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2024.3.23

「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」(豊田市美術館)に見る、これからのミュージアムの可能性

新たな博物館が誕生する豊田市。豊田市美術館では、美術館の在り方を問いかけるような企画展「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」が開催されている。会期は5月6日まで。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、ヤン・ヴォー《無題》(2023)
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ミュージアムは「未完のはじまり」にある

 建築家・坂茂が設計した豊田市博物館が愛知県豊田市に開館する(4月26日)。この開館にあわせ、豊田市美術館では意欲的な展覧会が開催されている。それが、「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」だ。同展の担当学芸員は能勢陽子。

 展覧会のタイトルにある「ヴンダーカンマー」とは「驚異の部屋」を意味する言葉。これは15世紀ヨーロッパに起源を持つもので、いわば現在のミュージアムの原型だ。そこには絵画や彫刻のみならず、動物の剥製や植物標本、地図や天球儀、東洋の陶磁器、武具など、世界中からありとあらゆる美しいもの、珍しいものが集められた。航海技術が発展した大航海時代の始まりとともに形成されたヴンダーカンマーだが、その背景には植民地主義が、集める側と集められる側の不均衡や異文化に対する好奇のまなざしも潜んでいたことは否定できない。

 いま、ミュージアムの世界では略奪美術品の返還を含む脱植民地主義や根強い白人男性中心主義の見直し、脱中心化など、様々な再構築が図られている。そのような世相のなかで開催されている本展について、能勢は「美術館や博物館などのミュージアムはまだその途上であり、まさに“未完の始まり”にあるのではないか」と話す。

豊田市美術館

多様な背景を持つ5人のアーティスト

 本展の参加作家はリゥ・チュアン、タウス・マハチェヴァ、ガブリエル・リコ、田村友一郎、ヤン・ヴォーの5人。いずれも70〜80年代生まれであり、歴史や資料を調査・収集し、現代のテクノロジーを交えながら、ときを超えた事物の編み直しを試みるアーティストだ。

 動物の剥製や貝殻などのオブジェクトとネオン管などを組み合わせ、人間と自然環境との関係性を提示するメキシコのアーティスト、ガブリエル・リコ。会場で見せるのは、リコが長く共同制作を続けてきたメキシコ先住民族・ウィチョル族の伝統的な手法で刺繍した作品や、鹿の剥製とネオン、枝、真鍮を組み合わせた《イエスの星占い》など複数の作品だ。大量消費社会の中で生きる人間の姿を矮小化しつつ、剥製や伝統工芸を現代美術と結びつけることで、自然崇拝を取り戻そうとする姿勢が垣間見える。

ガブリエル・リコの展示風景より
ガブリエル・リコの展示風景より
ガブリエル・リコの展示風景より
ガブリエル・リコの展示風景より

 旧ソ連時代ダゲスタン共和国に文化的なルーツを持つタウス・マハチェヴァは歴史的な記録や文化遺産、個人的な記憶をもとに、ユーモアとアイロニー、そして壮大な空想を加えることで作品を展開し、自身のルーツをもとに、近代以降の伝統のありかや文化の真正性、国家と結びつくアイデンティティを考察してきた。

 展示室には、ある山をかたどった模型が置かれている。《リングロード》と題されたこの作品は、故郷の険しい山頂を一周する環状道路を建設するという壮大なプロジェクトであり、その実現のために必要なプロセスや費用も同じ部屋で示される。作品を所有できるのは、この事業を実現できるものだけだという。(おそらく)実現不可能なプランを提示することで、土地(領土)所有の権利の問題や、美術作品を所有することへのクリティカルな視線を投げかけている。

タウス・マハチェヴァの展示風景より、《リングロード》(2018、部分)

 また、作家の祖父であり「国民的詩人」であったラスール・ガムザートフを題材にしたふたつの映像作品《Цlумихъ(タヴァル語で「鷹にて」)》と《Ясалъул яс(タヴァル語で「の娘の娘」)》は、彫刻が持つプロパガンダとしての役割や歴史的な意味、そして作家と家族の物語を美しい映像によって描き出している。ともに1時間近い作品だが、ぜひ展示室でじっくりと鑑賞してほしい。

タウス・マハチェヴァの展示風景より、《Цlумихъ(鷹にて)》(2023)

 京都を拠点とする田村友一郎は、土地固有のナラティブや自身の関心などを連想ゲームのようなユニークな方法でつなぎあわせ、インスタレーションへと展開してきた。本展では、映像を含む大規模な新作インスタレーション《TiOS》を見せる。産業都市・豊田ならではの技術の歴史をもとにした本作は、最初期の猿人ルーシーの「骨」と、骨と接合する金属であり戦闘機からスマートフォンにまで使用される「チタン」を起点に紡がれるものだ。

 豊田市にあるゴルフ場のバンカーを再現した巨大な立体と、そこに敷き詰められた携帯電話の液晶を砕いたガラスの砂。その上を回転する複数のiPhone。宇宙船のような六角形で区切られた小部屋で流れるSFのような映像。人間はつねに技術を発明し文明を発達させてきたが、田村が描く世界は、まだ見ぬ技術を発展させすぎた人類の末路をフィクショナルに提示するようだ。

田村友一郎の展示風景より、《TiOS》(2024、部分)
田村友一郎の展示風景より、《TiOS》(2024、部分)
田村友一郎の展示風景より、《TiOS》(2024、部分)
田村友一郎の展示風景より、《TiOS》(2024、部分)

 急激に変化を遂げる中国社会をとらえるリゥ・チュアン。最新作となる《リチウムの鳥とポリフォニーの島 Ⅱ》もまた、「骨」から始まる。宙に浮いた骨が宇宙船へと変わるというシーンは『2001年宇宙の旅』のオープニングを彷彿とさせるが、ここでの骨は武器としてのそれではなく、音を奏でるための骨笛となっている。

 中国のSF小説『三体』を題材とした本作は、国家による覇権が形成されるに連れて強くなるモノフォニー(同展公式カタログより)に対しての「ポリフォニー」を提示するもの。グローバル経済によって世界は画一化しているように見えるなか、じつは豊かな声があふれていることを示している。映画のように構成された本作に会場で没入してほしい。

リゥ・チュアンの展示風景より、《リチウムの鳥とポリフォニーの島 Ⅱ》(2023) 画像提供=豊田市美術館 撮影=ToLoLo studio
リゥ・チュアンの展示風景より、《リチウムの鳥とポリフォニーの島 Ⅱ》(2023) 画像提供=豊田市美術館 撮影=ToLoLo studio

 豊田市美術館の特徴である吹き抜けの明るい展示室。ここに木枠でできた立方体が設置されている。その内部には手書きで名前が記された花の写真48点が、まるで標本のように整然と並ぶ。これはヤン・ヴォーによるインスタレーション《無題》だ。 幼少期に戦災のため祖国ベトナムから亡命し、デンマークで育った背景を持つヴォー。これまで自身や家族の経験、その存在を翻弄する世界の覇権、欧米を中心とする文化の真正性の解体と修復を作品のなかで取り入れてきた。本展の主役である花々はライカで撮影されたもの。作家はベルリンにある自分の庭で花を育てているが、会場に並ぶのはその花ではなく、隣人のベトナム人の花屋で扱われているものだという。自然に咲く花ではなく、経済システムのなかで流通する花をまるで分類学のように見せるヴォー。しかしその並び方はあくまで作家による美学的あるいは恣意的な判断によって構成されたものでしかない。

ヤン・ヴォーの展示風景より、《無題》(2023)
ヤン・ヴォーの展示風景より、《無題》(2023、部分)

 いっぽうで、花に囲まれた中心部には紀元2世紀のローマ時代の彫刻の足部だけがポツンと置かれている。本作のタイトルは映画『トップガン』の主題歌と同じ《Take My Breath Away》。台座から降ろされた彫刻(しかしながら美術館の床は大理石である)は、美術の権威性や旧来のマッチョイズムの解体を示唆しつつ、ささやかな真鍮の留め具が新たな世界に向けた修復の可能性も示していると言えるだろう。

ヤン・ヴォーの展示風景より、《Take My Breath Away》(2017、部分)

「わからなさ」の重要性

 本展の参加作家たちは世界の様々な国や文化にルーツを持っている。それは「これまで一本線で描かれてきた美術の歴史に対して、複数の歴史を提示することのできる作家」(能勢)たちだ。いま、世界では民族や宗教が人々を分断し、争いが続いている。そうしたなかで開かれた本展には、「ミュージアムがよいかたちで多民族・多文化に出会う場所であってほしい」という希望が込められている。

 確かな調査に基づいたファクトを提示する博物館とは異なり、美術館は「わからなさ」を提示できる機能を持つ。本展の作品は、必ずしも一見ですべてが理解できるものばかりではない。重要なのは、鑑賞者がそこあるわからなさにいかに踏み込むかという点にある。「未来のヴンダーカンマー」を築くのは美術館や美術館関係者だけでなく、そこに参加する鑑賞者一人ひとりでもあるのだ。