2025.3.21

「FIND ON SITE 多摩美術大学のマーク / 渋谷PARCO PART3」(五十嵐威暢アーカイブ)レポート。デザインアーカイヴからその思考やプロセスを紐解く

金沢にある「五十嵐威暢アーカイブ」で、研究報告展「FIND ON SITE 多摩美術大学のマーク / 渋谷PARCO PART3」が開催中だ。会期は4月20日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、「渋谷 PARCO PART3」
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 2023年11月に金沢工業大学ライブラリーセンターに誕生した「五十嵐威暢アーカイブ」で、研究報告展「FIND ON SITE 多摩美術大学のマーク / 渋谷PARCO PART3」が開催中だ。会期は4月20日まで。

「五十嵐威暢アーカイブ」エントランス

 グラフィックデザイン・彫刻の分野で国際的に活躍した五十嵐威暢は、1944年北海道滝川市生まれ。 多摩美術大学を卒業後、カリフォルニア大学で芸術学の修士号を取得。1970年代からデザイナーとして国際的に活動し、千葉大学、UCLAで教鞭を、多摩美術大学では、初代デザイン科学科長を務めた。代表作に、旧明治乳業やサントリー、金沢工業大学、多摩美術大学などのCIデザイン、「旧渋谷PARCO ネオンサイン」(現在は2019年に新たにオープンした渋谷PARCO内に展示)、東京ミッドタウン内彫刻《予感の海へ》、「EXPO '85 国際科学技術博覧会」ポスターデザインなどがある。今年2月、進行性核上性麻痺のため札幌市の病院で逝去した。享年80歳。

五十嵐威暢。「五十嵐威暢アーカイブ」オープンの際に撮影

 本展は、五十嵐威暢アーカイブが開設されて以降、初の研究報告展となる。五十嵐の代表作である「多摩美術大学のマーク」(1995)と「渋谷 PARCO PART3」(1981-1982)を取り上げ、写真や図面、メモやスケッチといったアーカイヴならではの一次資料の展示を通じて、五十嵐作品やプロジェクトの制作背景、そのプロセスを紐解くことを目的としている。

 1981年9月にオープンした「渋谷 PARCO PART3」において、五十嵐は立体的なメインロゴやショッパー、館内のグラフィックやサインを手がけた。ここでは、五十嵐威暢アーカイブが所蔵する資料に加え、株式会社パルコが保管するオープン当時の写真資料もあわせて展示。当時の渋谷の様子がうかがえるとともに、このパルコが目指したコンセプトに対し、いかに五十嵐が幅広い仕事をもって応答していたかがわかる内容となっている。

「渋谷 PARCO PART3」展示風景より。担当ディレクターは鯉沼晴悠
「渋谷 PARCO PART3」展示風景より。オープン後、ショーウィンドウ型のギャラリー「ストリートギャラリー」に展示された五十嵐によるアルファベット彫刻
「渋谷 PARCO PART3」展示風景より。当時、新たなライフスタイルの在り方としてインテリアの提案を行うことをコンセプトとした「渋谷 PARCO PART3」。そこに五十嵐を結びつけたのは、なんとインテリアデザイナーの倉俣史朗であった

 もうひとつの「多摩美術大学のマーク」は、現在の多摩美術大学でも用いられているものだ。指名コンペティション形式であったこのプロジェクトに、五十嵐は当時住んでいたアメリカから日本のスタジオを通じて参加しており、コンセプトの設定からFAXによるデザイン案のやり取り、そしてロゴの展開案に至るまでが時系列に沿って展示されている。遠く離れたスタジオにきちんと意図が伝わるよう、思考が丁寧に言語化されていることも資料から読み取れる。

 そしてやはり驚くべきは、当初大学側より指定されていた「マーク」「ロゴタイプ」の提案のみならず、その展開までを考えてプレゼンに臨んでいる点にある。ビジュアル的なデザインはもちろんだが、五十嵐がいかにプレゼンテーションを重視していたかも伺うことができるだろう。

展示風景より、「多摩美術大学のマーク」 担当ディレクターは野見山桜
展示風景より、「多摩美術大学のマーク」
展示風景より、「多摩美術大学のマーク」

 なお、3月5日には元『アイデア』編集長・室賀清徳をゲストとし、トークイベント「デザインアーカイブの実際ー五十嵐威暢アーカイブを事例に」も開催された。アーカイヴはyoutubeで視聴が可能となっているため、ぜひあわせてご覧いただきたい。