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2024.11.2

特別展「線表現の可能性」と「コレクション1 彼女の肖像」(国立国際美術館)開幕レポート。芸術における表現の幅広さ

大阪の国立国際美術館で、特別展「線表現の可能性」と「コレクション1 彼女の肖像」のふたつの展覧会が開幕した。前者では、線という基本的な要素を通じて、芸術における新たな表現の可能性を探る。後者は女性の姿をテーマに、多様な女性像を浮き彫りにする。ふたつの展覧会をレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術美術」編集部)

特別展「線表現の可能性」の展示風景より、右はヴォルフガング・ティルマンス《フライシュヴィマー(自由な泳ぎ手)79》(2004)
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 大阪の国立国際美術館で、11月2日から特別展「線表現の可能性」と「コレクション1 彼女の肖像」というふたつの展覧会が開幕した。

 前者は、線の表現に焦点を当てた作品を通して、線描画の持つ豊かな可能性と表現の多様性を探求するもの。担当学芸員は安来正博(国立国際美術館研究員)。

 過去には下絵やデッサンといった補助的な役割を果たしていた線描画が、20世紀以降、抽象絵画の発展と共に独自の価値を認められるようになり、今日に至るまで新たな表現領域を広げ続けている。本展では、版画や素描を中心に、現代美術における「線」という概念の多様な役割が紹介されている。

 展覧会は4章構成。第1章「線の動き、またはその痕跡」では、画家の手が描く線の痕跡に注目し、多彩な線の表情を紹介している。太く力強い線や細く繊細な線がそれぞれ異なる感情や動きを伝え、作品制作のプロセスに対する興味深い視点を提供している。サイ・トゥオンブリー李禹煥などの作品からは、線がたんなるアウトラインに留まらず、作品全体のダイナミズムや画家の表現意図を巧みに伝える要素であることがうかがえる。

展示風景より、左はサイ・トゥオンブリー《マグダでの10日の待機》(1963)
展示風景より、李禹煥の作品群

 第2章「物語る線たち」では、線が物語を語る道具としての役割を持つことに焦点を当てている。デッサンや下絵としての線が、対象の形態や意味を分節化し、作品に内在する物語を視覚的に伝える力があることを示している。池田龍雄や浜口陽三らの作品を通じて、現実には存在しない輪郭線が観る者に一種の幻想を抱かせ、鑑賞者の心の中で新たな物語が立ち上がる様子が印象深く描かれている。

展示風景より、池田龍雄の作品群

 第3章「直線による構成」では、幾何学的な構成としての直線がテーマである。近代以降の抽象絵画や立体主義などで頻繁に用いられる直線が、線の持つ数学的・構造的な特性を強調し、新たな視覚体験を提供していることがわかる。山田正亮やゲルハルト・リヒターの作品における直線の力強さや精緻さが、鑑賞者に空間や構造の新たな解釈を促す要素として際立っている。

展示風景より、左からは山田正亮《WORK C.96》(1961)、ゲルハルト・リヒター《STRIP (926-6)》(2012)

 第4章「線と立体」では、二次元の線が三次元へと展開し、立体的な構成を形成するプロセスを紹介している。彫刻家がエスキースとして用いる線が、立体作品における構造的基盤を担い、二次元と三次元の相互作用が作品全体の意図を浮かび上がらせる様子が見て取れる。植松奎二や宮﨑豊治らの作品を通して、線が持つ立体的な広がりとその構成美を追体験することができる。

展示風景より、中央は植松奎二《置-浮くかたち》(1993)

 これら4つの章に加え、近年亡くなった作家たちの作品を展示する「2020年代の物故作家」特集展示コーナーが設けられている点は特筆すべきだ。

 このコーナーでは、2020年代に他界した国内外の重要な作家たちの作品を通じて、20世紀から21世紀へとかけての現代美術の歩みを追うことができる。クリスト、イリヤ・カバコフ、フランク・ステラなどの作品は、それぞれが独自のアプローチで現代美術に新たな価値を付与し、いまもなおその影響が色濃く残っている。また、日本の岡崎和郎や桑山忠明、三島喜美代らの作品は、独自の美的感覚とともに現代美術の多様性を体現している。

展示風景より、左からは竹﨑和征(1976〜2024)《10月の庭》(1999)、佐野ぬい(1932〜2023)《ジョージタウン・ウィークリー》(1985)
展示風景より、左からはフランク・ステラ(1936〜2024)《グレー・スクランブルXII ダブル》(1968)、野見山暁治(1920〜2023)《空》(1966)
展示風景より、左からは三島喜美代(1932〜2024)《Box CG-86》(1986)、クリスチャン・ボルタンスキー(1944〜2021)の作品2点

女性の多様な姿を映し出すコレクション展

 いっぽうの「コレクション1 彼女の肖像」展は、同館のコレクション展として初めて「女性像」に注目した企画。担当学芸員は武本彩子(国立国際美術館任期付研究員)。

 同館に所蔵する約8200点の作品のうち、女性が描かれた作品は約700点に及ぶが、本展では美人画や伝統的な肖像画などの定番的なカテゴリーを除き、現代ならではの主題や多様な表現方法を通じて女性像を再発見する機会として企画された。作品に登場する女性たちに焦点を当てることで、作家や女性たちの個人の歴史のみならず、女性を取り巻く社会的背景や困難も浮かび上がらせる。

 第1章では、「女性像の逸脱と解体」というテーマで、旧来の女性像に付与されてきた従来の役割や受動的なモデルという関係性を逸脱するような作品を紹介。例えば、福田美蘭の実験的な絵画作品《Woman with a Letter》(1991)では、女性像が12の断片に分解され、再び組み合わされる。そのアプローチは、女性の身体やアイデンティティを固定された存在から解放し、流動的で多面的な存在として提示している。

展示風景より、左は福田美蘭《Woman with a Letter》(1991)

 第2章「増殖する女優たち」では、20世紀半ばに国際的なセックスシンボルとして一世を風靡したマリリン・モンローとブリジット・バルドーに焦点を当てる。彼女たちはメディアに頻繁に登場し、芸術作品においてもモチーフとされる。とくにアンディ・ウォーホルによるモンローの作品は、モンローのアイコン化されたイメージを繰り返し表現し、消費社会の象徴と化した彼女の存在を皮肉にも反映している。

第2章「増殖する女優たち」の展示風景より
第2章「増殖する女優たち」の展示風景より

 第3章「家族の肖像」では、家族の一員としての女性像を描く作品が揃う。母親や娘、妻といった立場から、家族の多様なあり方や人間関係の複雑さを浮かび上がらせる。サニー・キムによる制服姿の女子学生たちの絵画は、母の古い写真をもとに「あり得たかもしれない」物語を構築している。また、木下晋の鉛筆画は、年老いた母親を緻密に描写し、親子の葛藤を乗り越えた先にある親密さを感じさせる。

展示風景より、右はサニー・キム《ヤッホー、少女たち》(2002)
展示風景より、左からは木下晋《立像》《徘徊》(いずれも1987)

 第4章「労働と移動」では、仕事や移動を通じた女性の姿が描かれる。宮本隆司の写真シリーズでは、香港の九龍城砦に暮らす女性たちの日常がとらえられている。スラムと違法な商売の温床として知られるこの場所で、女性たちが生活の糧を得るために働き続ける姿には、労働の厳しさとそのなかにある逞しさが見て取れる。また、台湾でケア労働に従事する移民女性の夢を映像作品で表現した饒加恩(ジャオ・チアエン)は、国境を超えた労働移動と個人の願望や不安に目を向けている。

展示風景より、宮本隆司「九龍城砦」シリーズ
展示風景より、饒加恩《レム睡眠》(2011)

 第5章「個人と国家」では、国家という枠組みに影響を受けながらも、それにとらわれずに生きる女性の姿が描かれる。石内都の写真作品は、戦後の横須賀で育った自身の記憶を重ねながら、米軍基地の街で働いた女性たちの痕跡を残している。また、石川真生と山城知佳子の作品は、戦後沖縄の女性たちが国家と個人の狭間でどのように生き抜いたかを表現している。

第5章「個人と国家」の展示風景より

 第6章「近年の収蔵品から:作家の肖像」では、若手女性作家たちの新たな表現が登場する。谷原菜摘子や片山真理といったアーティストが、自身を主題にした作品を通じて、自己の表現とアイデンティティの模索を行っている。また、山脇道子やシャルロット・ペリアンなど、20世紀に活躍した女性デザイナーの影響を受けたレオノール・アントゥネスのインスタレーションも展示され、女性が自己を創造する多様なかたちが紹介されている。

展示風景より、床の作品はレオノール・アントゥネス《主婦とその領分》(2021–23)

 特別展「線表現の可能性」では、それぞれの作家が持つ独特の美学と時代を映し出す姿勢が表れており、いまなお現代美術の発展に大きな影響を及ぼしていることを感じた。いっぽうの「コレクション1 彼女の肖像」展は、たんに女性の外見や役割を描くだけでなく、女性が直面する社会的な困難や多様な生き方を描き出し、鑑賞者に新たな視点を提供している。同館に足を運ぶ機会があれば、それぞれの展覧会で線表現の可能性や現代社会における女性像の再解釈について思いを巡らせてみてはいかがだろうか。