚くべきはその活動が19世紀の明治初期まで連綿と続いていたことであり、平安貴族に仕えたというイメージが強い陰陽師の新たな面を知ることができる。
江戸時代はもっとも多くの陰陽師が活動した時代とされているが、その姿は多くの人が想像する陰陽師とは大きく異なるものだ。都市や農村、公家町や武家屋敷をまわり占いや祓いを行ったり、寺社境内で占いや芸能に従事したのが、この時代の陰陽師の典型だ。多くの人が想像するよりも遥かに広い範囲に、陰陽師たちの活動の領域が広がっていたことを改めて知ることになるだろう。
ほかにも第1部では、「暦・暦日と方角(方位)」「占い」「祭祀」「まじない」といった分野にわけながら陰陽師の具体的な仕事を紹介したり、陰陽道が人々の生活のなかに浸透していかに民俗として受け継がれていったのかを紹介する展示もある。現代の人間の倫理や人生観にも、陰陽道の思想は少なからず受け継がれていることがわかるはずだ。
第2部「安倍晴明のものがたり」は、先にも述べたように陰陽師のなかでも取り立てて特別な存在とされてきた安倍晴明に焦点を当てている。その子孫の系譜や、ライバルたち、さらには転生や狐との異類婚姻によって生まれたという伝説などが紹介される。
第3部「暦とその文化」は陰陽師もその制作を仕事としていた日本全国の暦を紹介する。現代社会においてグレゴリオ暦を用いずに生活することはほぼ不可能と言えるが、かつての日本では多種多様な暦がつくられており、様々な要因によって改暦され、西洋からもたらされた科学的な暦観ともせめぎ合いながら用いられていた。本章は暦にまつわる全国の様々な資料を紹介することでその多様性に迫る意欲的な構成となっている。
陰陽師という存在を追うことで、暦や文化、信仰や伝承を、古代から近代にいたるつながりをもった歴史としてとらえることができる本展。精緻かつ最新の研究にもとづいて語られる新鮮な日本史を、陰陽師から学んでみてはいかがだろうか。