櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:キング・オブ・セルフビルド

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第82回は、35年以上の歳月をかけて独力で「理想宮」をつくり続ける饒波隆さんに迫る。

文=櫛野展正

2018年当時の様子
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 2018年1月に初めて訪問して以来、この場所を訪れたのは3度目だ。7年前に目にしたときに比べ、建物全体が緑で覆い尽くされている。よく見ると、植物の枝が侵食して道路にまで伸びている箇所もあり、通行の邪魔にならないようにと、ロープで引っ張っている部分もあった。少し離れたところから眺めてみると、まるで植物がゆっくりとうごめき、建物全体を覆い尽くしているかのようにも思えてくる。これは、沖縄県在住の饒波隆(よは・たかし)さんが35年以上の歳月をかけて独力でつくりあげている「理想宮」だ。

 7年前は、岩山の中央から覗く窓が、その異質さを際立たせていたが、種々の植物で覆われた現在の光景は、とても個人の邸宅だとは思えない。そう、この場所は鉄筋コンクリート住宅に石を張り付けた、饒波さんの自邸なのだ。饒波さんはカルスト地形になっている近くの山から板状の石灰岩を拾ってきては、それらを積み上げ、石と石の隙間をモルタルでくっ付ける作業を、たったひとりで35年以上も続けている。

2025年の様子

 8人兄弟の末っ子として、この街で生まれた饒波さんは、子供の頃から魚釣りや水生生物の飼育設備であるアクアリウムづくりに熱中した。中学卒業後は、建築関係の仕事をしていた長男の勧めで、工業高校の建築科へ進学。その後も「何をしたらいいのかわかんなかったから」と本州にある大学の建築科へ進んだが、本当は自宅で熱帯魚店をやることを夢見ていたようだ。

 そもそも饒波さんが自邸の装飾を続けている理由は、自分の家を好きな植物で360度ぐるりと囲むためだ。当初は、自力で池や花畑のような庭をつくってみたものの、すぐに飽きてしまい、石を積み始めたのだという。

 「立体的につくれば360度植えられるじゃないですか。形も自然のような状態で植物を植えたかったからね。そもそも、この2階建ての家を建てたときから、建物の均一な形が気に入らなかったんだよね。だから、もともと庭があった場所に石を積んでいって、現在のような形につくりあげたわけ」。

 改めて、向かいの道路から眺めて見ると、岩山は隣の3階建てアパートと同じ高さになっている。本来、自宅は2階建てだが、勾配天井になった吹き抜けの上にも石を積み上げたため3階建てのように見えているというわけだ。肝心の住み心地については「まったく不便さはない」という。

 この作業をやり始めてから、饒波さんは独学で植物の知識を習得し、その知識を活かしてホームセンターの園芸売り場で勤務してきた。それぞれの岩のポケット状になった部分には、色々な植物が植栽されており、植木鉢に入った状態のものは、これから植えていくもののようだ。

 驚くべきことに、饒波さんはただ闇雲に石を積んでいるわけではない。石を積んだら一度下まで降りて、全体を見渡す必要がある。小さな石を積むだけでも何度も登ったり降りたりを繰り返さなければならないため、かなりの時間を要してしまう。当初は、「360度囲みたい」という夢を抱いていたが、歳月の経過とともに隣に建物が建ち、夢の実現は断念せざるを得なくなった。

「30年の歳月をかけてつくられたと言われているアンコール・ワットより長いわけですよ。こっちは35年以上なのでね。でも、残りの人生を考えると、理想通りに完成することは不可能なんだよね。釣りやアクアリウムの趣味はいつでもできるけど、これだけは早く完成させないと体力がなくなっちゃいますから」。

 饒波さんは、いまでも出勤前と休日は全ての時間を制作に費やしている。街灯設備もないため、日が昇る前にモルタルを捏ね、日没まで岩山に登って石を積んでいき、その途中で材料を調達するため山を往復し作業する日々を送る。

2018年当時の饒波さん

 そして、このモルタル製造も誰かに教わったわけではない。すべてが独学なのだ。「正しいかどうかわからんすよ、自分で適当にやってるので」と、以前に道路脇の作業スペースで、モルタルづくりの様子を見せてもらったが、砂とセメントを混ぜ、水を足して捏ねていく様子は、まるで蕎麦打ち職人のようだった。十分に捏ねて粘土のような状態になったら、片手で抱えて岩山を登り、少しずつくっつけていく。モルタルは乾いたら白っぽくなり石灰岩と同化してしまうのだが、石とモルタルのつなぎ目を「出来るだけ自然にある状態に見えるように」と、饒波さんは水を加えたり筆でラインをつけたりと実に丁寧な仕上げを施していく。モルタルは固まるのに1日ほどかかるが、沢山くっつけているため未だ固まっていないことが気づかずに、崩してしまうことも多い。一番苦労したのは、窓の庇(ひさし)の上に石を積んだことで、オーバーハングの姿勢で大変だったそうだ。そして作業中に落下して命の危険を感じたことは、数知れない。

 7年前と大きく異なっているのは、玄関へと続く階段部分の造形だ。アーチ状に石が積み上げられ、玄関へと続いている。ごつごつとした岩山の隙間から、一筋の光が玄関に差し込んでいる様子は、どこか神々しくもあった。

 何より興味深いのが、こんな壮大な建築を続けている饒波さんは、じつは目立つのが嫌いだという事実だ。「こういうのをやっていると必然的に目立っちゃうでしょ、それが嫌なんです」と人目を避けて、あえて車通りの激しい道路側を後回しにして作業をしてきたと言う話には、思わず笑ってしまった。なるほど、だから県道側は未だ住宅部分が丸見えになっているし、ようやく玄関部分に取り掛かっているわけだ。

 命綱などなく、ボルダリングのように岩山に捕まり昇降を繰り返していく作業は、まさに命がけだ。それでも、饒波さんは途中で辞めようと思ったことは一度もない。庭だけではなく、家全体を覆うような建築を続け、しかも人生をかけて挑み続けている饒波さんの原動力とは一体なんなのだろうか。

 「楽しくないとやらないですよ。何が楽しいかというと、今日より明日は良くなって完成形に近づいてる、それが楽しいわけ。石を拾いに行くことは辛いけど、積むことは楽しいわけ。人生そんなに長くないから、急がなきゃ。幸いボルタリングで体は自然と鍛えられているんだけど、体力がなくなってきたら今度は植物の管理ですね」。

 饒波さんによると、制作を始めた当初は、近所から「積むな」と言われ批難されることも多かったそうだ。異質な存在に対して投げかけられる容赦ない排除の声も、饒波さんは35年以上続けることで打ち返してきた。まさにみんな感服してしまったのだ。

 いまとなっては思い描いた通りに完成することはないし、途中で命が尽きてしまうかも知れない。完成したところで、社会的対価や名声を得られるわけではない。それでも、饒波さんが手を止めることはない。その姿は、まるでアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』のようだ。終わりなく続く徒労、報われない努力という不条理を前にしたとき、「すべてよし」と言い切って何度でも岩を押し上げていく覚悟が、僕らにはあるだろうか。饒波さん宅の岩山から差し込む光は、効率や生産性ばかりを重視する社会をも照らし出しているのだ。