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2025.1.11

「今津景 タナ・アイル」(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポート。歴史、神話、環境が交差する今津景の世界

インドネシア・バンドンを拠点にしている今津景の大規模個展「タナ・アイル」が、東京オペラシティ アートギャラリーで始まった。日本とインドネシアのふたつの土地に根ざした経験と思考が反映された今津の作品を通じ、鑑賞者に自らの「生きる場所」を再考するきっかけを提供している。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 東京オペラシティ アートギャラリーで、今津景の大規模個展「タナ・アイル」がスタートした。会期は3月23日まで。展覧会担当は瀧上華。

 今津は、インターネットやデジタルアーカイヴから得た画像をコンピュータ・アプリケーションで加工し、その下図をもとにキャンバスに油彩で描く手法で知られている。2017年からインドネシアのバンドンを拠点にし、近年はインドネシアの都市開発や環境汚染といった社会的な問題をテーマにした作品を多く発表している。

展示風景より

 本展のタイトル「タナ・アイル」は、インドネシア語で「タナ(Tanah)」が「土」を、「アイル(Air)」が「水」を意味し、両者を合わせると「故郷」を意味する。日本という故郷と、現在の拠点であるインドネシアのふたつの土地に根ざした経験と思考が反映された今津の作品を通じ、鑑賞者に自らの「生きる場所」を再考するきっかけを提供している。

 本展では、インドネシアの歴史や神話、環境問題といった多様なテーマが取り入れられた作品を紹介。例えば、最初の展示室では「Anda Disini/You Are Here」と「Bandoengsche Kinine Fabriek」をテーマにした作品群が展示されている。

展示風景より、「Anda Disini/You Are Here」と「Bandoengsche Kinine Fabriek」をテーマにした作品群

 前者は、2017年にインドネシア・バンドンでのアーティストインレジデンスをきっかけに制作された作品だ。今津がバンドン近郊のゴア・ジパン(旧日本軍の要塞洞窟)を訪れ、そこで見た過去の厳しい労働の掘削跡から強い印象を受け、日本軍がインドネシア人に与えた苦しみを感じた。展示室には、大きな洞窟の写真や、日本軍、インドネシア人の労働者を思わせる人物が描かれた絵画が展示され、インドネシアでの生活における作家の葛藤が表現されている。

左から《Anda Disini》(2024)、《Anda Disini/You Are Here》(2019)、《Pithecanthropus erectus (Remake)》(2024)

 いっぽうの「Bandoengsche Kinine Fabriek」は、バンドンにおけるキニーネの歴史をたどる展示だ。キニーネはマラリアの特効薬として知られ、19世紀末にはバンドンが世界一のキニーネ生産地となった。オランダ政府主導で建設されたキニーネ工場は、第二次世界大戦中に日本軍に接収され、後にインドネシアの国営製薬会社となった。インスタレーション作品《Bandoengsche Kininefabriek》(2024)は、マラリアの感染経路の一部として蚊が人の体内に入り、血流を通じて繁殖し感染が広がる様子を表現した作品。また同作には、キニーネ工場に関する資料やトニックウォーターや精力剤として商業化されたキニーネの側面も組み込まれている。

展示風景より、中央は《Bandoengsche Kininefabriek》(2024)
展示風景より、《Bandoengsche Kininefabriek》(部分)

 最大の展示室では、本展の中心的な展示となる、インドネシア・セラム島の神話「ハイヌウェレ」と今津自身の出産体験を織り交ぜた作品群を見ることができる。今津は子供の出産後、セラム島の「ハイヌウェレ」神話に興味を持った。ハイヌウェレはココナッツから生まれ、その排泄物が金や陶磁器などの財宝に変わる力を持つ女性。セラム島の人々は初めに彼女の生み出す金銀財宝を受け取っていたが、最終的にはその力を恐れて彼女を殺し土に埋めた。その身体の様々な部位が切断され、埋められた土からは食物の源となる根茎類が生えるという物語が伝えられている。 

「Hainuwele」をテーマにした作品展示
排泄する女性を描いた《Girl's Waste》(2023)
左から《Heart》(2023)、《Leg》(2024)

 インドネシアには出産後に胎盤を埋める風習があり、今津もこの習慣に従い自らの胎盤を庭に埋めた。その後、埋めた場所から大きな植物が育ち、その経験は作家にとって、外国人だと恐れられ惨殺され、しかし地元の人々に豊饒をもたらしたハイヌウェレの神話に共感する感情を呼び起こした。この展示室では、「ハイヌウェレ」神話や今津自身の体験をモチーフにした絵画や立体作品が展示されており、またゲート状のインスタレーション《SATENE’s Gate, Patalima & Patasiwa sculptures》(2023)も注目作品のひとつだ。

展示風景より、手前は《SATENE’s Gate, Patalima & Patasiwa sculptures》(2023)

 このゲートは、ハイヌウェレの死を知ったサテネという神が怒り狂い、祭りの参加者を集めて並べ、その手に掘り返されたハイヌウェレの両手を持ち、参加者に「ゲートを通れ」と命じたというエピソードに基づいている。殺人に加担した村人たちはゲートを通るとハイヌウェレの手で叩かれ、動物や精霊に姿を変えられる。無事に人間の姿を保った者たちは左を通った者は「パタシワ」、右を通った者は「バタリマ」というふたつのグループに分かれ、現在でもそれらのグループはセラム島に暮らしている。 

 展覧会の最後には、インドネシア・チタルム川の汚染とその影響を描いた「Lost Fish」シリーズが展示されている。チタルム川はバンドンからジャカルタ湾まで流れる川で、繊維工場の有毒廃棄物や生活排水、プラスチックごみによって「世界一汚染された川」とも呼ばれている。

展示風景より、「Lost Fish」シリーズ(2021)

 今津は、17世紀にオランダ人がチタルム川で行った調査に基づく図鑑に描かれた魚の種類をもとに、一匹一匹を描いている。その多くの魚は現在すでに絶滅しており、作品が描かれたのはチタルム川流域で生活する人々の生活用具として使われていた木材であり、地元の住民たちの経験や生活も込められている。「タナ・アイル」(土と水)という本展のテーマが色濃く反映され、インドネシアの自然や環境の変遷が感じられるシリーズだ。

展示風景より、「Lost Fish」シリーズ(2021)

 インドネシアの歴史や神話、環境汚染などのテーマを通じて、インドネシアと日本というふたつの土地に根ざした今津の経験と思考が重層的に織りなされた本展。今津の作品を通じて、私たちは自らの生きる場所と環境について再考し、過去の歴史を見つめ直す契機を得ることだろう。

展示風景より