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2024.10.23

聴く、歩く、そして放つ──「光の地」光州への応答。古川美佳評「光州ビエンナーレ2024 日本パビリオン」

12月1日まで韓国・光州市で開催されている第15回光州ビエンナーレ。今年、同ビエンナーレに初出展した福岡市主導の日本パビリオンでは、批評家・文化研究者の山本浩貴のキュレーションのもと、アーティスト・内海昭子と山内光枝の作品が展示されている。光州の地において、日本パビリオンで繰り広げられた表現を朝鮮美術文化研究者の古川美佳がレビューする。

文=古川美佳(朝鮮美術文化研究)

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)
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聴く、歩く、そして放つ──「光の地」光州への応答

 韓国・光州市で1994年に始まり、今年で第15回目を迎える光州ビエンナーレの幕が上がった(9月7日〜12月1日)。アーティスティック・ディレクターは美術評論家・キュレーターのニコラ・ブリオー。今回のビエンナーレは、ブリオーによる「パンソリ 21世紀のサウンドスケープをテーマとする本会場に加え(パンソリは朝鮮の民俗芸能のひとつで、物語に節をつけて歌う唱劇)、約31の国別パビリオン(22の国と都市、9つの機関が光州市の随所に展示)で構成されている。

 日本パビリオンは、福岡市が推進するアートによるまちづくり「Fukuoka Art Next (FaN)」事業の一環としての参加となり、批評家・文化研究者の山本浩貴がキュレーションを担った。山本は、「“光州”という土地で、“日本”が、“ナショナル”なパビリオンを建てること自体を批判的に見据える展示」を想起し、福岡を拠点とするアーティスト・内海昭子と山内光枝が選ばれた。福岡市は福岡市美術館や福岡アジア美術館を筆頭に早くからアジアとの交流を推進してきたので、その「ローカル」な視点から逆に「ナショナル」のありかを照射することにもなる。

 こうして日本パビリオンは、「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」をコンセプトに、「光州の地に歴史的に埋め込められた無数の声と沈黙に耳を傾け、現在進行中のグローバルな事象に接続する回路を開く」ことを目指し(*1)、9月5日には独自にオープニング・レセプションも行った(*2)。

 ここでは韓国現代史において軍事独裁政権から民主化へと向かう転換点となった光州事件(光州民衆抗争、以下、光州抗争)(*3)の地である光州において、その日本パビリオンで繰り広げられた表現に注目してみたい。

内海昭子──静謐なる声の「光」景

 光州に到着するや日本パビリオンのひとつ、内海昭子の展示会場となったホテル「Culture Hotel LAAM」へと向かった。扉を開けたとたん暗闇にしばし視界を遮られる。やがて吊り下げられた長短の金属棒(約100本の真鍮やステンレス製の棒)が認識できるかできないかくらいに微妙に回転し、時にそれらの金属棒が互いにぶつかり接触しながら音を奏でていることがわかる。床すれすれの太くて長い棒はいわば全体が醸し出す音律の通低音をなし、舞うように微かに揺れ動くそこかしこの棒は、風(空調)によって触れ合い、その時々のタイミングで音が音へと連なっていく。タイトルは《The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere》。それは、一切の余計なものがそぎ落された音と視覚による五感の世界、抽象化された「光州」という場そのもの、とでもいうようだった。

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 内海はこうした表現に至るまでに光州の現地踏査はもちろん、日本軍「慰安婦」問題を展示するソウルの「戦争と女性の博物館」など植民地支配の痕跡をたどった。そのとき、被害者を支援する「水曜デモ」(*4)ドキュメントの賑やかな訴えに驚き、やがて朝鮮王朝時代に民衆が王に訴えた「直訴」という政治文化にヒントを得ていく。儒教思想のもと、民衆がドラや鉦(かね)を鳴らすことで王を引き留め、窮状や要求を直接訴えて訴状を申し入れた朝鮮時代特有の風習のことだ(*5)。「苦難」を生き抜くため「笑い(諧謔)と歌」で歴史を逆転させようとした朝鮮民衆の知恵とも言える。それは現代韓国の「デモの文化」に受け継がれ、そうした抵抗の表現がまさに光州で脈々と受け継がれていることに内海は思い至る。

 そして、「事実が苦しいものである時に、それを乗り越えるものとして韓国の人にとって音が必要なのではないだろうか。そして音を奏でることによって何かを変えることができるという信念のようなものが連綿と続いてきた民衆の精神に刻まれているように思う」と語る(*6)。

 内海が生み出した空間は、そうした名もなき民衆による生きるための鼓動を掬い取っているかのように、「音」が「光って」いる。沈黙を横切る微かな音(声の連鎖と言ってもよい)が、あの「世直し」を訴え無数の声を轟かせた「光州」が「いま、ここにある」ことを喚起させるのである。光州市民は銃ではなく、拳をあげ、あるいは詩や歌や演劇、版画等により、ありったけの「声」で表現し、民主化を訴え続けた。内海のインスタレーションに佇んでいると、そうした光景が闇から浮かび上がり、静謐さの底から声が光り出す。

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 つまり、聞こえるか聞こえないかの音、それが残るのだ。国家暴力の血が染み込んだ地から浮かび上がる死者の叫びは、いまや微かな響きとして頬をかすめ、音の韻律によって歴史に残る。金属棒が揺れる、いや流れ星だろうか、それは魂か、抵抗の火種なのか──沈黙が記憶へと変化していく瞬間だ。

 内海は、「これはあの場所ではなく、私たちの問題」であり、「負の連鎖に抵抗する声の連鎖の方を信用したい」という。光州の歴史への応答が内海によって控えめに、しかし屹立して世界へと開示されていることを体感するのだ。

山内光枝──踏みしめ明け渡す歴史の「光」

 次に山内光枝の展示会場へとたどり着いた。朝鮮式家屋を改装したギャラリー「Gallery Hyeyum」がもうひとつの日本パビリオンだ。入口すぐの壁には古びた鏡台の鏡の部分に塗料が塗られ、わずかに「光」の文字が見える。展示タイトル《Surrender》も同じように壁にうっすらと浮かび上がっている。さらに奥へ進むと目に飛び込んできたのは足──地面を踏みしめ前へと歩む、裸足の映像だ。その横には水しぶきが映し出された映像も設置されている。このふたつの映像は20~30分間、ループのように繰り返され、観客はどちらのどの場面からみてもかまわない。この循環こそがじつは歴史が繰り返され、つながっていることをも暗示している。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 映像内の山内自身の生足が踏みしめるのは、光州抗争の舞台となった揚林洞(ヤンニムドン)から全羅南道庁(旧全南道庁)前のロータリー、その中心に位置する噴水台までの道のりだ。じつはその道筋は、ある少年が虐殺の現場を目撃した道程でもあった。少年は40年ものあいだ、そのことを誰にも話せずに封印し、成人となったいま、ようやく語りだすことができたのだという。

 山内はまず、朝鮮が日本の植民統治から解放された8月15日に光州に来てこの道筋を歩いた。さらにこの話を伝えてくれた在日朝鮮人女性の友人とともに再び歩いた。したがって映像には山内ともうひとり、その友人の足が映し出されている。

 こうして素足は光州抗争の起きた現場を、「光」の文字が刻まれたマンホールの上を、あるいは道庁の噴水がつくった水たまりを、踏みしめていく。同時にこの映像には、山内の光州滞在中での思考や感覚のなかから湧いてきた言葉のうち、ランダムに選ばれた50の単語による即興詩が日韓英3言語で朗読され響いている。すると「足」が語り始め、観客である私たちにまで問いかける──「では、あなたはどこにいるのか?」と。

山内光枝 Surrender 2024
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

 いっぽう、もうひとつの映像では、初めは抽象的に見えた水しぶきが、抗争の中心地となった噴水台から発せられたものだということに気づく。勢いよく吹き上がる水は、巨大な「権力」「暴力」を、空を舞い小さく零れ落ちる水しぶきは散っていった「民衆の生のかけら」を暗示しているかのようだ。さらに闘争の場を見据えてきた歴史の証人のような建造物(旧全南道庁や全日ビル等)が時折、水しぶきの隙間に見え隠れする。表向きの歴史の陰で声にならない声が無数の飛沫となって観る者に迫りくる。それを人々は「恨(ハン)」と言うのかもしれない。

 自身の祖父母が植民者として釜山に暮らした経験を映像化した《信号波》を制作したこともある山内は、今度は光州に4回に分けて滞在し、「自分自身の解放」を企てたという。すなわち、自分をいったん「明け渡し」、光州と対峙し、「ともに分かち合う」ことを自らに課したのである。

 かつて、光州抗争の5月22日〜27日の5日間、市民たちは驚くべき市民共同体をつくり上げた。このとき市民軍に握り飯を差し入れた女性たちや、被害を受けた家族たちのつながりをいまも引き継ぐ「五月オモニ(母)の家」(*7)や光州楊林教会にも、山内は通った。その行為は、暴力で血まみれになった暗闇が「血と飯の共同体」を生む「光の都市」に変貌した瞬間に立とうとする表現者の「意志」でもある。こうして山内は自らが「器」となって、「明け渡し続け、そして、受け渡していける」(*8)ように、「命の強さが光る」この地をひたすら歩き表現しきった。 

ナショナル/トランス・ナショナル/ポスト・ナショナルを貫通する

 キュレーター山本浩貴は、「ナショナルな、トランス・ナショナルな、ポスト・ナショナルな歴史と、そのなかで生起する過去の、現在の、未来の出来事──まだ、私たちには記憶しなくてはなないことが残されている」と結びながら、この日本パビリオンで歴史と現代に新しいビジョンを紡ぎだしたかったという。

 振り返ると、このパビリオン形式での参加には、当初から山本の反語的な問いかけがあった。日本という「国家」を装うパビリオン、しかしほかの国と異なるのは、その日本こそが近代、東アジアにおいて「国家主義」の先鋒として朝鮮半島を植民地化した「帝国日本」であった。加えて、戦後日本が追従した米国が強く関与した光州抗争にもまた、日本は遠巻きながら無関係ではない。そういう国であることを山本はこのビエンナーレの入口から意識し、そのうえでどのような応答ができるかを念頭に、ふたりの作家たちと光州の地に立ったといえる。

 今回多くのパビリオンは環境や移住、脱植民地化やジェンダーなど現代的イシューを扱いはしても、光州抗争そのものについてはさほど取り上げてはいない。それに比べ、日本パビリオンはむしろ、「国家」と「民衆」という政治的関係性の襞(光州ビエンナーレの根底にはつねにこの「五月の政治性」(*9)がある)にあえて入り込もうとしたのである。しかも、もっともかき消されてきた女性たちの声を代弁するかのように。

 結果的に日本パビリオンは、抽象性、具体性、くわえて抒情性(朝鮮史がたたえる哀しみ)を備えながら、「沈黙を沈黙のままに可視化」し(*10)、ブリオーが掲げた音と空間による「関係性の美学」に共振共鳴することになった。

 光州抗争の惨劇の闇は深く、だからこそ無名匿名の人々の意志を紡ぎ、闇から光を手繰り寄せる「五月の芸術、文化運動」という表現の力を必要とした。今回、山本の省察と協働しながら、内海と山内は奇しくもその「光」を自らが見出し、そこに連なったのである。「五月光州」とはそういう普遍性の光であり、光州ビエンナーレの今日性は本来そこにある、はずなのだ。時とともに変貌するビエンナーレ、だがその底に流れる声(パンソリ)を聞き逃してはならない。

内海昭子 The sounds ringing here now will echo sometime, somewhere 2024 
撮影=山中慎太郎(Qsyum!)

*1──第15回光州ビエンナーレ日本パビリオン会場で配布されたパンフレットに記載された「オーガナイザー:福岡市/Fukuoka Art Next (FaN)」の言葉より抜粋。
*2──9月5日の日本パビリオンオープニング・レセプションには、姜琪正(カン・キジョン)光州市長、高島宗一郎福岡市長代理として福岡市経済観光文化局の吉田宏幸理事、實生泰介 在韓国日本国大使館公使、十河俊輔国際交流基金ソウル日本文化センター所長らも参席した。オーガナイザーである福岡市とFaN、およびアートプロデューサー山出淳也ら関係者たちの並々ならぬ熱意が感じられた。
*3──光州民衆抗争(「光州事件」):全斗煥国家保安司令官が全国に非常戒厳令を宣布した1980年5月18日から道庁が陥落する27日までの光州の学生・市民による反軍部・民主化闘争。軍部は空挺部隊を投入、死者200人以上、負傷・被害者3500人以上にのぼった。 
*4──「水曜デモ」:日本軍「慰安婦」問題解決全国行動が、日本軍「慰安婦」への日本政府からの公式謝罪と金銭的・法的賠償を求め、1992年から水曜日に在韓国日本国大使館前で行っている集会およびデモ。
*5──直訴の文化:朝鮮時代、民衆が王に対して窮状や要求を直接、太鼓を打って訴える登聞鼓(のちの申聞鼓)(太宗の時代に設置)から、18世紀英祖・正祖統治の儒教思想のもと、民衆がドラや鉦を鳴らすことで王を引き留め訴状を申し入れる(上言、撃靜)等、朝鮮時代から続く「直訴」の政治文化が現代韓国にも引き継がれている。古川美佳『韓国の民衆美術―抵抗の美学と思想』(岩波書店、2018) 
*6──「*1」のパンフレットに記載された内海昭子の言葉より抜粋。
*7──「五月オモニの家」:光州市揚林洞にある「五月オモニ(母)の家」は、光州抗争を経験した女性たち、遺族や負傷者でもある抗争に参与した女性たちが集まる場所。鄭賢愛・現館長が光州抗争後に連行され出所後に「5・18拘束者家族会」を結成し救命運動を展開したのがこの家の由来。その後、2006年に現在の名に改称、会員数100名余の女性たち(いまや大半が高齢)が集まり、歌や絵、ヨガなどの講座やグループ・カウンセリングが行われている。朴來群著・真鍋祐子訳『韓国人権紀行 私たちには記憶すべきことがある』(高文研、2022)
*8──「*1」のパンフレットに記載された山内光枝の言葉より抜粋。
*9──「五月の政治性」「五月の芸術、文化運動」「五月光州」などの言葉は、光州抗争を語る際に醸成されてきた、「五月精神」「5・18精神」「五月版画」などのように、抗争の地・光州が抱えもつ虐殺・抵抗・克服の絶え間ない主体的な運動の様態が圧縮されたイメージを内包するもの。
*10──「*1」のパンフレットに記載された日本パビリオン・キュレーター山本浩貴の言葉より抜粋。