ホワイトキューブを超えて、場で生まれるもの。「CURATION⇄FAIR Tokyo」に集まったキュレーター、ギャラリスト座談会

昨年に続き、展覧会とアートフェアで構成されるアートイベント「CURATION⇄FAIR Tokyo」の第2回がスタートした。東京・九段下に位置するメイン会場の「kudan house」にて、シニア・アドバイザーを務める山本豊津(東京画廊+BTAP)、キュレーターの遠藤水城と岩田智哉、出展ギャラリストの小西哲哉(中長小西)、ローゼン美沙子&ジェフリー(MISAKO & ROSEN)、藤城里香(無人島プロダクション)の座談会取材を実施した。

聞き手・文=中島良平 撮影(*を除く)=柳原美咲

前列左からローゼン美沙子、山本豊津、遠藤水城、藤城里香。後列左からジェフリー・ローゼン、小西哲哉、岩田智哉
前へ
次へ

 気鋭のキュレーターによる展覧会と、厳選されたギャラリー・美術商によるアートフェアの2部構成で開催し、美術品の価値を様々な角度から伝える新しい試みとして、「CURATION⇄FAIR Tokyo」の第2回はスタート。会場の「kudan house」は、日本でも初期の鉄筋コンクリート造を採用し、スパニッシュ建築様式を取り入れて1927年に建築された旧山口萬吉邸を保存改修した登録有形文化財。中長小西の小西哲哉が新春の設えを行った和室で、座談会が始まった。

左から小西哲哉、藤城里香、ローゼン・ジェフリー&美沙子、山本豊津、遠藤水城、岩田智哉

──本日の座談会にあわせ、お茶と、床の間などを含む和室の設えも中長小西の小西哲哉さんにご用意いただきました。どうもありがとうございます。作品についてご説明いただけますでしょうか。

小西哲哉(以下、小西) 床の間に飾ったのが、波打ち際を真上から俯瞰した図と横から見た松を平面に落とし込んだ、川端龍子の《浜松図》という掛け軸です。キュビズムのようですが、アメリカのフリーア美術館が所蔵する俵屋宗達の《松島図屏風》に見る松の描き方と似ているので、おそらく龍子はそうした作品から着想を得て描いた絵ではないかと思われます。その下に、正月なのでのし飾りをさせてもらっていますが、のし押さえに使っているのは、川瀬忍さんという現代の陶芸家による作品です。2009年から12年ほどかけて薬師寺の東塔が改修されたのですが、その礎となる石の下の「基壇の土」をいただいて焼いたものです。つまり、1300年前の天平時代の土が用いられています。

左の掛け軸は川端龍子《浜松図》。下ののし押さえは川瀬忍の作品

 その横には、中山胡民という幕末の蒔絵師による硯箱を置いたのですが、蒔絵のなかに隠し文字が入れられています。「雲」「乃」「路」と。これは百人一首でも有名な「天津風 風の通い路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」という、平安時代の僧正遍照が、天武天皇が吉野を行幸した際に天女が舞い降りたという200年前の伝説をモチーフにうたった歌です。それが、さらに1000年後の幕末の蒔絵師の硯箱に使われている。つまり日本には、すごく長いスパンの時間のつながりから、モチーフが受け継がれ、新たな作品が生まれてきた歴史があるということを今回の設えに込めさせていただきました。

──どうもありがとうございます。古美術から現代美術までを均一に扱う「CURATION⇄FAIR Tokyo」を象徴する設えだと感じました。ではまず、新しい試みとして昨年イベントを開催してどのような手応えがあったか、立ち上げから携わったシニア・アドバイザーの山本さんに伺えますか。

山本豊津(以下、山本) アートフェアで作品を買うということが、最近ではだんだんと一般的なことになってきました。では、どういう買い方をすると、所有者にとっての表現のひとつであるコレクションを充実させることができるか。そのためには、どういうかたちで作品を見たら良いのか、ということをキュレーターの遠藤水城さんの手で提示していただこうと考えました。作品をただ短時間でたくさん買うのではなく、キュレーションされた展示を見て、やはり作品が積層されたコレクションがつくられていくことの重要性を感じられるのではないかと。すごくうまくいったと思っています。

山本豊津

第一部の展覧会で来場者に伝えたいこと

──遠藤さんは昨年に引き続き、「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る(The Beautiful, the Ambiguous, and Itself)」のタイトルで今年も展覧会をキュレーションされます。1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞した際の講演タイトル「美しい日本の私」と、その26年後の大江健三郎による講演「あいまいな日本の私」からコンセプトを着想されたそうですが、展示構成はどのように考えたのでしょうか。

遠藤水城(以下、遠藤) kudan houseを下見させていただいた際に、一見すると近代的な洋風建築でありながら、日本の伝統的な要素も複雑に組み込まれていて、そこに日本らしさのようなものを感じました。すでに背景としてそれだけどっしりした建築があるので、白い壁を建てて展覧会を行うのではなく、kudan houseの空間に展示を適合させることを目指しました。そこで、極端にいえば伝統的で日本的な美のようなものを強調する川端と、近現代の日本の破れのようなところに目を向けた大江との、両方の視点がぶつかっていくようなイメージから始めました。

遠藤水城

 そう考えたときに、古美術、近代美術、現代美術といったカテゴリーを設けてしまうと、情報が先行してお勉強のようになってしまうかもしれない。あるいは、自分の知っているもの、好きなものだけを見て買いたいものを探すような状態になってしまう。そこを広げたいと考えたので、背景にある情報から作品を切り離し、作品としての「モノ」がそのまま立ち現れてくるような展示を考えました。さらにはモノたちが対話を通して連結されていくような現象を設定しています。作品が星のように置かれていて、それを見たお客さんが個々に星座をつくっていくような鑑賞を可能とするような展示構成を考えたのです。

──アートフェアに参加するギャラリーがラインナップされていて、ギャラリーの所属作家、取扱作品からピックアップし、キュレーションを行ったのでしょうか。

遠藤 基本的にはそうですね。昨年は、地下のみ、橋本聡さんというアートフェアに参加するギャラリーに所属していない作家さんに入っていただきました。参加ギャラリー・美術商から作品を選ぶことを一手に引き受けたわけですが、古美術から近代、現代までのすべての専門家ではないですし、当然、よく知らない時代や領域もたくさんあります。でも、そもそもキュレーターがすべてを知っているというのも無理があると思っていて、むしろ何を知らないか、を積極的に表明する方法があるのではないかと感じています。展覧会全体をコントロールするのではなくて、コントロールの効かなさをポジティヴに見せることが可能だと思うんです。その方が見る側にとっても新たな思考が発生しやすいはずです。

「CURATION⇄FAIR Tokyo 2024」展覧会の展示風景より、橋本聡の作品群 撮影=苅部太郎*

ローゼン美沙子(以下、美沙子) 昨年も参加させていただいたのですが、こちらからは何も言わず、遠藤さんが展示したい作家の名前を伺い、「こういう作品がありますよ」とお出ししたなかから自由に選んでいただきました。さすがプロだと思いましたね(笑)。杉原玲那という、うちで一番若くて売り出し中の作家のペインティングや、エリカ・ヴェルズッティという作家が女性の胸をモチーフにするちょっと攻めたブロンズ作品のように、うちで人気作家の作品を選んでいただきましたから。

ローゼン美沙子
「CURATION⇄FAIR Tokyo 2024」展覧会の展示風景より、MISAKO & ROSENが出品した杉浦玲那《Years》 撮影=苅部太郎*

山本 すごく良い展示だったと思います。私の父(*)の世代がお客さんに美術を売るときは、ほぼこういう空間だったんです。床の間に何が掛けられるか、和室の畳の上に何が置かれるか、そういうものを生活空間で見せていた。おそらく、中長小西の小西さんも、そういう体験から美術商としての経験を積んでこられたでしょう。前回、若い世代が大勢来てくださったのは、新しい空間として日本の近代建築をとらえ、そこでアートがどのように置かれるかに興味を持ってくださったからだと思います。遠藤さんが非常にうまくまとめ上げてくれたおかげで、僕としては若い頃の体験が蘇ったし、若い世代には新しい設えとして体験できた。いまという時代にも合うタイムリーな展示になったんじゃないかという気がします。

*──東京画廊を1950年に開廊した山本孝。当初は日本の近代美術を展示していたが、批評家の瀧口修造を介して斎藤義重と出会ったことをきっかけに、現代美術の紹介を中心に行うようになる。 

今年は3名のキュレーターが展覧会を企画

──昨年は全体のキュレーションを遠藤さんが行いましたが、今年は兼平彦太郎さんがキュレーションする地下1階の「Pocket full of sparks それは小さいのに、とても大きい。」と、岩田智哉さんが旧ガレージと庭に「さかむきの砂」と題する展示を展開します。

kudan houseの外観

遠藤 僕がひとりでキュレーションするのではなく、ここの空間特性とアート作品との化学反応に加えて、異なるキュレーターが個別の展示を行う化学反応も生まれると考えました。3つが関係しなくても、場の特性がまとめ上げてくれるだろうという感覚があったので、使用する空間だけを指定し、おふたりには自分の展覧会をやり切ってくださいとお願いしました。 

kudan houseで行われる「CURATION⇄FAIR」は、ホワイトキューブで行われる展覧会や、いわゆるコンベンションセンターのような場所で行われるアートフェアとは異なり、作品や作家と建物や空間そのものとのコラボレーションの要素も特徴のひとつだと思います。 今回お話をいただいて、漠然とした展示のイメージは描いてアーティストたちに声をかけましたが、実際にアーティストたちに下見をしてもらったら、事前にフロアプランを決めずに、その場でアーティストたちが作品を持ち寄り、あれこれと相談をしながらインストールをするというジャムセッションというか、インプロでの設営にしようか…という話になり、地下空間のパートでは、よりそのコラボレーション的な要素の強い展示になるのではないか…と楽しみにしています。もちろん個々の作品はそれぞれで成立していますが、すべての作品が並ぶことでひとつのインスタレーションのようになるのではないかな…と。なので、もしかしたら出品アーティストのリストにこの建物、または建築家の名前を入れてもいいのかも…と思ったりもしました。

──兼平彦太郎

岩田智哉(以下、岩田) 最初に遠藤さんからお声がけいただいたのですが、昨年の展示にもお邪魔していましたし、kudan houseにも何度か来たことがあったので、ぜひこの空間でキュレーションをしてみたいと思い、お誘いをお受けしました。現地調査をして感じたのは、和洋折衷やスパニッシュ様式というのが建築として特徴的なのですが、それに加え、庭とガレージと部屋が連続するなかに半分屋外のような空間がいくつか存在するなど、内と外の感覚がぶれてくるような建物だと感じました。和の建築空間で自分の身体が空間の一部として溶け込むような感覚でもなければ、洋の建築空間で自分の身体が個として峻立する感覚とも違う。それを起点に、ある種の空間的な遠さと近さや、時間的な長さと短さが紐づいて共存するような展示ができないかと考え始めました。

岩田智哉

──旧ガレージの室内には、柏木崇吾さんによる、外から隔絶された空間のなかで自身が体験した風景をある瞬間として再構成した作品を、庭には、木藤遼太さんによる自身とkudan houseが経験してきた時間を重ね合わせたサウンドインスタレーションを展開することになりました。

岩田 自分と近い世代で、抽象的な議論ではなく具体的な対象について自らの身体を物差しに思考する作家が多いように感じます。そのような同世代的な表現を紹介したいと考えました。また、今回はアートフェアへとつながる展覧会なので、購入できるのかの想像が難しいようなアーティストを選ぶことで、アートを購入することについてメタ的に言及したいという思いもありました。

kudan houseの庭

──今回はkudan houseに加え、サテライト展示として、ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテルと、赤坂プリンス クラシックハウスも会場になります。 

遠藤 僕が担当するのはkudan houseと赤坂プリンス クラシックハウスですが、蓮沼執太さんに音を担当していただくことで、両方の会場内で音が響いている状態をつくります。展示構成には五月女哲平さんに加わっていただきました。とくにクラシックハウスの方では、蓮沼さんの音と五月女さんの光の表現とをあわせて鑑賞していただくシンプルな構成になっています。赤坂プリンス クラシックハウスという建物空間そのものを味わっていただければと考えています。

──ただ空間に作品を展示するだけではなく、音と光の要素を加えた意図を聞かせていただけますか。

遠藤 ホワイトキューブではない展示空間で、建築に特徴がある場合、「すごい建築だ」、「面白い環境だ」となってしまいがちです。同時にそこにある作品が環境から浮いて見えるという一点だけで作品になり得ているというのも少し疑問がありました。土台としての、あるいは支持体としての建築とその内容物としての作品のあいだにレイヤーをつくる必要があると考えました。そうすることで、建築も作品もあくまで多層的な現実認知の中のひとつのレイヤーに過ぎないという相対化を促したかった。そういう観点から、おふたりに加わっていただきました。 

kudan houseの内観

 自分の感覚が解放され、普段見えないものが見えてきたり、受け入れなかったものを受けられるようになったり、そうした働きがコレクターにも、誰にでも作用する展示にしたいと考えています。普段買わないような作品でもを買う機会になれば、その方のコレクションにも新たな展開が生まれます。

藤城里香(以下、藤城) 私は今回が初参加ですが、昨年はキュレーションの方の展覧会だけ見ていて、地下の橋本聡さんの展示がとても印象に残りました。展示構成も暗い空間で迷路みたいになっていて、どこの場所を、時間を歩いているのかわからなくなるような感覚がありました。空間と作家の世界観が結びついた印象でしたね。

展覧会期間を終えて始まるアートフェア

──無人島プロダクションはどのような経緯で参加が決まったのですか。

藤城 兼平さんと遠藤さんから、無人島プロダクションの作家の作品を展示できないかとお声がけいただいたのがきっかけです。普段私はアートフェアの参加にあまり意欲的ではないんですね。アートフェア特有の白い仮設壁でつくられた“コ”の字のブースを見ると、ちょっと思考停止になってしまうというか、フェア自体のコンセプトや予想される効果などよほどの理由がないと積極的に出ないのですが、CURATION⇄FAIR Tokyoは、展覧会とアートフェアが連続している構成も独自ですし、何より会場がいわゆる仮設空間でないのが魅力的でした。今回はたまたま和室を使うことになったのですが、この空間で何をするかを考えるとわくわくします。ギャラリーの展覧会とは違うコンセプトで展示ができるのではないかと思ったので、参加を決めました。

無人島プロダクションが使用予定の和室

美沙子 MISAKO & ROSENと無人島プロダクションさんは、この2部屋の和室のあいだの襖を外し、つなげた空間でそれぞれの作品を展示します。あえてつながったような感じで展示を見せることになるのも面白いのではないかと考えています。

藤城 かつて人が住んでいた部屋だということにも関わってきますが、現在存在している自分たちが生きていない時間、過去や未来という自分たちの不在への旅みたいなものをこの空間で表現できないか、と思いついて、作家たちと話しながら出品作品を考えています。とはいえ、なんだか賑やかな構成にはなる気がしています(笑)。

かつて住んでいた人々の気配が感じられるkudan houseの内部

遠藤 白い壁で管理、分析、切断が可能なキュレーションではなく、場の力を使ったキュレーションのようなものを考えたので、それを感じていただくことで、コレクターの方の自宅のコレクションの展示も変わってきたらいいなと思いますね。設定や基準がしっかりしているコレクションもいいですが、「この美意識はどういうこと?」と感じられるようなコレクションって面白いですよね。感性が開いていて、基準が複数同時に走っていて、にもかかわらずそこに説得力があるような。そういうコレクションは見ていて楽しいですよね。僕のキュレーションが、コレクション形成に原理的につながるのであれば嬉しいですね。

ジェフリー・ローゼン(以下、ジェフリー CURATION⇄FAIR Tokyoの面白いところは、ギャラリーがただ作品を展示販売するのではなく、展覧会の文脈をアートフェアに落とし込むことができる点だと思います。しかし、それは簡単なことではありません。なぜなら、一般的に展覧会を訪れる来場者は、買うことを考えてくるわけではなく、純粋に展示を観にこようとするからです。だから、我々が見せたい展覧会を丁寧に企画すると、商業的には失敗することも多い。しかしこのイベントでは、第一部の展覧会で作品展示を空間とあわせて楽しむことができ、それから数日間を挟んでアートフェアが始まるので、じっくり作品を味わってから、改めて購入できる場として再び会場を訪れることができるわけです。これは国際的に見ても非常にユニークな企画ですし、展示にこだわることと商業的に成功することを両立させられるアートフェアだと感じています。

ジェフリー・ローゼン
「CURATION⇄FAIR Tokyo 2024」アートフェアの展示風景より、MISAKO & ROSENの展示 撮影=苅部太郎*

──昨年の売り上げとしてはいかがでしたか。 

ジェフリー ええ、悪くはなかったです(笑)。海外からの来場者にも購入いただけましたし、インバウンドも増えている状況ですから、国内外を問わずコレクターに向けて力のあるプレゼンテーションを行うことで、市場は広げていけると感じています。

小西 僕もあまり最近はアートフェアに参加していませんでしたが、このアートフェアは、お客さんが丁寧に展示を見てくださるし、とにかく3日間出展して非常に居心地も良く楽しかったです。その場でたくさん売れたかというと、うちはそうでもありませんでしたが、お客さんと近い距離でコミュニケーションがとれるので、その後も続くようなお付き合いが生まれました。あとは、ほかの出展者の方との距離も近いので、隔たりなく一緒にアートフェアをつくる感覚がありましたね。隣のブースの作品まで説明しましたよ(笑)。

小西哲哉
「CURATION⇄FAIR Tokyo 2024」アートフェアの展示風景より、中長小西の展示 撮影=苅部太郎*

山本 お客さんにとっては、お店同士が仲良くしていると安心できると思うんですよ。コミュニケーションによる信頼関係は非常に大事なものです。歴史を遡ると、ホワイトキューブというものは1929年にニューヨーク近代美術館(MoMA)から始まったもので、ヨーロッパにはなかったんですね。アメリカの資本主義がさらに周辺を巻き込んで拡大していくと、周辺にホワイトキューブがつくられていきました。つまり、資本主義の拡大とホワイトキューブの増加はすごく連動していて、いまは資本主義がこれ以上拡大できないところまで来てしまったので、ホワイトキューブからの離脱が始まっています。

 ホワイトキューブを増やすことよりも、場をつくり、その場で生まれるコミュニケーションに目を向けるようになってきた。人間がそれぞれコミュニケーションをとり、価値や思想、感情を共有することの普遍性に立ち戻るようになったのではないかな。それが資本主義の次のテーマなのではないかと思っていて、我々が行うCURATION⇄FAIR Tokyoは、急進的な中心性とは逆に、コミュニケーションの広がりを生み出すことで、個性豊かで多様なアートを介して資本主義の次を実現できるんではないかなと今日皆さんの話を伺いながら思いました。ここにこそ未来があるという気持ちで、今年も臨みたいと思います。

──非常に美しくまとめていただきました!

山本 僕は落語が好きだからね、なんとなく落ちを用意したくなってしまうんですよ(笑)。

左から藤城里香、ローゼン・ジェフリー&美沙子、山本豊津、遠藤水城、岩田智哉