アーティストはいかに絵画を描き、そして見るのか。長谷川繁×梅津庸一 対談
2019年に約10年ぶりの個展「PAINTING」(Satoko Oe Contemporary)を開催した長谷川繁と、パープルームギャラリーにて2019年に「『新しい具象』とは何だったのか? 90年代のニュー・フィギュラティヴ・ペインティングをめぐって」を開催し、長谷川の仕事の再検証を試みた梅津庸一。長谷川繁とはいかなる作家なのか、制作者としての立場から見えてくるものについて、ふたりに対談をしてもらった。
梅津庸一は長谷川繁の絵をどう見るか
──梅津さんが長谷川さんの作品を最初に知ったのは、高校生のときに読んだ『美術手帖』1998年11月号の「新しい具象」特集とのことですが、あらためて「長谷川さんの作品とはどのように見るべき作品なのか」ということを、同じアーティストからの視点で教えていただければと思います。
梅津 長谷川さんは、愛知県立芸術大学に在学していた頃は、新表現主義の影響を受けた絵画を描いていたんですが、それをドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーに行って、師となるコンセプチュアルアートのアーティスト、ヤン・ディベッツに見せたら、全然ダメだと言われたわけですよね。
長谷川 「こんな西洋の真似した腐った絵はやめちまえ」みたいな感じだったね(笑)。25歳でドイツに行って、いままでやってきたことをご破算にしようと、ゼロからスタートするつもりで努力しました。結果的にゼロにはできなくて、いろんなかさぶたを抱えながら描き始めたけれど。
梅津 そこから中央にモチーフを置いた日の丸構図の油彩ドローイングを起点に、まるで造形言語が細胞分裂するかのごとく展開し、生姜とか、生肉とかになっていく。それは、絵画における絵具という存在がどういった存在なのか、ということを構築するようなエクササイズだった。長谷川さんの作品は、そこからすべて一貫していると思っています。
大きなキャンバスに、一見キッチュな、肉や、壺や、プードル犬なんかをバカみたいに大きく描く。けれど、それは具体的に描かれたものが何かということだけでなく「筆に絵具をつけてキャンバスに塗るとはどういうことか」とか「そこに宿る情報とは何か」という、いわば絵画制作の原理に直接アプローチしていく画家という印象です。
その後の長谷川さんは、そこを起点に脱構築していく。つねに「どれくらい満たすべきか」「どれくらいまで引くことができるか」といった、絵画の強度実験のようなものを続けている。それはメタ的な視点を多分に含んでいるように思います。
長谷川 とてもおもしろい評価をしてくれるし、そうだと思うね。
梅津 かなり真っ当なことをやっていると思うんです。ただの大きい壺が描かれているように見えるけれど、たんに壺を描いているのではなく、背景を描くことによって壺を描いている。壺の中の部分はレイヤーになっているけど、前の絵具が乾いてなかったところが筆で擦れてしまったりしていて、物質としての絵具が簡単に隠れないわけです。
物質の制約とか、手のタイミングやスピードとか、そういう一致しないはずの情報をすり合わせようとするところに、長谷川さんの絵の大事な部分があるんです。そこを追っていかないと、ただの大きい壺だな、というふうになってしまう。
普通に精緻に、上手く見えるように描けるとは思うんですよね。でも、長谷川さんはぞんざいな筆の扱いにおける精度を求めている。たとえば、わかりやすい比較対象としてリュック・タイマンスを挙げてもいいかもしれません。彼は絵を1日で仕上げ、筆の速さや筆触それ自体を見せていく絵画を制作していますが、そのゲームをもっと複雑にやっているのが長谷川さんなのかなという気がしています。
長谷川 抽象的な言い方なのかもしれないけど、描こうとして描いた絵ではなく、「できちゃった絵」にしたいんだよね。でも、プランがないわけではなくて、プランは用意して描いている。あるタイミングで、その絵が自分の意図しないものに変容してほしい。そのなかに時々ヒットがあり、ホームランがあるという言い方をするんだけれども、7割はアウトでゴロだったり三振だったりする。
梅津 意図しないものっていうのは、たとえば絵具を投げたりとか、全然違う表現言語を入れたりすれば可能なんですけど、長谷川さんの場合はかなり強力な「縛り」を自らに課して描いているわけです。もう自分にとっても新鮮味がなくなった出がらしのような、壺のようなモチーフを何回も繰り返し描いている。でも、毎回同じ壺を描くことはできないということを前提にしている。そこに生まれる微妙な差異の精度で勝負していて、それに確かな手応えや驚きを実感したときに、ホームランとして計上しているのだと思います。
長谷川さんは画家としての経験を重ねていくうちに、扱う項が増え、もっと複雑な取り組みに着手していく。しかしよく見ていくと初期作品と同じルールが変奏されたり、組み合わさっているのだ、ということに気づきます。その連続性をとらえると、長谷川作品への理解が一気に深まるのではないでしょうか。
長谷川 そうだね。少しずつだけど、より面倒で複雑な素材を扱うようになってきているし、限られた範囲のなかで変化を続けている。だから、自分だけで完結できちゃう。ずっと描き続けられるし、誰にも見せなくたって、全然気にならない。
梅津 それは長谷川さんの絵を見ていると納得がいきます。外部の状況を気にしてたら、こういった絵は描けないですよね。
──今回の長谷川さんの個展「2003-2004」(Satoko Oe Contemporary)で展示されているのは、展覧会名のとおり2003〜04年に描かれている作品です。この時期の作品は、長谷川さんの作品が変化していく過程で、どのようなものとして位置づけられますか?
長谷川 ひとつのモチーフを実物のサイズを超えるスケールで描いていた時期から、いくつかのモチーフを描くことに移行していました。複数のものを並べるときには、手前から奥に透けるようにして並べるか、横に並べるか、いろいろと描く実験をしていました。重層的にものを見せるために、絵具を一層目、二層目、三層目と透かして見せていますね。
この時期はオランダにいたので、オランダの中世絵画に影響されているところがあります。フェルメールに代表されるオランダの室内画には、手前の部屋、中央の部屋、奥の部屋という奥行きのある空間関係を描いた絵がものすごくあるんですね。それを見続けているなかで、こういう絵ができあがっていきました。
梅津 長谷川さんの絵は、装飾を排して古典絵画の構造だけを見せたり、絵具という物質の欠陥も露わにしています。メタ的な要素もつねに入っているのですが、コラージュ的な結合によるものではなく、もっと素朴なもの、料理に近いかもしれないですね。絵画を成立させるための要素は一見そろっているけど、いろいろなものがちぐはぐに、微妙にずれたパズルのようにハマっている。たとえば、どういう順番で描いたのかなと考えながら見ると、おもしろいはずです。
既存の美術文脈からいかに脱却するか
──長谷川さんと梅津さんが最初に会ったのはいつのことでしょうか?
梅津 一度、東京造形大学に在学中の2002年に、長谷川さんが1日だけ講義をするために来てくれたときがあって、僕の絵を気になると言ってくれたことがありましたよね。
長谷川 端的に、彼らしい絵を描いていると思ったな。時代性をまったく無視したような、自分が描きたいものをちゃんと描いていると。
梅津 卒業生に田中功起さんがいて、当時の東京造形大学においてペインティングはちょっとダサいみたいな風潮があったんですけど。
長谷川 僕が学生だった80年代前半も、絵画はすでに終わったものという風潮が強くて、東京の美術大学なんかはみんなインスタレーションをやっていた。
梅津 たしかにそこは反復しているとも言えますが、僕としては絵画は日本においてつねにマジョリティだったと思っています。現代アートのなかでは冷遇されることもあるけど、人口はいまも昔も多いわけで、光がたまたまそこに当たったり当たらなかったりすることなのかなと思っています。
長谷川 趣味で描いていたり、団体展なども含めれば数的には多いと思う。日本画もそうだし、団体展もそうだし、現代アートのテイストが強い絵もある。でも、人数は多いけれけども、僕からすると、本当にちゃんと絵を描いている人は、ほとんどいない気がするけれど。
梅津 たしかに、僕もかつてはそう思っていました。でも最近、僕が主宰・運営するパープルームギャラリーでは、地域の公民館や市民ギャラリーで発表している作家の作品を展示しました。定年後や、子育てが終わった方々が描いているんですが、かなり打率が高い。僕からすると、あいちトリエンナーレ2019よりもおもしろい展示でした。もちろんコマーシャルギャラリーで発表しているペインターよりも、良い作品が多い。ちょっと悲しい現実とも言えるのですが。
──梅津さんがおっしゃっているそれらの絵の持つ「おもしろさ」や「良さ」というのは、より具体的には言うとどういうことでしょうか?
梅津 僕たちがペインティングをジャッジするという物差し自体が、結局は借りものだと思うんです。時代ごとにそれを測る物差しのレギュレーションが変化してきたなかでも、彼ら彼女らは、戦後からずっと続いている地域の展覧会に出し続けているわけです。現代アートの文脈で専門的に絵を描いている人というのは、良かれ悪かれトレンドを取り入れたり、トレンドとの距離を相対的に考えながらつくっている。でも、彼らの作品というのは、人物、静物、風景のように主題が絵画的にはまったく進歩していないけれど、70年かけてゆっくりちゃんと受容しているんですよ。だから、現代アート側にいるつけ焼き刃の我々と、どっちがちゃんとした絵を描いているのかはわからないですよね。
でもこれは、長谷川さんの絵を考えるときにも重要なことです。長谷川さんの絵は古今東西のいろいろな絵画を前提としながらも、ある部分で現代アートの文脈に深くコミットしていると思うんです。この分野の巨匠がいるから、そこは彼らに任せて、俺はここをやるぞ、といった態度ですよね。
長谷川 それはたしかにそうだし、現代アートの文脈とはまた違ったところにある作品を実際に見たら、興味を惹かれると思うけれど。
梅津 でも、本当はそれは危ういことだと思いませんか? 僕たちがそういう作品を取り上げるときは、どうしても搾取の手つきになってしまう危険性がつきまとう。けれども無視はできない。パープルームギャラリーで開催した、60代後半から80代半ばのシニア世代の作家を集めた展覧会のタイトルは、「表現者は街に潜伏している。それはあなたのことであり、わたしのことでもある。」(2019年11月30日〜12月8日)というものです。
現代美術側がメインストリームで、地域の美術展に出し続けてきたアマチュアがアウトサイダーというのはやはり違うと思うんです。たしかに美術館の企画展に呼ばれるのは、我々のような美大卒の作家ばかりです。でも、美術館に併設された市民ギャラリーにお金を払って展示をしている人たちがいて、すごく層も厚いし、ちゃんと考えている。そのふたつを二項対立にしてしまうこと自体が、いまの美術の欠陥だと思っていてます。いや、二項対立にすらなっていないのが現状ですね。
長谷川 でも、その人たちが自分たちの作品を発展させていく気持ちがあるかと言ったら、僕はちょっと疑問に思うところはあるよ。僕らは何十年も絵を描き続けて、自分の絵にたどり着こうとしているわけじゃない。あまり並列で考えたくはないな。
梅津 僕は全然そんなことないと思っているし、それは偏見だと思いますよ。
長谷川 そこは梅津くんとは相容れないね。
梅津 その点では長谷川さんも僕も既得権益側なんです。現在の美大の絵画全般がおもしろくないのは、長谷川さんの世代が無自覚に政治的な力を持ちすぎたからだと思います。いっぽう、そのことに気づいて自分で道をつくり、模索している若手はおもしろいと思います。
長谷川 なかなか手厳しい。
梅津 学芸員も我々作家も、自分の外側の作家を見に行かないから。でも本当は、現代アートのなかだけでなく、外にもクラスタがあるわけで、それを相対化していかないといけない。そう思ってパープルームギャラリーをやっているわけです。パープルームギャラリーで「『新しい具象』とは何だったのか? 90年代のニュー・フィギュラティヴ・ペインティングをめぐって」(2019年4月13日〜4月27日)を桑原正彦さん、小林孝亘さん、そして長谷川さんを呼んで開催したのも、そういった流れのなかで長谷川さんたちの仕事をとらえ直したいという考えがありました。
長谷川さんには関心があるけど、それは現代アートのなかのペインティングでのお話で、本当はもっと射程の広い話をしていかないといけないと思っています。我々は美大に入ったから作家になったと思うんです。「もともと世界を変えたい」「環境問題に興味がある」とかではない。美大に入って嫌な先行世代や売れている同世代がいてみたいなことは業界のなかの話でしかない。それを愚痴るのは良くない。僕もそういうことを言ってた時期はあるけど、それは作家としてだらしないと思います。美大的なパースペクティブではなくて、もっと美大卒じゃない作家も参画したうえで、新しい美術史をつくっていきたい。
はっきり言うと、受験絵画ができる人が良いとされているのは間違っている。いま、日本がやばくなってきているなかで、日本の美大の教育が良くなるわけないじゃないですか。
長谷川 受験絵画なんてとんでもないと思っているから、そこに関しては、僕も同意する。自分のときは情報もない時代で、とにかく飛び出すしかなかった。インターネット前と後と違うからね。
梅津 絵画に限っていうと、世界的に絵画のルールが破綻しているんですよ。マーケット的には絵画が必要だから「ゾンビフォーマリズム」なんて言われて生き残っていますけど。いま、絵画にとって気持ちのいい競技場がないんです。
絵画を見る目を研ぎ澄ます
──2013年以降、長谷川さんは作品を一切発表せずに、2019年の「PAINTING」(Satoko Oe Contemporary)まで作品を制作し続けてきました。それはいま言われたような、絵画の置かれた状況に対する絶望にも似た思いがあったからでしょうか?
長谷川 90年代から2010年くらいまでは、外国にいた時間も長く、日本に戻ってきてからも、毎年2回くらいヨーロッパを巡ったりして、いろんなものを見てきました。相当な数を見てきているし、見ることが職業の人よりも見ていると思います。 まったく新しいものを見たときに、それまでに見てきたものを当てはめることしか、判断軸がないと思っていました。だから多くの作品を見たんです。
これは梅津くんには否定されるかもしれないけど、その過程で、目というものができあがってきたと思っているんですよね。それほどまでに自分の目を鍛えてきたと思っていたので、僕の作品を学芸員とかギャラリーの人が見ても、多分わからないだろうなと思ったんです。展覧会をしてもほとんどなんの評価もないし、やっぱりわからないんだな、と。
展覧会に出しても、自分がかつてそうだったような「欧米の真似」「サブカル引用」「情緒的物語絵画」「なんちゃってジャポニズム」、あるいは技巧を見せる「描きこみ系」とかばかりで、そんなのと並べられても、もう絶望しかないしね。
自分としては20、30年も絵を描いてきてここまでたどり着いたわけで、日本でいくら展覧会をしてもわからないんだったらもう見せなくていいかな、となりました。自分の目だけで判断していればいいな、というのが最終的に引っ込んでしまう原因になったんです。
梅津 近代の画家の「実存」の問題と近いですよね、画家の葛藤と苦悩みたいな。僕も同じようなことは感じたりすることはあるけど、そこにいてもしょうがないと思っています。自分の個体としての感受性や知的レベルは結局大したことないから、自分をどこにどう配置するかとか、そこで何をやるかということを俯瞰して考えないといけない気がするんです。人生一回きりなので。
長谷川 それは世代の違いってやつかもしれない。
梅津 たとえば、凡庸な作家がいたとしても、その人に何をさせれば面白いか、という考え方が大切だと思っています。僕、天才性とかはあまり信じていないんです。そんなものを信用してしまうと、僕は美術の世界には登場できなくなってしまうので。
長谷川さんはまだ、そういう天才性を信じていると思うんですよね。それに半分絶望もしていて、それが逆に長谷川さんの作家としてのキャラを立たせているところもある。それは近代の由緒正しい画家の悩みでもある。いろんなものを見てしまっているから「俺の絵なんてギャラリストがわかるわけない」ってなるわけじゃないですか。でも、僕はそんな単純じゃないと思っています。ギャラリストも学芸員も画家とは違うかもしれないけど、違う水準の目を持っている。僕は画家の目だけの世界にこもりたくないとは思っています。
──2019年以降は、ギャラリー展示の機会がふたたび生まれてきています。そのきっかけはなんだったのでしょうか?
長谷川 僕は絵を金につなげるつもりがなかったから、サラリーマンをやりながら制作を続けていたわけですよ。でも昨年、サラリーマンを解雇されたんです。もう、運送業者などで働くしかないってどうしようと途方に暮れていたとき、顔見知りだったSatoko Oe Contemporalyの大柄聡子さんが、アトリエで作品を見たいと言ってくれていたことがあって。誰にも見せる気がないまま描き続けた自分の作品が300点くらいアトリエにあったので、それを展示することになったんです。
梅津 僕はいまの話を聞いても同情しませんよ。それはやっぱり美術大学を出て、しかるべきギャラリストとのつながりも持っている、既得権益側だから声がかかったわけで。
長谷川 別に同情してもらおうと思って言ってるわけじゃないよ。
梅津 僕は長谷川さんの絵はけっこう好きなんですけど、個展を開いて展示しても、スター作家にはならないと思うし、そんなに売れる必要もないと思っています。でもちゃんと長谷川さんの絵を見ている人もいるので、そこに向けて出していきましょうよ。
長谷川 君も酷いことを言うね(笑)。そうかもしれないけど。
梅津 僕は長谷川さんのことを散々言っていて、普通だったら殴られてもおかしくない(笑)。でも、長谷川さんの絵をわりと理解しているとは思うので、長谷川さんは怒らないんですよね。
長谷川 この10年で僕は展示を見に行かなくなって、たしかに梅津くんは僕よりものすごい数の作品を見ているし、目ができている。見ないと絶対に作品をつくるなんて無理なんですよ。いまの学芸員は全然見ていない、作家のほうが見ています。梅津くんは見ているから、生意気なこと言っても許す(笑)。
でも本当に、現代アートにおける絵画は、梅津くんの言う通りなかなか難しい位置にあるかもしれないけれど、もうちょっとみんなが見る目を育んでもらえれば、深くておもしろい世界になると思うけどね。