2025.3.13

「家族」という視点からゴッホの画業をたどる。大阪、東京、名古屋で開催される「ゴッホ展」が詳細発表

大阪市立美術館を皮切りに、東京都美術館、愛知県美術館で開催される「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」展。その詳細や見どころが発表された。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

3月13日に東京都美術館で行われた報道発表会に出席した、左から松下洸平(展覧会サポーター)、内藤栄(大阪市立美術館館長)、高橋明也(東京都美術館館長)、平瀬礼太(愛知県美術館館長)
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 2025年から26年にかけて大阪、東京、名古屋で開催される「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」展。その詳細が発表された。

 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)の作品は、どのように今日まで伝えられてきたのか。本展は、ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションに焦点を当て、彼の芸術の継承と発展の過程をたどるものだ。会期は25年7月5日〜8月31日(大阪市立美術館)、9月12日〜12月21日(東京都美術館)、26年1月3日~3月23日(愛知県美術館)。

 3月13日に東京都美術館で行われた報道発表会にて、同館の学芸員・大橋菜都子は次のように述べている。「ゴッホにとって家族の存在は非常に大きなものでした。もし彼が家族に恵まれていなければ、彼の作品は売られてしまったり、廃棄されたり、あるいは屋根裏に埋もれてしまう可能性がありました。したがって、現在私たちがゴッホの作品を鑑賞できるのは、この家族の尽力があったからこそと言えます」。

報道発表会の投影資料より

 フィンセントの作品を支え、その大部分を所蔵していた弟テオは、兄の死の半年後に他界した。その後、テオの妻ヨーが膨大なコレクションを管理し、彼の作品を世に広めるために生涯を捧げた。展覧会への貸し出し、販売、書簡の整理と出版など、多方面にわたる活動を行い、ゴッホの評価を確立するために尽力した。さらに、テオとヨーの息子フィンセント・ウィレムは、作品の散逸を防ぐため、フィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、美術館の開館に貢献した。人々の心を癒す彼の絵画は、こうして今日まで受け継がれてきた。

 本展では、ゴッホの油彩画約200点や素描約500点を収蔵しているオランダのファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ゴッホの絵画30点以上に加え、日本初公開となる貴重な手紙4通なども展示される。さらに、現在のファン・ゴッホ美術館の活動も紹介し、家族が受け継いできた画家の作品と夢を未来へと伝えていく。

 会場は5つの章で構成されている。第1章では、ファン・ゴッホ家のコレクションがどのように始まり、どのように美術館へと発展していったのかをたどる。フィンセント・ファン・ゴッホの死後、その作品の大半を受け継いだ弟テオ、そしてその後のヨーとフィンセント・ウィレムの貢献について詳しく紹介する。

 第2章では、フィンセントとテオの兄弟が収集したコレクションを取り上げる。2人は若い頃から画廊で働き、版画やグラフィック・アートに親しんでいた。フィンセントが自身の作品と交換して得た同時代の画家の作品や、ゴッホが熱心に集めた浮世絵版画なども展示される。これらの収集品は、彼の芸術的探求の重要な手がかりとなる。

報道発表会の投影資料より

 第3章では、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描を時系列で紹介する。27歳で画家を志し、ハーグ、ニューネン、パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェールと移りながら、独自のスタイルを確立していった彼の画業をたどる。わずか10年間で膨大な作品を生み出した彼の足跡を、代表作を通じて振り返る。

報道発表会の投影資料より

 第4章では、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した作品に焦点を当てる。彼女はテオの死後、コレクションを管理し、フィンセントの評価を確立するために戦略的に作品を売却した。個人収集家や美術館に販売することで、彼の名声を高める努力を続けた。その詳細は、テオとヨーの会計簿に記録されており、170点以上の絵画と44点の紙作品が特定されている。

報道発表会の投影資料より

 最終章となる第5章では、ファン・ゴッホ美術館のコレクションの充実について紹介する。1973年の開館以来、美術館はバルビゾン派、ハーグ派、象徴主義の作品を収集し、印象派やポスト印象派の作品も加わった。さらに、紙作品の収集にも力を入れ、世界有数のコレクションとなっている。

 この章では、日本初公開となるゴッホの貴重な手紙4通も展示。大橋学芸員は、「ゴッホの手紙は日本でも翻訳され広く知られていますが、紙質が脆弱なため、保存の観点から展示されることは極めて稀です」と話している。この貴重な機会をお見逃しなく。

報道発表会の投影資料より、日本初公開となるゴッホの手紙4通も本展で展示される

 また、本展でとくに注目すべき作品として、ゴッホがパリ時代の最後に描いた《画家としての自画像》(1887-88)も紹介される。この作品は、ゴッホがパリで学び得た新しい表現技術を駆使しており、色彩の扱いや筆使いにその成果が顕著に表れている。また、ヨーが1890年にゴッホに初めて会った際の印象ともっとも近いと語った作品でもある。しかしいっぽう、ゴッホ自身はこの自画像について、妹に宛てた手紙のなかで「ピンクがかった灰色の顔」「生気がなくこわばっていて、赤ヒゲが伸びたまま物悲しい」と記しており、彼の自己認識と他者の印象の違いが浮かび上がる。

報道発表会の投影資料より、《画家としての自画像》(1887-88、ファン・ゴッホ美術館蔵)とその細部

 さらに各会場では、幅14メートルを超える空間で体感するイマーシブ・コーナーも設置される。巨大モニターに映し出される《花咲くアーモンドの木》などの名作や、3Dスキャン技術を用いた《ひまわり》(SOMPO美術館蔵)の映像など、通常の鑑賞では気づきにくい筆遣いや絵具の質感を体感することができるだろう。

報道発表会の投影資料より、イマーシ・コーナーのイメージ

 これまでのゴット展とは異なり、ゴッホの芸術を、それを支えた家族の物語を通じて紹介する本展。ぜひ会場で実物を鑑賞し、ゴッホの作品の魅力を再発見してほしい。