NY・ガゴシアンの石田徹也回顧展をレポート。ロスジェネ、ひきこもり、世紀末……90年代日本社会の文脈化
ニューヨークのガゴシアンで9月12日〜10月21日、石田徹也の個展「My Anxious Self」が開催された。労働や社会規範といった人間社会の閉塞的なシステムを描いた石田を、改めて美術史のなかに位置づけようとした本展をレポートする。
今年8月に石田徹也(1973〜2005)の作品をグローバル・リプリゼントすることを発表したニューヨークのメガギャラリー、ガゴシアン。その555 WEST 24TH STREETにあるギャラリーで9月12日〜10月21日、石田の個展「My Anxious Self」が開催された。石田を改めて美術史のなかに位置づけようとする本展についてレポートする。
石田は1973年静岡県生まれ。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。戦闘機、ガソリンスタンド、玩具といった日常生活で目にするものと自身を自画像ともいえる男性像を組み合わせ、労働や社会規範といった人間社会の閉塞的なシステムを描き出していた。2005年の逝去後、初の美術館個展「飛べなくなった人 石田徹也 青春の自画像」(2006)が静岡の駿府博物館で開催。以降、静岡県立美術館、練馬区立美術館、浜松市美術館、平塚市美術館や、海外ではアジア美術館(サンフランシスコ)、ソフィア王妃芸術センター(マドリッド)などでも個展が開催され、その作品は第4回横浜トリエンナーレ(2011)、第10回光州ビエンナーレ(2014)、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ(2015)にも出品されている。
メガギャラリーのガゴシアンは、2013年に石田の日本国外での初個展を香港で開催。以来、石田の作品を世界に紹介してきた。本展はニューヨークにおける石田の初個展であると同時に、生誕50周年の節目の展覧会となる。
展覧会には個人コレクションや没後に遺族から寄贈された静岡県立美術館のコレクションも含めた80点以上の石田の作品が並ぶ。キュレーターは昨年の第59回ヴェネチア・ビエンナーレの芸術監督を務めたチェチリア・アレマーニが務めた。
訪れたのが展覧会最終日ということもあり、会場は多くの人々で賑わっていた。会場では初期作品を企業による労働の閉塞感や、90年代後半に問題視されるようになった「ひきこもり」との関連性を示しながら展示。また、キャリアの終盤にかけて石田の作品が子供や女性を登場させた夢想的なものへと変化したことにも着目しており、そこに諦めのようなものの存在を見出していた。石田はとくに初期作品の具体的なメッセージを想起しやすい初期作品がよく知られているが、本展はその作風の変遷を広く伝える構成になっていた。
また、本展にはこれらの作品群を90年代の日本の社会状況と結びつけて文脈化しようという試みが顕著に見られた。会場では石田が好んだ、つげ義春やつのだじろうによるマンガや、谷内六郎の挿絵などを展示してそのルーツを提示するとともに、90年代の日本においては70年代に小松左京『日本沈没』が描いたような終末的な気分が流行していたことも示される。資料映像として、90年代に社会現象にまでなった『新世紀エヴァンゲリオン』のほか、オウム真理教事件や阪神淡路大震災、過労死を扱ったドキュメンタリーも上映されていた。
石田がコンビニエンスストアの店員や警備員といったアルバイトをしながら制作を行っていたことはよく知られている。石田と同じく70年代に生まれた世代は、バブル崩壊後の日本における就職氷河期世代(ロスジェネ)と重なり、この世代の収入の不均衡や、非正規雇用者の高齢化といった問題は現在の日本社会に影を落としている。本展では、こうした日本の社会状況と石田の作品をリンクさせながら紹介しており、例えば「(作品における)人物の変身が、痛みと不安に満ちた人生において実行できる最後の選択肢であるかのようにも見える」といった評価を与えている。そこには、日本の現代史を鑑みながら石田を美術史に組み込もうとする手つきがあると言えるだろう。
もちろん、以上のような状況は日本固有のものではなく、アメリカをはじめ世界各国において労働条件や収入の格差は広く問題となっており、その苦難に直面している人々が無数にいる。こうした社会の矛盾を浮き彫りにするものとして「石田の作品がこれまで以上に共感を呼んでいる」と、現代において石田が再評価される実情を分析していた。
死後18年を経て、世界のアートマーケットの重鎮であるメガギャラリー、ガゴシアンで行われた石田の大規模な回顧展。そこには90年代のバブル崩壊後の日本社会を美術の文脈から読みとろうとする姿勢が存在しており、今後、石田と同世代の日本人作家の評価に影響を与える可能性もある。海外マーケットの評価によって日本の作家が市場価値を高めるという動きは幾度も繰り返されてきたことだが、今回の展覧会を経たうえで、石田作品を有する国内の作家や美術館がどのように反応していくのか、注目が集まる。