• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「寺山修司展」(世田谷文学館)開幕レポート。寺山修司の世田…
2024.10.11

「寺山修司展」(世田谷文学館)開幕レポート。寺山修司の世田谷時代──演劇実験室「天井棧敷」に注目

世田谷文学館で、生誕90周年を迎える寺山修司の功績を紹介するコレクション展「寺山修司展」がスタート。会期は2025年3月30日まで。会場では、自動からくり人形師・ムットーニ(武藤政彦)による作品も同展にあわせて展示・上映されている。 ※会場は許可を得て撮影しています。

撮影・文=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
前へ
次へ

 演劇、短歌、映画、評論、そのほか数々の分野で功績を残し、豊かな表現活動の可能性を模索した寺山修司(1935~83)。その活動と人物像を世田谷文学館のコレクションから紹介する「寺山修司展」が同館でスタートした。会期は2025年3月30日まで。

 寺山は18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後「俳句」や「短歌」などの定型詩から、自由詩へと創作活動の基盤を移し、歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げた。そして、30歳を前後する1960年代後半には世田谷区下馬へ移住し、演劇実験室「天井棧敷」を設立。この世田谷時代と呼ばれる時期に、長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへとその活動領域を移していった。

 本展は、2025年に迎える寺山の生誕90周年を記念して企画されたものだ。会場は大きく分けて「世田谷区下馬・演劇実験室『天井棧敷』の設立」「手紙魔・寺山修司」の2部構成となっており、「天井棧敷」に関する資料や寺山自筆の書簡など約150点が展示されている。

展示風景より

 第1章では、演劇実験室「天井棧敷」の設立とその活動を様々な資料から紹介している。天井棧敷は、新婚間もない頃の寺山が家出した少年少女を下馬の自宅前にあるマンションに劇団員として迎え入れたことで設立されており、戦争で父を亡くしたあと母子家庭で育った寺山にとって新しい「家」の在り方を模索したのではないかと同展では考察されている。

 会場には、当時の演目に関する原稿や台本、そして横尾忠則宇野亜喜良によるポスターの数々が陳列。また、2005年の同館常設展リニューアルの際に、寺山の映画美術を担当していた榎本了壱により制作された天井棧敷の室内の様子を描いたポスターも展示されており、劇団員たちが当時どのように過ごしていたかについても理解を深めることができるだろう。また、寺山が手がけた映画作品に関する構成案やポスターといった資料もあわせて紹介されている。

展示風景より。展示資料の大半は、天井棧敷でもトップスターとして活躍した女優・新高恵子によるものだという。新高が出演した作品の資料や当時の新聞記事などがスクラップとして残されている
展示風景より。寺山が晩年の1982年に手がけた映画『さらば箱舟』(1984年公開。原題『百年の孤独』を改題)と、81年に舞台上演した『百年の孤独』双方の台本を比較するコーナーも。演劇では上演されなかったシーンを、映画作品で採用したことを示す資料も展示されている

 第2章では「手紙魔」としての寺山修司にフォーカスし、その内容から寺山の人物像にせまるものとなっている。学生時代から俳句や短歌で注目を集めていた寺山は、友人や恩師などに送った手紙の短いフレーズのなかにも独特の感性が表れている。ここでは、中学校の国語教師で寺山の良き相談相手でもあったという恩師・中野トクや、推理小説家の仁木悦子、デザイナーの粟津潔との交友関係が伺える手紙の数々が約40点紹介されている。

展示風景より
展示風景より

 ほかにも、会場では自動からくり人形師・ムットーニ(武藤政彦)による作品も同展にあわせて展示。《ラジオ・ノアール》(個人蔵、特別出品)、《サーカス》(個人蔵、特別出品、《漂流者》、《スピリット・オブ・ソング》の4作品が開館時間中の毎時30分から上演されているため、ぜひあわせてご覧いただきたい。

展示風景より、フォトスポット。「私の墓は、私のことばであれば、充分」といった寺山による晩年の言葉をもとに、墓標のようなイメージで設計されているという