縁取りと暗示。ゲルハルト・リヒター個展「Abstrakt」から見えるものとは何か?
現在、エスパス ルイ・ヴィトン大阪で開催されているゲルハルト・リヒターの個展「Abstrakt」。フォンダシオン ルイ・ヴィトンが所蔵する18点の抽象作品が並ぶ本展が意味するものを、美術評論家の清水譲が読み解く。
エスパス ルイ・ヴィトン大阪で、財団の収蔵品としては初公開の「抽象画(Abstraktes Bild)」2点を含む、全18点のリヒター作品による展覧会が開かれている。スザンヌ・パジェをチーフとする企画チームは、何を考えてリヒターを選択し、そしてどのように大阪展を構成したのだろうか。
リヒターの「抽象画」は、最初、抽象スケッチの細部の拡大写真の絵画として始まるが(第1期;1980年前後)、やがて写真を離れ、空間を感じさせる色面を背景に様々なストロークが舞い踊る段階に(80年代~)、スキージによる描画が加わり(80年代半ば~)、スキージの運動が支配的になって(80年代末~)、90年代前半にかけて完成に至る(第2期)。この系統の「抽象画」は、その後(2000~10年代)ガラス立体やストリップとして極相に達する。この先はもうないと思われていたところへ、「ビルケナウ」(2014)の完成をきっかけに、画家は同年から「抽象画」(第3期)を再開し、現在に至る。
今展の「リラ」(CR494、1982)は、84年に富山県立近代美術館(当時)の「TOYAMA NOW」展に姉妹作(同型作品連番4点のうちの2点)「オランジェリー」(CR495、同美術館所蔵)とともに出展されているので、いわば姉の日本再訪である(リヒターと日本の関係が、1968年、長岡現代美術館のグループ展に遡ることもリサーチ済みだろう)。さらに、2022年6月から東京国立近代美術館で予定されているリヒター回顧展の先払い/先取りの意味もあろう。
日本に縁のある「リラ」は、「人参」(1984)とともに、スキージが全面化する前、第2期への過渡期に属する。これらと2015年の「抽象画」が本展の2つの極をなす。第3期の作品は80年代後半を参照しているので、2極は緩く照応し合っている(本当は財団コレクションの「グートルーン」[1987]のほうが相応しかった)。ストリップは(やや甘いがエナメルのガラス絵「フロー」も)、両極に縁取られた第2期「抽象画」の本質( 写真画像に頼らず絵具だけでレイヤーを出現させる=絵具の映像化)のみを抽出し展開した作品である。
スナップ写真上に油絵具というミニマムな手段で透明なレイヤーを出現させる「上描き写真」は、リヒター芸術の基本モデルであり、「灰色の森」はそれを「フロー」と同じエナメルで遂行した。「森」はリヒターのアーティストブック(2008)の題名でもあり、事実、「灰色の森」は本で使わなかった大量の森の写真をもとにしている。「灰色」は「グレイ・ペインティング」のように見え、「森」はドイツの文化史に深く根を下ろした象徴であるとともに、第2期の典型的な「抽象画」(CR733、1990、財団コレクション)のタイトルでもあり、さらにはブナの森=ブーヘンヴァルト(強制収容所)と響き合って、ビルケナウ(アウシュヴィッツ)に通じる。つまり本展は、リヒターの「抽象画」の頂点をなす第2期の核心を、それ以前とそれ以後の「抽象画」で縁取り、残りの作品が「それ以後」の引き金を引いた「ビルケナウ」を暗示しているのである。