2024.12.23

「Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」(大阪中之島美術館)開幕レポート

大阪中之島美術館で、チューリッヒを拠点に活動した日本人芸術家の吉川静子と、そのパートナーであり、スイスを代表するグラフィックデザイナー、タイポグラファーであるヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの軌跡をたどる大回顧展「Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」がスタートした。会期は2025年3月2日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 大阪中之島美術館で、「Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」がスタートした。会期は2025年3月2日まで。キュレーションを担当したのは、平井直子(同館主任学芸員)、ラース・ミュラー(Lars Müller Publishers主宰/吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団理事長)、ガブリエル・シャード(美術史・建築史家/チューリッヒ工科大学講師/吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団理事)。

 吉川静子(1934〜2019)は、デザイナーから芸術の道へと転身した日本のアーティスト。ウルム造形大学で学び、コンクリート・アートのシーンに身を置いたのち、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと結婚。スイス・チューリッヒを拠点にその活動を行った。海外を拠点にしていたこともあり、日本でその活動が紹介される機会はあまり多いとは言えず、晩年の2018年に六本木のAXISギャラリーで開催された個展は吉川にとって日本における30年ぶりの発表の機会となった。

 いっぽうのヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(1914〜96)は、スイスを代表する国際的なグラフィックデザイナー/タイポグラファーだ。60〜80年代には、亀倉雄策などの日本のデザイナーと親交を深めつつ、デザイン学校や美術大学で教鞭をとり日本のデザイン教育にも貢献した。とくに、紙面における文字組みと構成の方法論である「グリッドシステム」は、デザイン史上の金字塔とも言うべき理論として今日まで大きな影響を与え続けている。

チューリッヒにて 1965年頃
Copyright and courtesy of the Shizuko Yoshikawa and Josef Müller-Brockmann Foundation

 同展は、この2人の活動に焦点を当てる国内初の大規模な回顧展だ。タイトルの「Space In-Between」は、空間や余白の考え方に特徴のある2人の作家性や、パートナーでありながらも、個々の芸術家・デザイナーあった2人の距離感や関係性を表すものでもあるという。

 本展の開催経緯やその意義について、学芸員の平井は次のように語る。「大阪中之島美術館はアートとデザインを主軸とした展覧会やコレクション活動を行っている。開館前の2012年にサントリーポスターコレクション1万8076点の寄託があり、そのうち8点がミューラー=ブロックマンによる作品であった。そして2019年にパートナーの吉川氏の訃報を受けて、2022年度に両者の作品を収集、本展の開催を吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン財団に提案し、実現することとなった」。

 会場では、それぞれの個展形式で吉川の作品を約130点、ミューラー=ブロックマンの作品約60点を展示しており、大きく分けて「第1章 Space In-Between:吉川静子」「第2章 Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」の2部構成だ。第1章では、吉川静子による作品を10つのセクションに分けて紹介している。

 吉川がアートの道へ進むこととなったきっかけのひとつに、とある建築のためのサイトスペシフィック・アートを手がけたことが挙げられる。「1 初期の作品:建築空間のアート」では、日常空間のなかにアートを溶け込ませることが人々の体験にどのような影響をもたらすのかといった関心から、コンクリート・アートの流れを組む作品群を展示している。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「1 初期の作品:建築空間のアート」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「1 初期の作品:建築空間のアート」

 「2 色影レリーフ」や「3 網の構造と空白の中心」では、コンクリート・アートにおいて色表面の転換と連続性に取り組んだ作品群や、そこから派生した立体作品を紹介。なかでもわずかな凹凸の側面にのみ着色を行った「色影」シリーズは、見る角度のよって色が変化するといったもので、吉川による空間や瞬間(時間)に対する視点が表れている。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「2 色影レリーフ」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「3 網の構造と空白の中心」

 「色影」シリーズで立体作品における空間や瞬間による色の移り変わりに取り組んだ吉川は、それを平面上でも表現しようと試みた。「宇宙の織りもの」シリーズで用いられている十字のモチーフは向かいの色が補色関係にあり、キャンバスの地と上に重ねられた色の関係性が、平面ながらも立体的な空間を生み出している。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「4 ウパニシャッドへのオマージュ」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「4 ウパニシャッドへのオマージュ」《m290 ウパニシャドへの讃歌 no.17》(1989、一部)
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「5 宇宙の織りもの」

 「4 ウパニシャッドへのオマージュ」「5 宇宙の織りもの」「6 ふたつのエネルギー」には、そのような思考をもとに様々な展開を遂げた作品が並ぶ。キャンバスの形状やモチーフの描き方によって、空間や動きにもバリエーションが生み出されていることにも注目したい。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「6 ふたつのエネルギー」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「6 ふたつのエネルギー」《m438 空よりのエネルギー 40》(1993)

 1996年のヨゼフ・ミューラー=ブロックマン逝去後、大きな精神的ダメージを受けた吉川は、2人が過ごしたアトリエを離れて3年にわたりローマで滞在制作を行った。この時期の作品はこれまでと異なり、燃えたぎる太陽やゆらめく海を想起させるような具象的なものとなっている。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「7 ローマにて」

 ローマからスイスに戻ったあとは、シルクロードをテーマとしたシリーズを手がけるようになる。晩年には「宇宙の織りもの」シリーズで見られた十字のモチーフは消え、代わりに登場したドットで空間性や動きが表現されるようになっており、その作家性の極まりは目を見張るほどだ。

「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「8 マイ・シルクロード」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「9 晩年の作品:鼓動」
「第1章 Space In-Between:吉川静子」展示風景より、「10 グラフィックデザイン」

 「第2章 Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」では、ひとつの展示室を囲むように、ミューラー=ブロックマンが手掛けたポスター作品や彫刻、それに関連する書籍や資料が並べられている。写真や図、タイポグラフィが絶妙に調和するそのビジュアルデザインを実現しているのは、まさにミューラー=ブロックマンによるグリッドシステムによるものだろう。

「第2章 Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」展示風景より
「第2章 Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」展示風景より

 2人の作品からは、空間や色彩の考え方といった面で共通点を見出せるいっぽう、互いに影響を受けながらも各々が異なる表現を追求していったことが伺える。そういった意味でも、作品を交互に見せるのではなくあえて個展の形式にしたことで、各人その考え方をどのように深め、昇華していったのかがよくわかる内容となっていた。

 本展は、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンによるポスター作品はもちろんのこと、吉川静子の活動や作品を一望できるまたとない機会である。これをきっかけとして吉川作品の研究や評価がさらに進むことを期待したい。

「第2章 Space In-Between:ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」展示風景より