舟越桂の静謐と情熱、そしてレガシーに迫る。学芸員が語る「舟越桂 森へ行く日」(彫刻の森美術館)
日本初の野外美術館として1969年、箱根山中にオープンしたのが彫刻の森美術館だった。開館55周年を記念して現在、「舟越桂 森へ行く日」が開かれている。準備途上の2024年3月、舟越桂氏は逝去。それでも企画実現を強く望んでいた本人の意思を汲み、個展は予定通り開催へと漕ぎつけた。同展および併催の「名作コレクション+舟越桂選」展について、展覧会を担当した彫刻の森芸術文化財団主任学芸員・黒河内卓郎と東京事業部部長・坂本浩章に話を聞いた。
誰よりも開催を楽しみにしていた個展
──今展の企画は、どのようなきっかけで動き始めたのでしょうか。
黒河内卓郎(以下、黒河内) 彫刻の森美術館の55周年企画展作家として、舟越桂さんのお名前が挙がったのは2023年春のこと。人気、作品の質とも非常に高い作家であり、一貫してオーソドックスな人物彫刻を手がけながら、そのなかに様々な新しい試みを入れ込んでいる。伝統的でもあり革新的でもある舟越さんの作品を、ぜひまとまったかたちで紹介したいと考えました。
また当館が、舟越さんのお父様である舟越保武作品を所蔵していることも、理由のひとつとなりました。日本の彫刻史を通覧しても、親子で質の高い作品を生み出しているケースは非常に稀です。高村光雲・光太郎、朝倉文夫・響子など数えるくらいでしょうか。その意味でも舟越保武・桂父子の存在は貴重です。彫刻を標榜する美術館として、舟越父子の活動は着目すべきテーマでした。
坂本浩章(以下、坂本) 幸い舟越さんとは以前お仕事でご縁がありました。私たちの財団で手がけている丸の内ストリートギャラリーで、これまでに何度か出展をお願いした経緯がありました。
舟越さんとお仕事をして気づいたのは、現代の日本の彫刻家に舟越さんが与えている影響は甚大なものだということ。作風や活動の方向性は違えど、舟越さんにシンパシーを感じていたり慕っている作家はたいへん多いです。
したがって、いま舟越さんの個展を開くことによって、日本の現代彫刻の系譜や影響がきっと見えてくると思っていました。
──そうして企画は動き出したものの、残念ながら舟越桂さんは、開会を待たず旅立たれました。今展の話を受けた時点でご本人には、これが「最後の個展」となるお気持ちがあったのでしょうか。
黒河内 いえ、おそらくそれはありませんでした。私たちがアプローチした昨年春というのは、最後の作品となる彫刻《書庫の中を飛ぶ》を発表したころで、まだまだ創作意欲をしっかりお持ちだった。ただ、すでに闘病中ということもあり、大規模な個展を引き受けるにあたっては、どこまで自分が動けるかわからないというので、即答はなさらなかった。
しばし熟考の末、彫刻の森は好きな美術館だし、父の作品もあるからと、話を受けてくださいました。
坂本 その後、入院なさったのですが、病床でも「彫刻の森で大きな展覧会をやるんだよ」と皆さんに話していたそうですから、これが最後になるとは考えていなかったはず。何より舟越さん自身が、誰よりも開催を楽しみにしていたのだと思います。
──展覧会の構成はどのように組み上げられていったのですか。
黒河内 体調の問題もあるので、作品の選定は美術館に任せるとおっしゃっていただきました。ただし演出はしないでほしい、素直に作品を観てもらえる展示がいいとは言われました。
それだけ自分の作品に自信を持っていらっしゃるということでしょう。たしかに舟越作品はテーマ性、ストーリー性、細部に至るまでの工夫やちょっとしたユーモアまで、様々なものが含まれている。奇を衒わず、しっかりひとつずつの作品を観てもらうのが良いと思いました。ご本人の希望に沿った展示にできたのではないかと考えています。
ひとつずつの作品と対峙する
──では、展示を順に見ていきましょう。全体は4室で構成されていますね。
黒河内 はい、展示室1は「― 僕が気に入っている ―」。舟越さんのアトリエを再現して、そのなかに初期作やデッサン、メモなどを配しました。打ち合わせでお邪魔した舟越さんのアトリエは、まるで秘密基地みたいで雰囲気がすばらしく、その空気感を来館者の方々にも感じていただきたいと思ったのです。
坂本 手製の作業台やデッサン用の一本足のイス、初期の代表作《妻の肖像》など、アトリエには道具やオブジェ、作品が混然として置いてありました。ただご自身の中では、その一つひとつがきちんと整理されていて、彫刻刀の1本ずつまで並びに意味があったようです。自分にとって居心地のいい場所づくりを、つねに意識されていたと思います。
──中2階にある展示室2は、「― 人間とは何か ―」と題されています。
黒河内 人間が抱える孤独や矛盾、二面性に目を向けていったことを示す作品群を集めています。肩に山を背負っているような《山と水の間に》は、学生時代に眺めていた山を「あの山はあの大きさのまま自分の中に入るだろう」と突然思った、という体験がもとなって生まれた“山のような人”のシリーズのひとつです。
このエピソードを聞いて私は、夏目漱石『三四郎』で主人公が上京する際に聞かされる「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」「日本より頭の中の方が広いでしょう」という言葉を想起しました。舟越作品は作品名を含め文学性が豊かです。俳人であったお母様・道子さんの影響も大きかったのではないだろうかと想像します。
──同じく中2階の展示室4は、「― 『おもちゃのいいわけ』のための部屋 ―」となっています。
黒河内 『おもちゃのいいわけ』とは、舟越さんが家族のためにつくったおもちゃを紹介している本で、舟越さんの姉にして編集者の末盛千枝子さんによって1997年に出版されました。本展に合わせてこのたび、増補新版が刊行されることとなりました。
ここでは本に収載されている「木っ端の家」「クラッシックカー」などの実物を展示し、あわせて舟越さんが病床で愛用していたスケッチブックと、その内容を本人が解説する貴重な映像も流しています。
坂本 同書に新しく収載された《立ったまま寝ないの!ピノッキオ!!》《あの頃のボールをうら返した。》も展示しています。ここでいうボールとは、舟越さんが愛してやまなかったラグビーのボールのこと。裏返されたラグビーボールに様々なオブジェがついたこの作品は、2019年に世界的なラグビーの大会が日本で開催された際に私が企画した、ラグビー経験のあるアーティストたちが集う展覧会「アートスクラム」に向けてつくられたものです。
舟越さんはラグビーこそ「僕の青春」と言っていました。ラグビーボールをひっくり返したら、自分の人生を彩るあれこれが詰まっていて、それらが飛び出してきたというかたちになっています。
──2階に上がると展示室3「― 心象人物 ―」です。
黒河内 人間の存在を深く見つめる作品群が並びます。静かな佇まいを見せる像がほとんどのなか、《戦争をみるスフィンクスⅡ》は異質です。舟越さんの作品にしては珍しく、感情をあらわにした表情をしているのです。人が人を攻撃する、そのようなことがなぜ止まないのか、像を通して舟越さんがそう強く訴えかけている気がします。
この作品が制作されたのはイラク戦争が激化しているときでした。十数年後のいまも各地で紛争は続発しています。人間はいったいどうしてしまったのか、獣性を抑制することはできないのだろうかと、深く考えさせられます。
展示室の壁面はドローイングが掛かっています。舟越さんは彫刻をつくる際、等身大で納得のいくドローイングを一枚描き切ってからでないと、木を彫り始めなかったといいます。舟越桂という作家の思考や創作手法を見るうえで、ドローイングは重要です。
《戦争をみるスフィンクスⅡ》の脇に配された赤い背景を持つ一枚、《DR1002》はとりわけ印象的です。その複雑な表情からひどく傷ついた人に見えますが、苦境にあっても負けずに立ち上がろうとする人間の姿のようにも思えます。
坂本 室の奥のほうにある最近の作品では、青い彩色が多く使われるようになっているのも見てとれます。先ほどの展示室では、山を自分の中に取り入れた彫像がありましたが、ここでは海や水を体内に取り込んでいるのでしょうか。
また《青の書》では、書物とも思われるような歪んだ板状の青いガラスが額に、《青い体を船がゆく》では胴体に船が、くっ付いている不思議な表現が見られます。舟越さんは心象人物と名付けた表現で、心象風景と人物像の眼差しを重ねながら表現し続けたと思います。どの彫像と対峙しても、たくさんの発見があります。
──1階に戻ると、出口へ至る窓際に、厚紙に描かれた小品が並んでいます。これも舟越作品ですか?
黒河内 病室で制作していた《立てかけ風景画》です。舟越さんは病床の窓外に広がる空と雲を眺め続け、そこにいろいろなイメージを見出して楽しんでいました。雲のかたちから草原に横たわる女性のイメージを見つけて、帯状にしたティッシュペーパー箱の裏側にそれらを描いていきました。その小さくて細長い絵を、食事で出されるヨーグルトのカップでつくった台に立てかけ、眺めていたのです。病室で舟越さんが眺めていたままのかたちで、ここに展示しています。
坂本 プロジェクターで拡大投影していますが、この作品を見ると、舟越さんが楽しんで描いていたのが伝わってくるようです。病室で看護師さんに言われたそうですよ、「ずいぶん絵がお上手なんですね」と(笑)。
この小さな風景画は、その後さらに展開し、ずいぶんエロティックなイメージも出てくるんです。それについて舟越さんは「精神性とかではなく、もっと遊んでやろうと思って」と語っていたそうです。
彫刻史を可視化する「名作コレクション+舟越桂選」展
──本館ギャラリーを出て、歩いてすぐの建物がアートホール。こちらでは「名作コレクション+舟越桂選」の展示が催されています。
黒河内 当館の2000点余りのコレクションから近現代彫刻の優品を選び、時代の流れに沿って並べました。加えて、舟越桂さんにゆかりある現代作家5人の作品も、当館コレクションに接続するかたちで選りすぐって展示しています。
当初は当館の作品から舟越さんの目でセレクトしていただこうと計画していました。しかし、体調的にそこまで関与できなさそうでしたので、代わりに舟越さんの推薦作家5人を挙げていただいた。その作品を近代作品とつなぎ、現代までの彫刻史を可視化できるように構成してみました。
コレクション作品はメダルド・ロッソに始まり、シャルル・デスピオや、舟越保武作品《原の城(首B)》もあります。こちらは首像で、全身像は岩手県立美術館の所蔵です。
保武作品は静謐なものが多いですが、同作は珍しく激しい感情が露わになっている。島原の乱が題材になっており、ほぼ全員が殺害された一揆衆たちの無念を表しています。先ほど紹介した舟越さんの《戦争をみるスフィンクスⅡ》と、相通ずる感情表現のように私には感じられます。
坂本 続いて舟越さん推薦の5人を見ていきますと、まず東京造形大学で同じ彫刻科で教鞭をとられて、長年の友人だった三木俊治さん。《美つくり箱》と題された5つのカバンは、長年テーマにしている《行列》が内部に施された、エアロコンセプトとのコラボレーション作品です。
同じく東京造形大学でともに教鞭をとられていた保井智貴さんの《untitled》《tictac》は、乾漆造りの人体像です。保井さんは舟越さんの作品に出会い、色彩のある木彫作品に感銘を受けたと伺いました。
杉戸洋さんは、以前から舟越さんが高く評価していた作家のひとり。舟越さんのアトリエにある彫刻の作業台を思い浮かべながら、自身のアトリエのイーゼルを重ね合わせて作品化した《easel》を出展してくださいました。
名和晃平さんは、2019年アートスクラム、2022年丸の内ストリートギャラリーでお会いした際に、以前から舟越さんの作品がお好きだったと、とても嬉しそうに会話されていて、今回の展示も舟越さんの展覧会のためならとご参加くださいました。
出品作《Trans-Yujin(Stroke)》は、同会場にウンベルト・ボッチオーニ《空間の中の一つの連続する形》が展示されることを知って、共鳴しそうだと考えセレクトしたものです。
三沢厚彦さんは木彫作家の後輩として、舟越さんが全幅の信頼を置いていた存在。舟越選展に展示をするのなら、いま自分の持っているベストの作品を展示したいと、重さ2トンの巨大な《Animals 2023-01》を出展してくださいました。
さらには《オカピのいる場所》も展示しています。舟越桂、杉戸洋、小林正人、三沢厚彦が「アニマルハウス 謎の館」展(松濤美術館、2017年)で共作したもので、オカピは舟越さんのお気に入りのモチーフです。像の頭部を担当したのは舟越さんで、長いまつ毛などによく特長が出ていますね。
──こうして彫刻の近現代史をたどると、舟越作品が今後、彫刻史にどう位置付けられていくか気になります。
黒河内 舟越作品が彫刻史になんらかの足跡を刻むであろうことは確信しています。人物彫刻として高いクオリティを備え、普遍的なものに届いている感触がありますから。観る者に訴えかける力も、たいへん強いものがありますしね。
今回、舟越さんは亡くなられてしまいましたが、舟越さんの思いを叶えようと関係者の皆様がご尽力されて、展覧会は開催することができました。改めて多くの人に、舟越さんの作品に触れていただきたいと思っています。