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2024.11.16

「ノスタルジア―記憶のなかの景色」「懐かしさの系譜─大正から現代まで 東京都コレクションより」(東京都美術館)開幕レポート。なぜ美術は懐かしさを求めるのか

東京都美術館で、上野アーティストプロジェクト2024「ノスタルジア―記憶のなかの景色」とコレクション展「懐かしさの系譜─大正から現代まで 東京都コレクションより」が開幕した。会期はともに2025年1月8日まで。ふたつの展覧会の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、左から阿部達也《釘ヶ浦(静岡県牧之原市)》(2019)、《多摩川(東京都昭島市)》(2021)、《手賀沼 東端(千葉県柏市)》(2016)
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 東京・上野の東京都美術館で、上野アーティストプロジェクト2024「ノスタルジア―記憶のなかの景色」が開幕した。会期は2025年1月8日まで。担当学芸員は同館の元学芸課長の山村仁志。さらに本展の関連展覧会としてコレクション展「懐かしさの系譜─大正から現代まで 東京都コレクションより」も開幕。ふたつの展覧会の様子をレポートする。

展示風景より、左から近藤オリガ《一日の始まり》(2023)、《友》(2018)

 「ノスタルジア―記憶のなかの景色」は、日常の街の風景を描く阿部達也、南澤愛美、芝康弘、宮いつき、入江一子、玉虫良次、近藤オリガ、久野和洋といった、公募団体展で活躍する日本画、油彩画、版画など様々な手法の作家による、「ノスタルジア」を感じる作品を紹介する展覧会だ。

展示風景より、玉虫良次《epoch》(2019-23)

 担当の山村は本展の意図について次のように語った。「ノスタルジアは複合的な感情であり、喜びから痛みまで、人によって様々な知覚が喚起されるものだ。それぞれの考えるノスタルジアに響いてくれる、多様な作品を展示した」。

展示風景より、右が南澤愛美《よよぎ夜行》(2024)

 第1章「街と風景」では阿部達也と南澤愛美の作品が紹介されている。阿部は震災による被害を受けたいわき市の海岸をはじめ、日本の地方の何気ない風景を描いた。具体的にノスタルジアを意識して作品を描いているのではないと語るが阿部だが、いつかどこかで見たようなその夕暮れの風景は、誰の心にも懐かしさを去来させるだろう。

展示風景より、左が阿部達也《Twilight(千葉県館山市那古 127号バイパス)》(2016)

 南澤は、何気ない日常風景のなかで擬人化された動物たちが様々に生活している様を、色彩豊かな版画で表現。多くの人々が同じ空間を共有し、同じような行動をとっていることに着目した南澤。人間を動物に置き換えることで、何気ない日常の多重性を露わにしている。

展示風景より、左が南澤愛美《麓にて》(2022)

 第2章「こども」では、成長とともに消えていく存在であり、そして大人にとっては過去の自分でもある「子供」をモチーフとした作品に焦点を当てるため、芝康弘、宮いつきを紹介。芝は2005年から22年にいたるまで、初期から最新作までの7点の日本画を展示しており、作家がどのように成長していったのかを知ることができる。やわらかな光のなかで物思いにふけったり、集まって語り合ったり、自らの興味に従って行動する子供の姿は、人々の幼少期の記憶と接続するはずだ。

展示風景より、右が芝康弘《彼方》(2005)

 宮いつきは、少女たちが対話したり思い思いに過ごしたりといった、緩やかな情景を描いている。宮の子供たちがモデルという本作が写した豊かな時間は、日本画離れしたマティスを思わせる鮮やかな色彩の処理によって、どこか異国のかけがえのない瞬間を留めたように仕上げられている。

展示風景より、左から宮いつき《聞き手と話し手》(2011)、《晩夏》(2003)、《語り手と聞き手》(2010)

 第3章「道」は、いまは失われてしまった情景を様々な手法で表現する入江一子、玉虫良次、近藤オリガ、久野和洋の4人の作家を紹介する。

 入江は2021年に105歳で世を去った画家だ。日本統治時代の朝鮮に生まれ、満州のハルビンやチチハルなどでも個展を開催したこともある入江は、シルクロードの風景や人々の暮らしを描くことをライフワークとした。本展でもアジア各地の様々な情景を淡い色調で描き、遠い場所のかけがえのない瞬間として表現した作品が並んだ。

展示風景より、右が入江一子《イスタンブールの朝焼け》(1975)

 旧中山道沿いの小さな商店街で育ったという玉虫は、子供の頃の失われた街の記憶をつなぎ合わせることでユートピアを現出させる画家だ。会場の壁面いっぱいに展示された大作《epoch》は、路面電車や商店建築、木造電柱にランニング姿の少年など、いまは失われてしまった要素が渾然一体となり密やかな力を生み出している。

展示風景より、玉虫良次《epoch》(2019-23)

 ベラルーシ生まれの近藤は、遠く離れた日本で活動しながらも、つねに心のなかに故郷の風景を宿しながら作品制作をしているという。幾重にも塗り重ねた絵具によって表現される、光のゆらぎと寂寥感があふれる世界は、ここではないどこかへの思いを見るものに訴えかける。

展示風景より、近藤オリガ《孤独の天使》(2009)

 22年に世を去った久野は、徹底して自然と対話しながら作品を制作することを重視した画家だった。緑の中をいく道を描いた作品などは、抽象度が高いながらも道端の草花一つひとつのディティールが伝わってくるような臨場感にあふれており、人の歩みのなかにある小さな慈しみを感じさせる。

展示風景より、左が久野和洋《地の風景・刻々》(2004-05)

 こうした作家たちの「ノスタルジア」な作品と呼応するように用意されている展覧会が、コレクション展「懐かしさの系譜─大正から現代まで 東京都コレクションより」だ。

展示風景より、川瀬巴水《東京二十景 不忍池の雨》(1929)

 いまは失われてしまった大正の風景を淡い色彩で表現した新版画の旗手のひとりである川瀬巴水、デ・キリコの形而上的絵画からの影響を感じさせる中原實、子供たちの一瞬の表情をカメラで捉えた土門拳、時代とともに懐かしい風景へと変化した東京の郊外の新興住宅地を写したホンマタカシらの作品は、時代は変われども、近代以降の我々が「ノスタルジア」とともにあったことを示唆する。

展示風景より、中原實《ノスタルジア》(1924-25)

 なぜ、人は美術に「懐かしさ」を求めるのか。作家が意図せずとも強力な磁場として生まれるそれを整理するための精緻な分析は、このふたつの展覧会では行われていない。しかし、並んだ作品の持つ「懐かしさ」にどうしても惹かれてしまう人は多いだろう。こうした近代的な感性はいったいどこから来て、どこに染み付いているのか。探求の契機になる可能性が大いにある展覧会といえるだろう。

展示風景より、阿部達也《青森県夏泊半島 久慈の浜より夏泊崎を臨む》(2013)