2024.9.12

光州ビエンナーレ日本パビリオン、2作家が伝える歴史を紡ぐ重要性

9月7日に韓国・光州で開幕した「光州ビエンナーレ2024」。今年、同ビエンナーレに初出展した福岡市主導の日本パビリオンの様子を現地からお伝えする。

文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」)

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)
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 韓国における民主化運動においてもっとも重要な都市である光州。ここを舞台に、1995年から2年に一度開催されている「光州ビエンナーレ」が今年、第15回を迎えた。

 30周年の節目となる今年の光州ビエンナーレには30ヶ国から70組を超えるのアーティストが参加。「関係性の美学」で知られるキュレーターで美術批評家のニコラ・ブリオーがアーティスティック・ディレクターを務め、「パンソリ 21世紀のサウンドスケープ(Pansori a soundscape of the 21st century)」をテーマに本展示が展開されている(「パンソリ[パン(空間や場)・ソリ(音や歌)]」とは、17世紀に韓国南西部でシャーマンの儀式に合わせて生まれた伝統的な口踊芸能のことで、韓国語では「公共の場からの音」のことを指す)。

本展示の様子 撮影=編集部
本展示の様子 撮影=編集部

 これとは別に、注目すべきなのがパビリオン展示だ。光州ビエンナーレでは2018年からパビリオンが立ち上がり、年々規模が拡大。今回は前回の9ヶ国から大幅増となる31のパビリオン(22の国と都市、9つの機関)が参加し、それぞれ特色ある展示を繰り広げている。そのなかのひとつが、初参加となる日本パビリオンだ。

 今回の日本パビリオンは国主体のものではなく、出展・主催者は福岡市。福岡市は2022年には「Fukuoka Art Next(FaN)」事業をスタートさせ、市内に交流拠点となる「Artist Cafe Fukuoka(ACF)」をオープンするなど、アーティスト支援に積極的に取り組む姿勢を打ち出してきた。また福岡アジア美術館をはじめ、これまでアジアとの交流を盛んに行ってきた歴史を持つことから、このパビリオンを福岡市が担うこととなった。同市は、ACFにおける海外展開事業のひとつとして国際美術展に出展することはアーティストの成長支援のみならず、今後の現代アートを通じたアジアとの交流に貢献していく契機となると期待を寄せている。

 日本パビリオンの会場は、ビエンナーレ本会場とは異なる光州市内の2ヶ所。批評家で文化研究者の山本浩貴がキュレーションを担い、内海昭子と山内光枝が参加。「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」をコンセプトに掲げる。光州の地に歴史的に埋め込まれた無数の声と沈黙に耳を傾けながら、そのいっぽう、現在進行形で生起しているグローバルな事象に接続する回路を開くことも目指すというものだ。

 今回、内海と山内は作品制作のために何度も光州を訪れ、朝鮮美術文化研究者である古川美佳や東京大学東洋文化研究所教授の真鍋祐子らからレクチャーも受けた。そのリサーチや滞在の経験が、新作に生かされている。

 内海は映像の概念をベースに、風景を再構築し、時間の連続性を表出させるインスタレーションや映像などを制作してきた。「大地の芸術祭」(新潟)の会場に常設されている《たくさんの失われた窓のために》は代表作のひとつだ。

 内海のインスタレーション《The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere》が展示されているのは、ホテル「Culture Hotel LAAM」の1階に位置する広大なホワイトキューブ。薄暗く、ひんやりとした空間には、100本を超える異なる長さの金属棒が天井から吊るされ、ゆっくりと動く。その棒同士が当たることでわずかな音が発生し、連鎖を生み出す。

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 内海にとって、「音」を使った作品は今回が初めて。そのきっかけは、韓国にある「戦争と女性の人権博物館」に訪れたことだったという。慰安婦をはじめとする歴史を伝える博物館に流れる、「水曜デモ」(日本軍『慰安婦』問題解決全国行動)の賑やかな音楽。内海は、音を鳴らして王に直訴をするという韓国の伝統的な風習をそこに見出し、日本と韓国の長い歴史の因果を踏まえつつ、「音」と「連鎖」に焦点を当てた本作を生み出した。

 一つひとつは小さな音であっても、それが連鎖すれば良きにしろ悪きにしろ大きな存在となる。歴史に刻まれるのは、そうした大きな声だ。しかしいっぽうで、小さな音さえ出すことができない状況も世界には存在する。内海の作品は、政治性を内部に織り込みながらも、静かに世界の状況を私たちの心に響かせる。

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 いっぽう山内光枝は、対象となる土地やそこで暮らす人々と時間を共にした丁寧なリサーチを通し、歴史や記憶を現在に接続する映像インスタレーションで知られる。最近作では、大日本帝国占領下の釜山で内地人植民者として暮らした自らの家族の歴史と向き合い、日本の植民地主義と地続きにつながる自信の現在を問い直す《信号波》を発表。また今年は、対馬美術館で対馬の海女の記憶を紡ぐ個展「泡ひとつよりうまれきし 山内光枝展」(7月13日〜9月23日)を開催するなど、活躍を見せている。

 山内は古民家を改装したギャラリー「Gallery Hyeyum」で映像インスタレーション《Surrender》を発表。山内は当初、今回の展示が釜山ではなく光州となることに戸惑いがあったというが、今年に入って4回に分けて現地に滞在し、生活をおくった。とくに重要な存在となったのは、光州事件で家族を亡くしたり被害を受けた女性たちが集う「5月母の家」のオモニ(母)たちや、光州楊林教会のオモニたちだったという。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 《Surrender》は、現地での滞在を通じて浮かび上がった77の言葉をもとにしたもので、そこからランダムに選ばれた50語を、その順番に沿って3つの言語で詠んだ3篇の即興詩が会場に響く。3つの言語は同時に発せられるため、鑑賞者は自ずと理解するために耳を傾ける。いっぽうで自らの母語でない言葉は無意識に除外しようとしていることも自覚させられるだろう。

 また語られるワードはごく一般的に使われるもので、光州事件を紋切り型に語るようなものではない。大きな物語ではなく、その裏に隠れる名前のない物語が無数に存在しているという当たり前の事実が突きつけられる。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)
山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 光州の歴史背景を丁寧にリサーチし、紡がれた今回の日本パビリオン。キュレーターの山本は、「最近のソーシャル、ポリティカルなアートが、社会課題を探し、それを明示的な仕方で作品内で前景化する傾向にあるが、僕自身は必ずしもそれが唯一の選択肢ではないと思う」としつつ、「今回、両作家と様々なリサーチを重ねてきたが、それが言語を中心とした明示的なかたちで作品・展示に表出していないという意味で、新しいかたちのオルタナティブは示せたと思う。いろんな人に見てもらい、建設的な議論ができればなと思う」と振り返った。

 山本が掲げた「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」というコンセプト、そしてビエンナーレ全体の「パンソリ 21世紀のサウンドスケープ(Pansori a soundscape of the 21st century)」というテーマに見事に応えた2作家の新作を、現地で目撃してほしい。