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2020.9.28

緊急事態を再認識できなくなるとき。
佐原しおり評 「Emergency Call」

コロナ禍で様々な分野のオンラインコンテンツが配信されている。評論家としても注目を集めるアーティストの大岩雄典は、展覧会「Emergency Call」をキュレーション。それは指定の番号に電話をかけることで美術家、音楽家、博士、SF作家、俳人、歌人など17組による音声を自動再生で聴く、40分05秒の「電話展示」であった。日本国内の緊急事態宣言解除まで続いたこの試みを、埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

文=佐原しおり

「Emergency Call」より

「緊急事態」のアウトライン

 「Emergency Call」は、COVID-19の感染拡大を受けて発令された緊急事態宣言下の2020年4月30日から、日本国内の緊急事態宣言の解除までを会期とした企画である。美術館、ギャラリー、劇場などの文化施設が軒並み閉鎖されていた今年の春以降、ギャラリートークやパフォーマンスをはじめ、様々なコンテンツのオンライン配信が行われてきた。現実空間での展示を前提としないウェブサイト上での展覧会も目立つようになり、「Emergency Call」の企画者である大岩雄典は、オンライン展示「遭難 Getting Lost」も公開している。

 このような状況において「Emergency Call」が「電話展示」として企画されていることについて考えてみたい。電話とアートとの結びつきはすでに長い歴史を持っており、たとえばモホリ=ナジが看板工場に電話で指示を与えて制作した《電話絵画》(1922)まで遡ることができる。また、1991年にNTTインターコミュニケーション・センター [ICC] が開催した「電話網のなかの見えないミュージアム」は、NTTの電話網を「ミュージアム」に見立て、参加者が電話やファックス、パソコンでアクセスすることにより、美術家や音楽家、作家など多様なジャンルのクリエイターの作品を鑑賞するという企画であった。

 指定の番号に電話をかけることで美術家、音楽家、博士、SF作家、俳人、歌人など17組による音声を自動再生で聴く「Emergency Call」の試みを「電話網のなかの見えないミュージアム」の延長線上に置くことも可能だろう。しかし本企画において、電話というコミュニケーション・ツールは、手軽さや同時性を担保するものでも、直接的なやり取りによる親密さを演出するものでもない。さらにいえば「Emergency Call」で使用されている電話番号が「050」からはじまっていることから、インターネット回線を使用したIP電話による通話であることがわかる。本企画は、電話の形式をとった「オンライン展示」でもあるのだ。

 17組による音声はそれぞれ2〜3分程度の長さで、肉声、人工音声、音楽など様々な音が流れる。これらを簡単にまとめてみると、ラジオ番組のように軽快な口調で進められるコーナー(山本悠)や、NHK(当時・東京放送局)のラジオ英語講座の初代講師・岡倉由三郎による1925年の講座テキストの朗読(佐藤朋子)、20メートルシャトルランの電子音(*)、ゲームの没入感に関する考察(岡嶋隆佑)、ムースのレシピ(永田康祐)、COVID-19流行下の現状が反映されたメッセージや俳句、歌(大道寺梨乃、関悦史/日和下駄、三上春海)、なぞなぞ(大岩雄典)など、ひとつのテーマに集約されない多岐にわたる表現が展開されていた。

 だが、やはりそこには、制度や枠組みのなかで身体を拘束し、制御することへの意識が如実に反映されている。例えば、いかにも「教材」といった口調で読み上げられるラジオ英語講座のテキストは、日本語と英語との往来を繰り返すことで、異なる言語を習得する訓練の身体性(リズム)を抽出する。20メートルの距離を電子音に合わせて走り抜けるシャトルランもまた、「秒数」という絶対的な数値に合わせて身体の動きを制御するものである。ロックダウンされたイタリアで子育てをする大道寺梨乃のメッセージでは、後半から子供の声が入ってくる。「ちょっと待って」と子供を制しながら、近況を早口で話し切る大道寺の口調には、本企画で与えられた3分という持ち時間=拘束そのものに自らを押し込むような切迫感すら読み取ることができるだろう。

 「37.5度以上の発熱」「人との接触を8割以上減らす」「14日間の隔離」──本来均質ではない私たちの身体を一定の枠組みに従属させることで成立する感染症と隣り合わせの生活は、制度に対する人間の身体の敗北でしかないのだろうか。永田康祐による《レシピのレシピ》では、ムースをつくる手順や材料の分量が仔細に説明される。ムースを構成する3割は油脂、5割は水分というように淡々と示される過程で、レシピもまたひとつの規範であることに気づかされる。温度を調整しながら液体を泡立てることで完成するムースのレシピは厳密で、動かしようのないもののように映るのだが、永田は手順の基本や水分の割合さえコントロールできていれば、必要に応じて水分をジュースやリキュール、鶏レバーに置き換えても良いということを強調している。ここでは「チョコレート・ムース」のレシピが紹介されるのだが、このレシピはデザートにも、主菜にも応用されうるのだ。永田による《レシピのレシピ》では、私たちを雁字搦めにするような数値や規制が、本来私たちに「応用されるべき」ものとして存在していることを再確認させてくれる。

 自分が安全だと思う時間・場所でお電話ください。

 「Emergency Call」のホームページにはこのような注意書きとともに、赤字で大きく電話番号が掲示されており、それはまるで緊急事態宣言下に出現したホットラインのようだった。COVID-19の猛威はとどまるところを知らず、いっぽうで無症状の患者も多いと言われるこの微温的な状況においては、むしろ制限それ自体によって「緊急事態」であることを自覚させられる。COVID-19に感染しているのか、いないのか。感染させているのか、させられているのか。感染者数が100人を越えてもなにも思わなくなった。緊急事態宣言が解除されてから3ヶ月以上が経過したいま、「緊急事態」に麻痺している。

 緊急事態宣言解除翌日の5月26日、生暖かい夜風が漂う交差点で、発信履歴をたどり「050-XXXX-XXXX」に電話をかけてみると「ツーッ」という音がして通話が途切れた。緊急事態宣言解除後も右肩上がりに伸びる陽性感染者数のグラフを見ながら、数値による線引き以上に、「Emergency Call」がかからなくなったあの瞬間こそが、もっともリアルな「境目」だったことを思い出す。

*ーー4月30日から5月11日までは「20メートルシャトルラン」ではなく「ラジオ体操第一」の音源が使用されていた。