プレイバック!美術手帖 1990年6月号 特集Ⅱ「モスクワ1990 ソ連アート最新レポート」

『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。美術家の原田裕規がバックナンバーから特集をピックアップし、現代のアートシーンと照らし合わせながら論じる。今回は1990年6月号の特集Ⅱ「モスクワ1990 ソ連アート最新レポート」を紹介。

文=原田裕規

「社会主義とハイパーリアリズム ウクライナ・ポストモダン派を中心に」より(P110-111)
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「脅威」の内側で生み出された表現に目を凝らすこと

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからというもの、マスメディアで「ウクライナ」の文字を見かけない日はなくなった。そのいっぽうで、私たちはウクライナの歴史や文化についてほとんど無知であったことにも気づかされている。

 本号には、エイズで命を落としたキース・ヘリングを追悼する第一特集と、ソ連の最新アートを紹介する第二特集が組まれている。疫病の流行と大国の崩壊、そして湾岸戦争を間近に控えた当時の状況は、やはり疫病が蔓延し大国同士が戦時下にある現在の状況とどこかで重なる。

 第二特集を構成するのは、椹木野衣、毛利嘉孝、岩渕潤子によるソ連のアートをめぐるレポートだ。なかでも目を引くのは「ウクライナ・ポストモダン派を中心に」という副題が付された毛利のテキストである。そもそもウクライナ・ポストモダン派とは、当時まだソ連の一部だったウクライナに出自を持つ新世代のアーティストたちを指している。とりわけ指導的な人物は、1952年にキーウで生まれたセルゲイ・バジレフだ。一見すると社会主義リアリズムに見えるハイパーリアルな作風で、アメリカ発のハイパーリアリズムに慣れ親しんだ人々の目には新鮮な驚きを与える。

 そのほかには、ウクライナ・バロッコを引用したシミュレーショニスティックな作品で知られるアレクサンドル・グニリツキー、「捨てられた写真」をソ連の大地に接続する作風から「東のキーファー」と呼ばれたコンスタンチン・ポヴェジンなどが紹介されている。ポストモダン派ではないが、現在「越後妻有 大地の芸術祭2022」で新作を展開しているイリヤ&エミリア・カバコフもウクライナ(旧ソ連)の出身だ。

 とはいえ、なにも彼らが「民主的」で「反ロシア的」なアーティストだと喧伝したいわけではない。1990年時点でも、欧米の美術関係者がソ連のアーティストを西側の基準から一方的に測ろうとしていたことに対して、すでにその厚顔無恥が批判されていた。本特集への寄稿のなかで岩渕も、そもそもソ連はスラヴ、ヨーロッパ、ビザンチン、アジアなどの文化的「コレクティヴ」であり、西側が率先して評価するアヴァンギャルドは多様な全体の一部にすぎないと注意を促している。

 そのいっぽうで、ウクライナの現在に目を向けてみれば、言語を絶する暴力が広がっている。市民は殺され、美術館は燃やされ、劇場は空爆されることで、人々の生命・文化・生活が激しく破壊されている。その凄惨さには言葉を失うばかりだが、だからこそ目を背けずに、この悲惨な時代と彼らの芸術・文化を直視していきたい。

1990年6月号表紙

『美術手帖』2022年7月号「プレイバック!美術手帖」より)