東京とニューヨーク、音と音楽、人間と非人間。シリーズ:蓮沼執太+松井茂 キャッチボール(プロローグ)
作曲の手法を軸とした作品制作や、出自の異なる音楽家からなるアンサンブル「蓮沼執太フィル」などの活動を展開する蓮沼執太と、詩人でメディア研究者の松井茂。シリーズ「蓮沼執太+松井茂 キャッチボール」では現在、ニューヨークが拠点の蓮沼と、岐阜を拠点とする松井の往復書簡をお届けする。連載にあたって「いくつかのテーマを分解しながら議論や意見交換ができたらいい」と言う蓮沼。今回のプロローグでは、いまから約1年前の2018年4月に蓮沼が松井へと送った、やりとりの発端を公開する。毎週土・日更新。
蓮沼執太 公演、個展、アルバムリリースを経て思うこと
松井茂さま
こんにちは。2017年末に僕から「松井さんとの往復書簡をしたい」とご相談したのにも関わらず、あっという間に寒い冬が終わって、2018年4月となりました。僕がなぜ松井さんとやり取りをしたいと思ったのかと言うと、1月に蓮沼執太フィルとして行った草月ホールでの公演『東京ジャクスタ』、2月からスタートしたニューヨークでの個展「Compositions」、4月から始まっている資生堂ギャラリーでの個展「 ~ ing」、6枚組CDの作品集『windandwindows』のリリースなど、作品発表が連続していることもあり、自分自身の思考整理や他者と意見交換をすることで、自分でも気がつかないような、これらの共通項などを炙り出したいと考えたからです。
じつは、この往復書簡を始めるにあたって初稿を3回ほど書き直していました。なぜ何回も書いてはゴミ箱に入れていたかと言うと、まずは単純に松井さんとの議論(話題)の軸が多すぎてしまい、どこにフォーカスを絞って話していけばいいのか、という壁に当たったからです。
2018年開催の公演「東京ジャクスタ」にて行った一柳慧さんの作品《IBM》への考察として、1950年代から60年代における「東京」という場所性についての歴史的観点でリサーチを行っていました。そして、一柳さんとのインタビューやヒアリングなども含めて理解を深めていきました。同時に僕のアンサンブル・蓮沼執太フィルの新作レコーディングとも重なり、出自が異なるミュージシャンを再び招集して、新しい音楽をレコーディングする意味、集団性や音の身体性についても考えていました。
ニューヨークにあるPioneer Worksというスペースでの個展では、国際芸術センター青森(ACAC)、スパイラルガーデン(東京)、北京で行ってきた個展の巡回展としてコンセプトを継続させた取り組みを行い、ここでも新たに作品を制作していました。ニューヨークという場所は、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)でのグラントで初めて訪れ、公益財団法人ポーラ美術振興財団での研修でも再訪しました。
僕自身も生まれ育った東京を長い期間離れて、生活や制作の拠点を他の都市に移したことも初めてのことでした。作品のつくり方、関わり方も多文化共生が色濃い場所での体系的な経験をダイレクトに反映させた方向性に次第にシフトしていき、関心のひとつに国際的な都市におけるローカルの問題なども含めた話を今後していければと思っています。
松井さんにも来ていただいた、2018年4月の資生堂ギャラリーでの個展「 ~ ing」。展示設営を終えて、展覧会がスタートして2週間経ったいま、再びこの展覧会について考えていくと、この半年間取り組んでいた実践の要素をストレートに多く含んでいたものでした。それは端的に、東京という場所性、歴史的なものの再確認、集団における音や音楽、物質的なものが持つ身体性、人間と非人間の関係性など。詰め込みすぎかなと思うくらいに、この展覧会に、および作品に反映させていました。
ここで挙げたように、いくつかのテーマを分解しながら議論や意見交換ができたら良いなと思っておりますが、まずはこの僕からの第一報の中から松井さんが気になるトピックをセレクトしていただき、お話していきましょうか? この意見交換の場ですが、どうも「往復書簡」と呼ばれるようなやりとりを、もう少し機敏に動くことが出来るように「キャッチボール」と呼んでいきたいのですが、いかがですか?
Bjork「Arisen My Senses - Jlin Rework」を聴きながら。
2018年4月19日 ニューヨークより
蓮沼執太