プロジェクト・リーダーの平井京之介が語る企画展「水俣病を伝える」(国立民族学博物館)。「伝える」を伝えるフィールドワーク展示はいかに出来上がったのか
美術館/博物館の学芸員(キュレーター)や研究員が、自身の手がけた展覧会について語る「Curator's Voice」。第21回は、国立民族学博物館で開催中のみんぱく創設50周年記念企画展「水俣病を伝える」(〜6月18日)をピックアップする。「水俣病を伝える」活動とそれに取り組む人びとに焦点を当て、約150点の資料とともに紹介する本展が目指したものや課題について、プロジェクト・リーダーの平井京之介が語る。
6月18日まで、大阪府吹田市の国立民族学博物館(みんぱく)で、企画展「水俣病を伝える」を開催している。熊本県水俣・芦北地域でおこなわれている水俣病を伝える活動を紹介し、負の歴史を伝えることの意義を考える展覧会だ。
水俣病は、水俣市周辺で、1950年代から60年代にかけて発生した公害病であり、「公害の原点」とも言われる。現在、水俣・芦北地域では、展示やガイドツアー、写真、語り部講話などを通じ、水俣病の歴史や被害者の苦しみ、公害の経験を活かしたまちづくりなどを伝える活動が盛んである。どのような人たちがこの活動をしていて、そこにどういう思いがあるのか。本展では、水俣病を伝える活動の魅力と、そこから学べるものの可能性を探る。
水俣病に関する資料館が水俣に3つある。ほかにも全国様々なところで、これまでに水俣病に関する展覧会が開かれてきた。だが、それらはみな、過去の水俣病の被害と加害の歴史に焦点を当てたものである。本展は、僕の知るかぎり、水俣病そのものではなく、現在の「伝える」活動に焦点を当てる初めての展覧会だ。
なぜみんぱくで公害の展示をするのか、と不思議に思う方がいるかもしれない。この問いに答えるのはそれほど難しくない。たしかに、みんぱくは世界の諸民族の文化や社会を展示する博物館である。しかし同時に、文化人類学・民族学の研究所でもあり、所属する研究者たちが現地でフィールドワークした成果を展示にしている。
僕は社会人類学を研究しており、2005年から水俣病を伝える活動について調査してきた。誰が、何を、どのように伝えているのか。彼らの活動は社会にとってどのような意味をもつのか。これらの問いに答えるために、自ら活動に参加しながら観察するという人類学的なフィールドワークをしてきた。これまでの現地調査は計21ヶ月間に及んでいる。水俣病センター相思社では、職員とともに、水俣病歴史考証館の運営や市内を案内してまわるガイドツアーなどに従事した。水俣病を語り継ぐ会では、出張授業や朗読会などの手伝いをしてきた。そうして関係者と信頼関係を築きながら、彼らにとって水俣病を伝える活動がいかなるものであるかを学んだ。今回の展示は、その成果をかたちにしようとしたものだ。
展示で伝えたいと思ったことがふたつある。ひとつは、「水俣病を伝える活動」とはいうものの、伝えられているのが水俣病に関する歴史的事実だけではないことだ。基本的に被害者の立場から見た水俣病を伝えているのだが、話には被害の経験だけでなく、被害者や関係者の思想や生き方などまでが広く含まれている。聞き手は、その物語に共感し、自分とのつながりを発見し、自らの問題として、あるいはもともともっていた問題意識との関連性を、考えるように促されるのである。
もうひとつは、伝える活動の魅力が、伝え手の魅力に大きく依存していることである。伝え手になっているのは、多くはよそ者である。彼ら自身は被害者ではないし家族に被害者がいるわけでもない。関東や関西から移り住んで、被害者と日常的につきあいながら、水俣病や水俣病とともに生きることについて学び、考え、仲間と意見交換している。そして学んだこと、感じたことを外から来た人に語るのである。
彼らが語ることの多くは、もちろん被害者についての話だ。ただし伝え手は、特定の物語を自ら選び、解釈し、感想とともに自分の言葉で伝えている。その意味で、伝えることは伝え手の自己表現でもある。そして僕の考えでは、伝えられる物語にリアリティが感じられるのは、言語によって表現される以上のこと、とりわけ伝え手の人となりや彼らの情熱が、物語ることを通じて聞き手の目の前にはっきりと現れてくることによる。被害者の深い悲しみや耐えがたい苦しみ、逆境を生き抜くための工夫などは、それらの物語を一度自分のなかに取り込んでから手繰りだす、伝え手の人格や情熱の力がなければ、聞き手にうまく伝わらないだろう。
では、こんな抽象的なことをどうやって展示で表現するのか。そこで僕が考えたのが、フィールドワークを再現する「フィールドワーク展示」である。人類学的なフィールドワークでは、現地に長期滞在し、現地の人々とのあいだに信頼関係を構築し、現地社会の一員として受け入れられたうえで、生活様式や価値観などについて学んでいく。展示内容がこうした過程から生まれた成果であることをわかるようにして、僕と水俣病の伝え手、さらには観覧者とのあいだの対話を進めようというのである。ポイントは、僕が伝え手の人柄や彼らの伝えることへの情熱にどれだけ魅力を感じているかを、観覧者に伝えられるかだ。
具体的にしたことは、まず、解説文をすべて「僕」の一人称で書くことにした。情報提供者の発言と僕の解釈や感想とを区別しつつ、僕が何を見てどう思ったかを自分の言葉で書いていった。ただし同時に、フィールドで僕がどのような位置を占め、いかなる状況のもとでどのような種類のデータを集めたかをできるかぎり開示するようにした。あたかも「僕」といっしょにフィールドで伝え手から話を聞き、そのうえで伝え手が言っていることと僕が言っていることについて、観覧者が自ら判断できるように工夫したのである。
また、全体を構成する5つのコーナーのそれぞれ冒頭に、僕の情報提供者を紹介する写真入りパネルと、彼ないし彼女のインタビュー映像を展示した。インタビューは「水俣病を通して何を伝えたいか」などを話してもらったもので、長期にわたりいっしょに活動してきた僕だからこそ聞き出せた内容になっていると自負している。