台北ビエンナーレ2023が示した「小さな世界」の可能性を振り返る
昨年から今年の3月にかけて台湾・台北の台北市立美術館で開催されていた「台北ビエンナーレ」。「小さな世界」と題されたこのビエンナーレが提示していた、混迷の時代の道標についてあらためて考えてみたい。
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2023年11月18日〜2024年3月24日まで、台湾・台北の台北市立美術館で開催されていた「台北ビエンナーレ」。「小さな世界」と題されたこのビエンナーレについて振り返ってみたい。
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本展はキュレーターのフレイア・チョウ、作家兼編集者のブライアン・クアン・ウッド、キュレーターのリーム・シャディッドの3人によってキュレーションされ、50組以上のアーティストが参加した。
3人のキュレーターは共同声明として、本ビエンナーレの目的を次のように述べている。「テーマとなっている『小さな世界』とは、私たちが自分自身の孤独で権利のある場所ですが、規模を拡大したり縮小したり、拡大したりすることを拒否する奇妙な行為を歓迎する場所でもあるかもしれません」。
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本展でもっとも印象に残ったアーティストが、パレスチナ出身のアーティスト、サミア・A・ハラビだ。ハラビは1936年エルサレム生まれ。1948年、第一次中東戦争の勃発により、家族とともにアメリカへと逃れた。以降、アメリカで美術教育を受け、50年代後半より作家活動を開始。イスラム教における幾何学模様と現代絵画の伝統を織り交ぜながら拡張し、非西洋にルーツを持つアーティストとして作品を制作してきた。また、80年代中期からはコンピューターを使用したキネティック・アートに取り組んでおり、この分野の創世記からのアーティストのひとりといえる。
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いっぽうで、ハラビはパレスチナの置かれた過酷な状況に対しても抗議を続けてきた。本ビエンナーレが開幕する前月、パレスチナの武装勢力・ハマスがイスラエルを攻撃。その報復としてガザ地区を封鎖したイスラエルは、同地の一般市民に対していまも攻撃を続けているのは周知のとおりだ。開戦直後からハラビは、インスタグラムでガザ地区におけるジェノサイドへの抗議を続けている。本ビエンナーレへのハラビの参加は、こうしたタイミングでのことだった。
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ハラビのパフォーマンスは、インドネシアのアーティスト、ジュリアン・エイブラハムとともに行われた。コンピューターを使ったリアルタイムのドローイング・パフォーマンスが、エイブラハムの楽曲に合わせてスクリーンに映し出されていった。ハラビのつくる映像は、具象的なモチーフが出てくるわけではない。しかしながら、ハラビの絵画と同様に、幾何学的で抽象的なイメージが次々と錬成されていくその様に、ハラビの切実な祈りが感じられた。
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このハラビの作品と同様に、本ビエンナーレで展示されている作品には、現在の混沌とする世界情勢に対して直接的なメッセージを発しているものが多いわけではない。しかしながら、とくに台湾という緊張感のある政治的状況に置かれてきたこの場所で展示される作品は、いずれも政治的なメッセージを読み取ることができた。
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本ビエンナーレのアイコンともいえるのが、ナターシャ・サドル・ハギシアン(1967〜)が吹き抜けとなっている美術館の中庭で展開した作品だろう。ハギシアンは、ベルリンとテヘランを拠点に、集団性や移民についての作品を制作するアーティスト。光を反射する6つの彫刻からは音が流れており、この音はフィールド・レコーディング、対話、ポピュラー音楽といった要素から構築されている。これらの音は人種間、あるいは世代間のギャップを語彙という概念からとらえたものだ。争いの種となる人々のあいだにある細かな断絶を聴覚で表現した作品といえるが、本作を見る観客はみな、中庭に面した館のベンチなどに座り、談笑していた。つねに緊張のなかにあろうとも、いまここにある小さな対話に耳を向けようとする、そんな印象を生み出す作品だったといえる。
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思想家のポール・ヴィリリオ(1932〜2018)は、50年代後半にフランスの海岸線に放置された、かつてナチスが設置した地下壕を撮影した。役割を失い、放棄された地下壕はかつて、海の向こうからやってくる敵勢力を撃退するための場所だった。写真に写すと巨大な墓標のようにも見えてくるこの施設だが、誰もいなくとも海に向かって監視を続けるその姿は、例えば移民に対して慎重な姿勢へと移行しつつある欧州の姿に重なりはしないだろうか。
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米・ブルックリンを拠点とする映像集団「スペクタクル」のメンバーであるC. スペンサー・イェ(1975〜)は、映画予告編を編集することで映像作品をつくりあげた。映画の予告編は、人々の興味や関心を引くために、本来の映像を最適化して編集したものといえる。それだけを抽出して1本の映像作品をつくるという行為は、グローバル資本によってエンターテイメントが供給される、現代の消費文化を端的に現しているとも考えられるだろう。宗教的、政治的な軋轢があっても、こうしたエンターテイメントは画一的に消費される、現在のグローバル環境を示しているようだ。
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香港のアーティスト、ナディム・アッバス(1980〜)は、展示室の壁面に砂とスチールを使用した大型のインスタレーションを制作。軍事基地のようにも、あるいは機械の基盤にようにも見える本作は、会期中に砂で形成された構造物のかたちを変化させ続ける。物流やテクノロジーといったシステムを鉄製のパーツで構築しつつ、砂という有機的で変化する存在を対比させる本作は、システムと人間の関係を想起させた。
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最後に、ニューヨークを拠点とする台湾人アーティスト、アーサー・オウ(1974〜)の作品を紹介したい。新型コロナウイルスのパンデミックの最中、オウは小さな隕石の破片を載せた、子供たちの指先の写真を撮影し始めた。これは、オウがニューメキシコ州山中の望遠鏡施設を訪れた経験をベースとした作品だ。宇宙の彼方を見通すための高度な光学装置を見学したオウは、その技術以上にそれを実現した「見る」という人類の根源的な欲望に着目。その欲望が未来の源泉になることを踏まえ、子供たちと宇宙の破片を撮影したという。複雑な社会状況が滲み出る本展の多様な作品を踏まえたうえで、これからの未来を想像する作品といえるだろう。
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現在、台湾が置かれた政治状況は決して安定したものとはいえない。しかし、だからこそ世界で起こっている様々な衝突について考え、意見を表明するための土壌を生む場所にもなり得る。本ビエンナーレが提示した「小さな世界」は、文化や宗教、政治的立場のぶつかり合いの向こうにある希望を示すものだったのではないだろうか。次回、そして次次回と今後のビエンナーレの蓄積が何を生むのか、期待したくなる展覧会だった。
なお、台北市立美術館は2028年のオープンを目指して隣接する敷地に新館の建設工事を行っている最中だ。地下構造を持ち、公園の一体化するようなこの新館が完成すれば、その面積は2倍以上になる。名実ともに台湾の現代美術のハブとして、さらに存在感が増しそうだ。