• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「原田裕規:ホーム・ポート」(広島市現代美術館)開幕レポー…
2024.11.30

「原田裕規:ホーム・ポート」(広島市現代美術館)開幕レポート。円環のなかで見つめる「わたし」

広島市現代美術館で、地元出身の作家・原田裕規による美術館初の大規模個展「原田裕規:ホーム・ポート」が始まった。会期は2025年2月9日まで。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より
前へ
次へ

美術館で初の大規模個展

 2012年に「ラッセン展」や「心霊写真展」の企画で鮮烈なデビューを飾り、いまも精力的な活動を見せる原田裕規。その美術館における初めての大規模個展「原田裕規:ホーム・ポート」が、広島市現代美術館で幕を開けた。

 原田は1989年山口県生まれ、広島県育ち。16年に東京藝術大学大学院美術研究科修士課程先端芸術表現専攻を修了。19年以降は断続的にハワイに滞在し、ピジン英語に代表されるトランスナショナルな文化的モチーフに着目した作品を発表してきた。

 単著『評伝クリスチャン・ラッセン』(中央公論新社、2023)、『とるにたらない美術』(ケンエレブックス、2023)、編著『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社、2013、増補改訂版=2024)などの書籍でも知られているほか、23年には「TERRADA ART AWARD 2023」でファイナリストに選出され、審査員賞(神谷幸江賞)を受賞。いま、もっとも勢いのあるアーティストのひとりと言っても過言ではないだろう。

 本展は、1989年に開館した広島市現代美術館と同い年である原田にとって記念碑的な展覧会だ。

展示風景より、《シャドーイング》(2023)

 展示構成は、「プロローグ/エピローグ 影を追いかける」で始まり(終わり)、「見ることの力」「何かを待つような感覚」「夢のような光景(ドリームスケープ)」の3章で構成されている。

 プロローグ/エピローグとなるのが、「シャドーイング」シリーズ(2022-)だ。複数の映像によって構成される本シリーズは、ハワイの日系アメリカ人をモデルに生成したデジタルヒューマンが、ハワイで使用される日本語混じりのピジン英語で語るもの。ハワイの日系アメリカ人と原田の声が重なるこの作品には、「私自身」にまつわる、あるフレーズが繰り返される。

どこへ行っても、何をやっても、私は私から逃れることはできない
私自身はどこにも行かない
私自身はいつもそこにいて、まるで影のように、私が戻ってくるのを待っている(《シャドーイング》より抜粋)

 第1章では、24時間にわたり捨てられた写真を見続ける映像作品《One Million Seeings》(2021,2023,2024)と、実際に原田が集めた大量の写真《写真の山》(2017-)が向かい合うように展示されている。誰もが簡単に写真を撮り、共有する時代において、あらゆる情報が剥ぎ落とされた膨大な写真の存在は強い郷愁を誘う。原田がこの写真を見続ける行為は、こうした写真への弔いのようにも見えるだろう。

展示風景より、手前から《One Million Seeings》(2024,2023,2021)
展示風景より、《写真の山》(2017)

 続く2章の作品は、33時間19分のCGアニメーション/ナレーション・パフォーマンス作品《Waiting for》(2021)だ。映像に映るのは、100万年前あるいは100万年後の地球をイメージし、ゲーム製作用のソフトウェアで生成されたオープンワールド。原田はこの世界において、33 時間かけて地球に現存するすべての動物の俗名を朗読した。日常生活では想像も及ばない規模の時間を内包したこの作品には生き物は登場せず、風景が映し出されるなかで原田の声が淡々と響く。

展示風景より、奥が《Waiting for》(2021)

 3章には、CGによって制作された平面の最新シリーズ「ドリームスケープ」が並ぶ。なかでも注目したいのは、本展タイトルと同名の作品《ホーム・ポート》(2023/2024)だ。

 これは、日系人も多く移り住んだ町であり23年夏に大火に襲われた「マウイ島ラハイナ」を描いたラッセンの作品(本展にも展示)がもとになったもの。ラハイナはもともとクジラが集まり、沖合で出産する場所であり、ラッセンを育んだマリンアートの聖地でもあった。ラッセンの《ホーム・ポート》には多くの船や街の風景が描かれているが、原田のホーム・ポートからはそれらの要素が削ぎ落とされている。その景色は遠い未来のラハイナのようであり、クジラやハワイ人、日系人がいつかその「母港」に戻れるようにという原田の想いが込められている。

 ラハイナへの滞在歴もある原田はこの作品の題名を展覧会のタイトルに採用しており、まさしく本展のキーとなる作品だ。

展示風景より、《ホーム・ポート》(2023/2024)
展示風景より、手前が原田の実家にあったラッセンの絵。奥がラハイナを描いたラッセンの作品

 本展のために制作された作品にも注目したい。《光庭》(2024)は、黒川紀章設計の広島市現代美術館にある「光庭」を、いかなる展示にも適さない「ボイド」としてとらえ、モチーフにしたもの。エドワード・ホッパーが好んだ「白い夕陽」が差し込む風景には1脚の椅子が置かれている。これ同じ椅子が会場にも置かれており、作品と現実がリンクする。

展示風景より、手前が《光庭》(2024)

 原田のルーツと関係する作品として見逃せないのが《残照》(2024)だ。描かれているのは、原田の故郷・山口県岩国市の山々。その構図は、東山魁夷の《残照》(1947)とカスパー・ダーヴィッド・フリードリヒの《リーゼンゲビルゲ》(1830-35)という、よく似た構図を持つ2作品が参照された。

 魁夷は家族の喪失や日展の落選という失意のなかで同作を描いており、奥に向かって山々が連なるその構図には、魁夷の感情が反映されているという。いっぽう原田の《残照》の中景に見える米山の先には自身が幼少期を過ごした町がある。そこは原田が「夢のような景色」を描くために創作活動をスタートさせた場所であり、会場に置かれた14歳の頃に描いた1枚の風景画が、これと接続する。

展示風景より、《残照》
展示風景より、上から《黄色い風景》(2004)、《錦帯橋》(2003-2004)

 これらの作品を見た後、順路はふたたび《シャドーイング》へと戻る。そこで目にする次のフレーズは、原田裕規というアーティストの多様さこそ、揺るぎない原田らしさであることを確信させるだろう。

どこへ行っても、何をやっても、私は私から逃れることはできない
私自身はどこにも行かない
私自身はいつもそこにいて、まるで影のように、私が戻ってくるのを待っている(《シャドーイング》より抜粋)